ナカムラさんの一日

桜梨

ナカムラさんの一日

 ナカムラさんは、人里離れた山奥にある高齢者施設に住んでいる老人男性だ。

 毎朝、決まった時間に、ナカムラさんは目を覚ます。


「おはようございます、ナカムラさん。今日も早いですね」


 部屋の片隅にある、オルタが話しかけてくる。オルタとは、人間くらいの高さの円筒形ボディに両腕が生えていて、顔の部分はモニター画面になっているロボット。

 円筒の底には車輪がついていて、滑らかな床を移動できるのだ。

 Ortanative(オルタナティブ=代用品)が語源であり、この社会では広く普及している。

 ロボットと言っても、基本は外部から操作するものだ。今、目の前にいるオルタは、施設のスタッフが操作している。オルタの顔にあたるモニターには、馴染みの若い職員が映っている。


 実はこの職員、ここの高齢者施設には居ない。リモートワークなのだ。

この施設には、人間の職員がどれほど居るのか、それとも居ないのか。ナカムラさんは、この部屋からほとんど出ないので、よく分からないし、あまり関心がない。

 廊下に出ても共用部屋に行っても、見かけるのは何台かのオルタか、さもなくば、ナカムラさんと同じく施設の利用者ばかりだ。

 通勤に不便な山奥だから、余計にオルタは重宝されるのだろう。


 目の前のオルタは、ナカムラさんの部屋に設置してある専用オルタだ。必要な時のみ、モニターを通じて用事を言いつける事ができる。

 それ以外の時は、モニター画面が暗くなって、部屋の隅で突っ立っているだけだ。


「今朝の食事は、どうしましょうか。お部屋で食べます?それとも、共用食堂で他の皆さんと一緒に?」


 ナカムラさんは、ちょっと考えて、部屋で食べる事に決めた。

 オルタのモニター越しに見える若い職員は、「分かりました」と言いながら、端末を操作した。

 程無くして、部屋の扉が開き、別のオルタが朝食の載った盆を持ってきた。

 ナカムラさんの部屋のオルタは、それを受け取ってテーブルに置いた。

 御飯と味噌汁に焼き魚、卵焼き。焼き海苔とおひたしが添えられている。今日の朝食も、美味しそうだ。

 そのままオルタは、部屋の隅に戻り、モニターが暗くなり待機状態になった。


 ひとり優雅な朝食を楽しんだナカムラさんは、部屋にあるパソコンで、日課にしている能力テストを受けた。

 これはオンラインで行われるテストで、認知症の有無や判断力、反射神経などを検査する。

 結果に応じてランク分けされ、直後に行う労働に反映される。そうなのだ、ナカムラさんは、オンラインで労働するのだ。

 能力テストによるランキングは、一日有効なので、その間に単発の仕事を選んで働く。報酬は電子マネーである。


 本日のテスト結果も、まあまあだな。ナカムラさんは、一安心だ。

 ナカムラさんは、求人サイトを通じて仕事を選ぶ。

 今日のナカムラさんのランキングだと、めぼしい仕事は、警備やら文章校正やら、その他諸々。

 こうした仕事は、本来はAIで出来る事だが、最終チェックで人の目を通す事になっている。法律で、そう決まっているのだ。

 ほとんどの場合、ただ眺めるだけで済むのだが、ごく稀に間違いを見つけた場合は、特別報奨金が得られる。


 ナカムラさんがその日に選んだ労働は、大型ショッピングモールの警備の仕事。と言っても、ナカムラさんが現地に出向くわけでは無い。

 今度は、ナカムラさんがオルタを操作する番だ。ナカムラさんは自室のパソコンを通じて、ショッピングモールに設置された職員用オルタを動かす。

 ナカムラさんは指示された手順に従い、モールの中を隅から隅まで巡回する。

 まだ開店したばかりの時間帯で、お客も少ない。万引きや不審者などは、今のところ見当たらない。

 もっとも、怪しい動きをする者がいれば、AIが画面の中で矢印を表示して注意を促してくれるはずなのだが。


 昼が近くなり、モールの客も増えて来た。客の半分くらいは、オルタだ。

 大型のショッピングモールでは、誰でも使える公衆オルタが何台も設置されている。外部から有料で接続し、モールの中を自由に観て回れるのだ。遠方の客などは、わざわざ出向くよりもオルタの使用を選ぶ。

