第2話 二人の朝
目覚ましの音が鳴る前に目が覚めた。横を見ると優鶴が幸せそうな顔をして眠っている。まだ6時だ。もう少し眠っていたいところだが、優鶴を起こさなければならない。僕は彼を叩き起こした。布団を剥ぎ取って。すると、彼は悲鳴をあげて目を覚ます。
「まだ…。起きたくない…。」
そういって布団に隠れ潜り込む彼の枕の隣にはスケッチブックが置いてあった。確か、こいつ絵が得意だっけ。こっそり開いてみると、昨日の綺麗なりんごの木が描いてあった。次のページにはこの部屋から見える浮遊町。またその次のページには、絵ではなくて写真が貼ってあった。マフラーをしてりんごの木を見つめる…僕だった。これは見てはいけないものを見てしまったと思って、咄嗟にそれを閉じた。
「優鶴!起きないと遅刻するぞ!」
母親みたいなことを言ってみる。僕は言われたことないけど。
「え!何時?」
「もう7時!」
彼は慌てて飛び起きる。時間をサバを読んで伝えるのも母親風だ。彼は急いで支度をした。朝食はサンドイッチ。パンに具材を挟んで、ラップで包む。トースターで温めればすぐに食べられるという優れものだ。
「さすが喫茶店の家だ…美味しいよ…」
「感動する気持ちもわかるがそんな時間はもうないぞ。」
そう言ってやると、腕時計を丸い目で見ていた。
「嘘!俺の時計狂ってるんだけど…まだ6時半だって…」
僕が起こすときにサバを読んで伝えたから勘違いを起こしているようだ。ちょっと黙っておこうか。でも、優鶴はすぐに気づいた。
テレビをつけてしまったからだ。
「あれ?ねえ、青葉の時計ズレてない?」
「ご心配ありがとう、でもサバを読んだだけさ。」
食べ終わって歯磨きをしている時に、優鶴は玄関を飛び出して行った。家に着替えに行ったのだろう。僕も制服に着替えてかばんを持った。
「行ってきます!」
扉を開くと眩しい朝日が目に飛び込んでくる。冬の澄んだ空も僕に顔を出して挨拶をしているようだ。学校までの道をローファーが音をたてながら歩く。
「おはよう、青葉。」
優鶴の額にじんわりとした汗が光る。
「あー、せっかく迎えいこうと思ったのに。」
「申し訳ないわそんなのー。あ、あとこれ。」
手には紙袋が掴まれていた。
「何、これ…。」
僕が袋の中身を覗くと、僕の貸したパジャマが畳まれて入っていた。
「忘れてた。お前寒くなかった?」
「全然、走ったからさ…」
彼はそう言いながら、僕の隣を歩いている。二人で白い息を漏らしながら、学校へと靴を響かせた。ガラッと教室の後ろのドアをゆっくり開けると既に数人が登校して来ていた。昨日の歌番組見たー?アイドルのあの人、結婚したらしいよ。
などと会話があちこちで飛び交っていた。そんな中で自分の席へ向かうと、机の上に石みたいな物が置いてあった。青いけど黒くて、また黒かと思ったら緑。角度や光の差し込み方で色の変わる不思議な宝石だった。ジャケットの内ポケットにそれを放り込む。これが誰のもので、なぜここにあるのかはわからないけど、僕はなんとなくこれを持っていたかった。
「おはよ。」
優鶴じゃない爽やかな声が耳を通り抜けていった。振り向くと、ビターチョコレートみたいな髪色の彼が、こちらをアーモンドのような目で見つめている。
「おはよう。」
彼の名前は天崎春馬。歌の上手いやつだった。僕も優鶴も歌には自信があったけれど、こいつは別格だ。いつもニコニコしていて、優しくて気が利いて、頭もいいし運動もできる。完璧超人ってこういう人のことを言うんだろうなと、僕は思った。軽音部に入っていて、ボーカルかと思いきやドラムだそうだ。
「青葉くん、今週の土曜日って暇?」
「午後は暇だけど…なんかの誘い?」
彼とはクラスが同じだから話すという、いわば級友というやつだ。だから、今週の土曜日もいう2文節が彼の口から発せられた瞬間、僕はちょっとビビった。なんか呼び出されて真剣な説教されたらどうしようって。彼は完璧超人なので、生徒会にも入っている。だからまだその筋も否めないのだが。しかし、そんな僕の憶測は全くと言っていいほど当たらなかった。
