浮遊町

みけ

第1話 深夜の浮遊町

 その町は、夜中になると浮かび上がる。僕は雨傘が煌めく一夜にその町を喫茶店の窓から眺めていた。


「あー、終わんねぇ。」


 そんなことをうち沈んだ声で呟く彼。僕はふと店内に視線を戻した。彼の手元にはA4の大きな紙とペン。そして、既に空っぽになったザッハトルテの皿。


「なんかケーキ取って来よっか?」


 僕が気を利かせてそう言うと、待ってましたと言わんばかりに首が上がる。


「ほんとに?じゃあ、フォンダンショコラで!」


 きっとザッハトルテを食べ終えた頃から次食べるものを決めていたのだろう。それくらいに彼の返事は早かった。僕が喫茶店でこんなにも自由にケーキを取りに行けるのにも理由がある。


「あれ、楓さん?」


 そう、今キッチンの椅子の上でうたた寝をしているのが僕の叔父の楓さん。二人でここ、「喫茶 星間堂」に住んでいる。


「楓さん!起きてください…。」


 僕が体を揺すると、目がゆっくりと開いた。


「ごめんごめん…。青葉くん…」


 楓さんの瞼は徐々に落ちていき、再び目を閉じた。無理もないだろう。今の時刻は午前1時32分。僕たちだけのために喫茶店を深夜まで開けてくれているのだ。楓さんを担ぎ上げて寝室に連れて行く。大学を卒業してすぐの成人男性を担ぐのは高校生の僕にはなかなかの苦行だったが、あそこで寝たままなのも困るのでなんとか運ぶことができた。ベッドに寝かせると、楓さんは再び眠りについた。キッチンへ戻り、大きな両開き冷蔵庫の上段に手を伸ばす。皿に乗ったフォンダンショコラにラップがかけてあって、『優鶴くん』と、楓さんの字で書いてあった。あいつはここに来ると毎回ザッハトルテとフォンダンショコラを食べるので予想はできていたのだ。それを木のちょっと洒落たお盆に乗せて、コーヒーも入れて持っていく。我ながら気が利く。


「優鶴ー。持ってきたよ。」


 頭をかきむしりながら考えていた彼は咄嗟にペンを置いた。


「あぁ、最っ高…!いただきます!」


 ペンの代わりにフォークを持ってケーキを切っていく。中から黒いチョコレートソースがこぼれ出てすごく美味しそう。


「どう?進捗は。何やってるか知らないけど。」


 そう聞くと、ケーキを食べながら、


「ケーキのおかげで終わりそうだよ。何やってるかは内緒ー!」


 ともごもご喋った。また外に目をやると、ガラス越しに街の風景がよく見える。その奥に、「浮遊町」はあった。


「ねえ、お前がそのケーキ食べ終わったら浮遊町見に行かない?今日なんか綺麗。」


 優鶴はちょっと焦ったように外を見る。僕がさっきケーキがいるか声をかけたときよりも早く。


「どうした…?そんなに焦って…」


 と、茶化す。


「いや、綺麗なものは早くみたいっていうか…」


 彼は急いでフォークを口に運ぶ。


「さ、行こっか!」


 食べ終えると勢いよく立ち上がって上着とかばんを用意していた。


「珍しいな。お前そんな夜景好きなの?」


 ケーキを早く食べてまで外に出たかったのだろうか。それは甘いもの好きの彼にとっては珍しいことだった。課題よりケーキ。ゲームよりケーキが好きな彼にそれ以上に好きなものがあったとは。


 大発見である。


「ん?あぁ、まぁな。俺夜景好きなんだよね。」


 意外だなと思いつつ、玄関に向かう。ドアを開けるとそこには雨上がりの夜空が広がっていた。星々が輝きを増していて、その光を反射する水滴がキラキラと輝いている。「うわぁ……綺麗……。」