 かつて、郊外の大型モールは駐車場の広さを誇ったが、今では、設置するオルタの台数が重視される時代だ。


 何事もなく午前中の巡回をこなしたナカムラさんは、昼休憩を取る。

 パソコンを通じて、モールの職員用オルタに「退席」コマンドを送る。これでオルタは自動的に待機場所へ戻るのだ。

 オルタとの接続が切れたナカムラさんは、大きく伸びをする。そして、自室の片隅に居るオルタに声をかけて、昼食の用意を頼んだ。



 ひとまず労働を終えて、昼食のサンドイッチを頬張るナカムラさん。もっと働いても良いのだが、今日は、やめておこう。午後は自由時間とする事にした。

 何をして過ごすか考えたナカムラさんは、先ほど自分が警備したショッピングモールに、客として行ってみる事に決めた。

 もちろん、実際にナカムラさんが行くわけではない。オルタを使うのだ。モールに何台も設置されている客用の公衆オルタだ。

 再びパソコンに向かったナカムラさんは電子マネーを支払い、公衆オルタに接続した。

 パソコン画面の片隅に、「いらっしゃいませ」の文字が、効果音と共に表示された。


 オルタを操作するナカムラさん。巨大モールの中を歩きまわる。

さっきまで自分が警備していた場所だが、今度は客だ。やはり、楽しい。立場が違うと、ここまで印象が変わるものなのか。

 これがナカムラさんの外出なのだ。実際には自分の部屋から一歩も出ていないのだが、オルタを通じてナカムラさんは、どこにでも行ける。

 本来なら、オルタの顔にあたるモニターにナカムラさんの姿が映るのだが、ナカムラさんは料金を上乗せし、CG加工で若返らせた姿をモニターに映している。

 要するに、変装だ。こういう茶目っ気のあるナカムラさんなのだ。


 ナカムラさんは、本屋に入って、何冊か立ち読みした。

 オルタの手は人間の手とさほど変わらない形状なのだが、やはりページをめくりにくい。紙の本は自分の指でめくるに限る。

 ナカムラさんは気に入った本をレジに持っていき、電子マネーで購入した。

 同じものが、後でナカムラさんの住む高齢者施設へ届くのだ。

 紙ではなく電子書籍を選ぶなら、一瞬でナカムラさんのパソコンに届けられるのだが、それではナカムラさんの美学に反する。


 それからナカムラさんは、映画館に入った。

 映画館は、久しぶりだが、まだこの時代に、映画館へ足を運ぶ者がいる事に驚きだ。

 けっこうな数の観客が入っている。

 若い頃のナカムラさんは、筋金入りの映画好きだったが、そう云えば、ここ何年かは、動画サイトでの映画鑑賞をするばかりだった。

 場内が暗くなって、上映が開始される。ああ、この感じ。

 予告編が繰り返される。そうだ、これが映画館だ。

 本編が始まる。観客が沸く。ナカムラさんも、大いに笑い、楽しんだ。この、観客との一体感。

 ナカムラさんは、オルタを通じて映画を観ている事をすっかり忘れるほどに楽しんでいた。


 映画、というより映画館を堪能したナカムラさん。すっかり良い気分になり、勢いで晩酌用の酒を買う事にした。

 もちろんオルタなので試飲も出来ないし、品物を持ち帰る事も出来ない。届くのは、数日先になるだろう。

 実はナカムラさん、外食が苦手である。若い頃から、ひとり部屋でちびちび飲むのが好きなのだ。

 ショップリストの中から良さそうな酒屋を選び出し、行ってみた。

なるほど。品ぞろえが良い店だ。特に日本酒に力が入っている。


 オルタのナカムラさんは、キョロキョロしながら店内を周る。どんな酒を買おうかな。

 ちょうど目の前に、棚の整理をしている店員オルタを見つけたので、売れ筋の酒について訊いてみた。

 振り向いた店員オルタのモニターに映っていたのは、若い女性の顔だった。終始笑顔で接客してくれる、感じの良い娘だ。


「若い方には、最近こちらのお酒が人気になっていますよ」


 と、デザイン性の高いラベルを貼った日本酒を薦めてきた。

 若い方?そうだった、今、ナカムラさんの操るオルタのモニターには、CG処理された若い姿が映されているのだった。

 この女性店員の機嫌が良いのも、ひょっとしたら、ナカムラさんの事を若い男性だと思っているからなのだろうか。


「いえ、それが…。プレゼント用なので、年配の方向けの商品をお願いできますか?」


 今さら本当の事を告げるのもバツが悪いので、ナカムラさんは、このまま若いふりをする事に決めた。

 商品の送り先は、もちろんナカムラさんの暮らす高齢者施設だ。


「承知しました。すぐに発送の手続きをしますね」


 と、女性店員に見送られ、ナカムラさんは、店を出た。


 再び、巨大モールの中をブラブラ歩く、オルタのナカムラさん。先ほどの女性店員の事を考える。

 傍から見ると、若い男性客と若い女性店員との会話だったろう。だが、実際は、そうではない。

 あの女性店員は、もしかしたら、オルタを操作するナカムラさんが年寄りだと察していたのかもしれないな。オルタのモニターに映し出される外見を修正するのは、特に珍しい事ではないのだ。


