本編

【一】ある夏の物語


 ——夏である。


 青い空が白く霞むぐらいの熱射が地上に降り注ぐ。地上に広がるは関東平野。南の東京湾から北へと、幾つもの河川を越えてビルや住宅が緻密に続いていく。大河、利根川を越える頃には田畑が多くなり、やがて東北山脈を緩やかに登っていく。


 その平野を青年の男、朱乃条あけのじょうホムラは鉄塔の上から眺めていた。それは基幹送電線の鉄塔だった。高さ百メートル越えの巨大な鉄塔とそれを結ぶ電線が、広大な関東平野を横断している。無線での送電技術が発達した2030年代でも、大電力の送電は損失率の関係から有線が主流だ。


 ホムラの顎から、汗が滴り落ちる。風も無いこの猛暑の中、その滴は真っ直ぐと下へと落ちていき、見えなくなった。もしかしたら地上に達する前に蒸発したかも知れない。そう思わせる暑さだった。


 あまりの暑さの為だろうか。ホムラの頭の中はぼんやりとしていた。どうしてオレはこんな鉄塔の上にいるのだろうか? 鉄塔の先端にしゃがみ込んで、ぼんやりと平野を眺めている。地上がはるか下にあるからか、いつもは半球状に広がる世界が、今は丸く感じられる。足元にも世界が続いているという感覚を求めて、人は山に登るのだろうか。そうか、オレは登山家だったのか。


 少し頭の中がはっきりしてくる。何を考えているんだオレは。登山家は鉄塔を登ったりはしない。そして馬鹿でも無い。何かと煙は高いところが好きというが、ちゃんと理由があってここにいるのだ。


 ぐるりと見回す。眼下には街が広がっている。南西から北東へと伸びていく高速道路と鉄道と大きな川が平行に並んでいて、それを東西に貫く道が縫い止めている。ざっくり平行四辺形の様な街だ。街の中央、鉄道の駅がある付近はビルが建ち並んでいる。その中でも一棟だけ、水晶を大地に突き刺した様な外見のビルが高くそびえている。この鉄塔と同じか、それ以上の高さだ。この街のランドマークといえた。


 ホムラの視点はぐるりと街を回った後、鉄塔の根本へと動いていく。眼下には公園が見えた。野球場が二つは入りそうな広場に、涼しげな森に覆われた小高い丘が隣接している。ホムラはゆっくりと立ち上がると、一息溜息をついてから。


 ふわりと宙に歩き出した。足を支えるものは何も無く、結果、ホムラの身体は引力に引かれて立ったままの姿勢で地表へと落ちていった。




  —— ※ —— ※ ——




 広場には、ぽつぽつと人影があった。普段よりは少ない。夏休みだったがこの暑さである。遊ぶ子供の姿は殆どなく、先程まで聞こえていた保育園児の歓声も今はない。


 木陰になっているベンチに座るのは小休憩中のサラリーマンぐらいである。缶コーヒーの冷たさも水滴に変わって消えていく。サラリーマンは少し温くなったコーヒーでごくごくと喉を鳴らし、はぁと一息つく。


 そのサラリーマンの視線の先。公園の真ん中には三つの人影があった。木陰があるのは公園の縁だけである。ギラギラと音が聞こえそうな日射しの下にいるのは彼らだけであった。


 一人は金髪の外人。三十歳ぐらいだろうか。左右に青いメッシュを入れていて、どう見ても堅気には見えない。服装こそスーツだが、ガタイの良さが隠せていない。もし同じ電車に居合わせたのなら、そっと隣の車両に移動したくなる程ではある。


 もう一人は、真っ黒ずくめの女性だった。確かゴスロリとかいうファッションだ。漆黒のドレスとブーツ。その所々を桃色の装飾品でアクセントを付けている。あまりファッションには詳しくないが、口紅の色まで合わせているのは強い拘りなのだろう。きっと似合わないといったら社会的に殺されるヤツだ。年齢は幼くも見えるが、成人している程度にも見える。年齢不詳だった。さすがに暑いのだろか、彼女だけは日傘を差していた。勿論色は黒と桃色である。


 最後の一人は、二人とは違っていた。倒れていた。金髪とゴスロリの足元に。良く見えないが女子学生の様だった。白いブラウスとスカートは、この近くのさきたま市立高校の制服だったはずだ。白に映える長い黒髪が、倒れた身体の上にかかっていた。





「ちょっと乱暴すぎンじゃねえの?」


 金髪の外人から放たれのは、少し訛りのある日本語だった。靴先で地面に倒れた少女の頭を小突く。着衣はスーツだったが、靴は厚底のブーツで爪先に金属が入っている。少女の頭が揺れるが、起き上がってくる気配は無い。


「そうかしら?」


 ゴスロリの女性は少し首を傾げる。金髪の外人はふむと顎を撫でた。ゴスロリ、見た目に反して結構手荒い。少女をかっ攫ってきたのは外人ではなく、ゴスロリの女性の方なのだ。彼女は少女の元にしゃがみ込むと、その白い手で少女の額にかかった髪を掻き上げる。少女の肌も白い方だが、ゴスロリの女性ほどではない。


「生きてるから問題ないでしょ? これでも傷つけない様に気を遣ったのよ」

「路上で襲うってこと自体、穏やかじゃ無いと思うけどねえ」

「時間があまりないのよ。知ってるくせに」


「時間がないって、どういうことだ?」


 突然、会話に三人目の声が加わってくる。金髪の外人とゴスロリの女性、そしてサラリーマンが三番目の声の方へと視線が移る。広場の中央。ゴスロリの女性たちとは二十メートルほど離れた場所に、その者は立っていた。