「いや、サイクリング行かないかなーって。」
なんだ、サイクリングか。そう安堵した。
「いいじゃん、どこに行く?」
「まだ決めてないんだよね、よかったら今日の放課後公園でも言って話さない?」
彼の言動ひとつひとつから謙虚さや真面目さが滲みでている。カフェに行こうと誘わず、公園に行こうと言うあたり、ポイント高い。
「それなら提案があるんだけどさ、僕の家、喫茶店で。そこなら叔父さんが席用意してくれると思う。暖かいし。」
こちらも気の利く奴アピールをここぞとしていく。関係を積み上げていって最後には勉強を教えて貰おうという算段だ。
「本当に?じゃあお願い!優鶴くんは来る?」
「ごめん、俺今週の土曜は大事な用事あってさ、どうしても行けないんだよ…。」
大事な用事があるとは初耳だったが、そこはスルーしておく。あいつの大事な用事はきっとスケッチだ。
前の扉が横に動くと、先生が入ってきた。授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。
今日も一日が始まってしまった。
僕は数学の授業を受けながら、優鶴に話しかけた。
〈お前の好きな色は?〉
優鶴からの返事はすぐに返ってきた。
〈青!〉 やっぱりか。
僕はノートの端に青色のペンで塗りつぶす。優鶴は興味深そうにそれをチラチラ見る。できた。
〈出来たー〉
ノートの端に書かれたのはケーキを食べるゴリラ。僕は優鶴みたいに上手くは描けないが、伝わるだろうか。一応優鶴がずっとチョコレートケーキを食べているのを可愛らしく表現した作品なのだが。
「うはっ…!」
つい大きな声で吹き出した優鶴。先生の目線が隣に向けられる。クラスメイトの視線も蜘蛛の巣のように四方八方から向けられていた。
「どうした?伊勢、ここの答えは?」
急に問題を振られる伊勢、こと優鶴。
「ええと……あ、13x!」
「正解。」正解を答えられてしまったので先生はちょっと悔しそうだった。僕のノートの隅では、まだゴリラがケーキをむさぼり食っている。僕は少しだけ、優鶴のことを見直した。
優鶴は美術の時間、絵を描いていた。僕が覗き込むと、そこには僕がいた。
「なんで僕?綺麗だけども。」
美術の時間はほぼ自由時間みたいなもので、優鶴の隣でずっと絵を描いていた。
「あのときの青葉の目に反射した光が綺麗だったから。まだ脳裏に焼き付いて離れねぇよ。」
彼は恥ずかしげもなくそう言った。僕が目を丸くしていると、彼は続けた。鉛筆が分厚い紙に僕の髪の毛を描いていく。チラチラと僕の髪の毛や顔を見て、鉛筆はなめらかに走る。
「恥ずかしいんだけど…。」
「かっこよく描いてやるから我慢してよ。」
少し笑って鉛筆は走り続ける。僕も自分の絵に取り掛かる。描いているのは林檎の木。あの日、優鶴と一緒に見た、光る葉っぱの綺麗な木だった。思い出すと、胸が熱くなる。いや、実際になんか暖かくなってくるような…。
「…青葉、なんか拾った?」
唐突に神妙な顔つきで投げかけてくる彼。心あたりといえば今ジャケットの内ポケットとに放り込んである石くらいだ。
「石拾った。ていうか、机の上に置いてあった。」
ポケットからそれを取り出すと、手に温もりが伝わる。胸が熱くなったのはこれのせいか。僕が納得しているのに対して、優鶴はそれを食い入るように見ている。そして、描き途中のデッサンの横に置いて、デッサンを始めた。
「ねぇ、なんでわかったの?」
僕の問いかけには反応を示さなかった。きっとデッサンに集中しているだけだろう。優鶴は集中すると声が届かなくなるし。そんな彼を見つめていたが、美術室の陽の光に照らされて輝く彼の額の汗を僕は見逃すことができなかった。
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