 いや、待てよ。そう云えば、あの女性店員も、本当に若いのか。ナカムラさんのように、外見をCGで補正していた可能性はあるな。そもそも女性なのかも怪しいものだ。

 ナカムラさんは、先ほどの酒屋での会話を思い出す。あの店員の言葉遣いに、違和感は無かっただろうか。本当に若者の会話だったろうか。

 ナカムラさんとスムーズに会話できたのは、もしかしたら、世代が近かったからなのではないだろうか。

 そういえば、店員がオルタと云う事は、今朝のナカムラさんのように、どこかの誰かがパートタイムで働いていたとしてもおかしくない。

 あの女性店員は酒に詳しいようだったが、操作するパソコン画面にAIが表示する回答例を読み上げれば、誰にでもできる仕事ではないか。


 いかん、いかん。そんな事を考え始めたら、今日の楽しい気分が台無しではないか。

 あの女性店員の中身が誰かなんて、どうでも良いではないか。オルタである以上、その向こうで誰かが操作しているのは間違いないのだから。


 そんな事を考えながらブラブラ歩くナカムラさんオルタの斜向かいに、アイスクリームショップが見えた。

 モールの客の半分がオルタなのだから、売り上げは、さほど良くないのかもしれない。と、ぼんやり考えた。


 店先でアイスクリームをカップに載せて、客に手渡している店員は、人間だ。もちろん、それを受け取る客も、人間だ。

 ナカムラさんはオルタなので、ここでアイスクリームを食べる事は、できない。

 あの店員は…、さすがに、どこかから操作されているわけでは、ないな。


 ふと、ナカムラさんの脳裏に、疑問がよぎった。

 あれ店員は人間に見えるが、実はCGではないのか?


 ナカムラさんは、現地に居るわけではない。店員を肉眼で見ているわけではない。

 オルタのカメラを通し、自室のパソコン画面を見ているのだ。それがAIによる修正を受けてないと、誰が断言できようか。


 そう言ってしまえば、このショッピングモール自体、実在するのか?

自分が見ているのは、全てCGなのでは無いだろうか。客も店も商品も、全てCGではないのか。


 今日のナカムラさんの思考は、ちょっと変な方向に行っているようだ。


 だめだ、どうも疲れているようだ。今日は、早めに寝よう。

 ナカムラさんは、無造作に公衆オルタとの接続を切った。



 ナカムラさんの意識は、高齢者施設の自室に戻ってきた。天井を見上げた。

 疲れたな。この部屋は、壁も天井も真っ白だ。

 ちょっと早いけど、夕飯にしよう。ナカムラさんは、部屋の片隅に佇んでいるオルタに、食事を持って来るよう依頼した。



 満腹になり、ほうじ茶を飲むナカムラさん。少し落ち着いた。

 さて。ナカムラさんの一日は、もうすぐ終わる。

 寝る前に、最後のルーティンをこなそう。

 ナカムラさんは、再びパソコンに向かった。




 ナカムラさんがパソコンに向かったのと同じ時刻の南米某国。

 日本とは、かなり時差がある。今、この国は朝だ。

 とある高齢者施設で目を覚ました、ジョン・スミス氏。

 部屋の片隅から挨拶してくる者がいる。


「おはようございます、ジョン」


 日本以外の国でも、すっかり一般的になった、オルタだ。

 この国の高齢者施設でも、日本と同じようにオルタが活躍している。

 オルタのモニターには、髪を短く切った、浅黒い肌の若い職員が映っていた。

 しかし、その向こうでオルタを操作しているのは、実はナカムラさんだった。CGで外見を変えている。

 回線を通じて、日本から操作しているのだ。

 会話は、AIを通じた完全同時通訳で、自然に会話しているように聞こえる。

 これがナカムラさんの一日を締めくくる労働で、寝る前のルーティンなのだ。


「ジョン、今日の朝食は、どうしますか。共同食堂で食べます?それとも、この部屋で?」


 少し考えて、ジョンは応えた。


「うん、この部屋で食べようかな」


 ジョン・スミス氏の会話もAIで翻訳されて、ナカムラさんには日本語に聞こえる。

 しかし、ジョンの顔にはモザイクがかかっている。プライバシー保護のためだ。


「分かりました。では、そのように」


 ナカムラさんは、今朝、自分がされたように、朝食を部屋運んでテーブルに置いた。


「今日の朝食も美味しいですよ。他に御用はありますか」


「いや、大丈夫。ありがとう、下がってくれ」


 ナカムラさんのオルタは、ペコリと一礼して、部屋の隅の定位置に戻り、待機状態になった。

 ジョンの一日は、これから始まる。




 日本の自室で、パソコンのスイッチを切るナカムラさん。

 これで、今日やる事は、全てこなした。

 寝巻に着替えたナカムラさんは、ベッドに横になった。



 ナカムラさんの一日は、こうして終了した。


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ナカムラさんの一日 桜梨 @sabataro

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