 若い青年。それは先程まで——サラリーマンには知る術も無いが——鉄塔の上に座り込んでいた朱乃条あけのじょうホムラだった。赤いTシャツに黒のジーンズ。両手をジーンズのポケットに突っ込んでいる。


「お前等、『シニステル』だな?」

「あら? なんのことかしら」


 ゴスロリの女性はその長いまつげを伏せた。口元が少し吊り上がる。


「意味ねえことするなよ。アンタらが転生能力者だってことは分かってんだよ」


 ホムラが歩み寄る。赤いスニーカーが薄く砂が被る地面に足跡を残す。そのスニーカーの先端から、何か、淡い光の様なものがチラついた。遠くからサラリーマンは目を凝らす。光の粒だ。この真夏の日射しの中でもなぜかはっきりと見える、藍色の淡い光の粒がふわりとホムラの全身から立ち上った。


 ——そして。その光は炎に転じて、一気に走った。それは真っ直ぐゴスロリの女性へと向かい、しかし弾かれた。


 ゴスロリの女性の前に、金髪の外人が立ち塞がったのだ。その眼前には青い光の粒が幕のように生まれ、そして炎を防いだ。炎は透明な壁に当たったかの様に左右へと散り、消える。


「随分と乱暴ダな。それでも正義の味方かよ」


 金髪の外人はニヤリと笑う。白い歯を剝き出しにする。


「生憎、そんなのを気取っているつもりはないんでね」


 ホムラも笑い返す。歩みを止めず、再び足元から藍色の光が立ち上る。金髪の外人からも青い光が溢れ出す。


「『ティーガー』、引き上げますよ」


 ゴスロリの女性は日傘を畳みながら呟いた。日射しの強さに眉間に皺を寄せる。そっと『ティーガー』と読んだ金髪の外人の背に手を触れる。ティーガーはちらりとゴスロリの女性を見て、そして溢れ出した青い光が霧散する。


「逃がすとでも思ってんのか?」

「真正面から貴方とやり合おうとは思ってませんよ、ホムラさん・・・・・


 にこりと笑い、ゴスロリの女性は日傘の先端をホムラに向けた。手元のスイッチを押すと、バサリと傘が開く。


「!?」


 ホムラは目を剥いた。傘が地面に落ち、転がる。傘の向こう側にいたはずの二人は、どこにもいない。まるでマジックの様に掻き消えていた。コロコロと転がる傘の先端が、地面に倒れたままの少女の足元に触れる。


「ちッ、してやられたか」


 ホムラは右手で頭を搔く。足元からの光はもう見えない。念の為周囲をぐるりと見回すが、二人が消えた他は変わりない。一瞬、ベンチに座るサラリーマンと目が合うが、ホムラは関心を示すことなく、地面に倒れた少女の元へと歩み寄った。


 ホムラはしゃがみ込み、少女を仰向けにして上体をゆっくりと起こしてやる。んッ、と少し少女は反応するが、目は覚まさない。


「……レイリー、レイリー……」


 少女の薄い唇からうわごとの様に、誰かの名前が漏れ出てくる。少女の眉間には皺が寄っている。あまり良い夢を見ている感じではない様子だった。


「ようやく掴んだ尻尾がコレか。さてどうしたもんか」


 トウマは面倒臭そうに溜息をつくと、よっこらせと少女を肩に抱え上げた。軽い。ホムラは小走りで広場を横切り、公園の出口へと向かっていく。それに合わせるように、公園の出口に黒いワゴン車が止まる。ホムラは少女ごとそのワゴンに乗った。ゆっくりとワゴンは走り出し、市の中心部、クリスタルタワーのそびえる方へと向かって走り去っていった。




  —— ※ —— ※ ——




 公園は静かになった。サラリーマンはベンチに座ったまま、じっと広場を見つめている。木陰とはいえ暑い。缶コーヒーに手を伸ばすが、既に空だった。ちょっとだけ垂れた滴を舌で受け取る。そして少し離れた所にあるゴミ籠へと投げるが、縁に蹴られてしまう。地面に転がる空き缶。サラリーマンは怠そうに立ち上がり、空き缶を拾いに行く。


「ちょっと、宜しいですか?」


 空き缶に手を伸ばした時。前から声を掛けられて。サラリーマンは顔を上げた。警察官だった。半袖の制服ににっこりとした笑顔。脇には拳銃を下げている。


「なんでしょうか?」

「ここら辺で大きな音がしたっていう通報があったんですが、何かご存じありませんかね?」

「大きな音?」

「そうなんですよ。ちょっと悲鳴も聞こえたっていうんで、調べてるんですが……」


 警察官は帽子を正し、ハンカチで汗を拭う。改めて広場を見回すと、他にも何人か警察官がいて数少ない広場の滞在者に聞き込みをしているのが見えた。


 サラリーマンはふらりと視線を彷徨わせた後、答えた。


特に、何も見ませんでしたよ。・・・・・・・・・・・・・こんなに暑いですからね、通りがかる人もいなかったですよ」


 空き缶を掴み、ゴミ籠へと捨てる。からんと金属音がする。


「そうですか、分かりました。ご協力ありがとうございます」

「いえいえ、ご苦労様です」


 サラリーマンは警察官に挨拶した後、ベンチに戻って鞄を手にした。さて休憩は此処らで終了、そろそろ仕事に戻らないと。ケータイにはGPSがついている。あんまりサボっていると五月蠅いからな……世知辛い世の中だ。


 ゆっくりとサラリーマンは公園を後にした。広場の地面には焼けた砂が微かに残っていたが、まるで夏の日射しに溶けていくようにゆっくりと消えていった。





 二千三十五年七月三十日、夏。関東地方、さきたま市。

 ——物語はここから始まる。



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