 思わず感嘆の声が出るほど美しい光景だった。


「行こうぜー!」


 僕が夜空を見上げている間にも彼は歩いていたようで、店の前の階段を降りた先にいた。相当な夜景好きだ。


「早いって…待ってってば!」


「夜明けまでは短いぞ!早く浮遊町見よ!」


 浮遊町は日没と共に浮き上がり、夜明けと一緒に地に戻っていく。と言っても夜明けまではあと5時間ほどあるのだが。


「でも浮遊町って夜は立入禁止じゃなかった?」


 僕がそういうと、彼は呆れたような顔をしてこちらを振り向く。


「お前それ本気で言ってる?」


 そう言われても思い当たる節がない。首を傾げている僕を見て、彼はため息をつく。


「これだから夜景にわかは…。やれやれだぜ。」


 かなりムカつくが、言い返せないのが悔しい。


「でも、立入禁止云々よりも入れないでしょ?」


 上空50mくらいにあるその町に入ることはきっと跳躍力のすごい運動選手でも無理がある。


 しかし、彼は僕の手を引っ張って走り出した。


 12月の寒い風が頬を撫でていく。


「入れる入れないじゃない。入るんだっ!」


 優鶴が地面を勢いよく蹴ったその瞬間僕たちの体は宙を舞った。僕は慌てて空中でバランスをとる。優鶴は僕の腕を掴んだまま革靴が着地。


「はい、到着!」


 目の前に広がるのは、浮遊町の風景。下にはさっきまでいた喫茶店が見える。


「え、なんで?どうやって入ったの?」


 混乱している僕を横目に、彼は写真を撮りだした。夜景好きは恐ろしい。町へどんどん入っていく。


「あー!待って!」


 僕は走りづらい靴で来たことをものすごく後悔して、彼を追いかけた。本当は彼の脚がどうなっているのか見たいところだが、それを掻き消すくらいに町は綺麗だった。浮遊町は僕らの住む町の上空にあるので、家の屋根の上とかを通ると、星空のカーペットの上にいる気分になる。とても神秘的で不思議な場所なのだ。


「見てみろよ青葉!」


 彼が指差す方を見ると、そこに見えたのはりんごの木。葉が青っぽく発光している。


「綺麗だね…」


 僕の口からは言葉とともに白い息が出ていく。もう何にも突っ込む気にはなれなかった。浮いている町なんだから光る葉っぱがあってもおかしくないと思ってしまっていた。


「いいの撮れた!」


 彼は満足気に微笑んで写真を確認する。写真は見せてくれない。


「今日の浮遊町が綺麗なのってこの木のせいかな?」


 優鶴にそう聞くと、彼は何も言わなかった。


 木に見とれているようで、ぼーっと眺めている。


 知らない顔だった。幼馴染の知らない顔。


 どこを見ているのかも、なにを考えているのかもわからない顔。


「……優鶴?……おーい、優鶴!」


 何回呼んでも反応しない。彼の体をぽんと叩いたところで彼はこちらを向いた。


「ごめんごめん…見惚れちゃって…」


 浮遊町は今日は一段も美しい。彼の見惚れる気持ちも十二分に理解できた。


「お前も見とれてただろ?あの時。」


 優鶴は悪戯な笑みを浮かべて言う。

「…木にね。」

「嘘つけ!顔真っ赤にしてたじゃん!」

 彼は笑いながら指摘してくる。恥ずかしいけど、嬉しい気持ちも少しあって。

「あ、流れ星……」

 彼はそう呟くと、何か願い事をしたようだ。

 なにを願ったのか聞いてみると、彼はだんまりとして微笑んだ。夜空の星達は絶え間なく瞬いている。

「帰ろっか。」

 彼は僕の腕を掴む。

 そして、また地面を蹴って地上へ降りていく。

 風は上ったときより強くて、下から僕らを煽る。

 地面に着地してもなぜか痛くなくて。この感覚は昔博物館で体験した月の重力、あの感じに似ていた。帰り道は優鶴が前を歩いていて、僕の腕を掴んでいる。その手から伝わる体温が心地よかった。その手を離さないでほしい。僕はそんなことを思いつつ、黙々と歩き続ける。



 喫茶店のドアを開けると、暖かい空気が僕たちを包み込んだ。

「優鶴。今日泊まっていきなよ。遅いからさ。」

 時計の針は2時半を指している。明日は学校だけど、朝早く起きて準備させればいいだろう。

「そう?じゃあ遠慮なくー…」

「僕食器洗いしてくるから、お風呂入っちゃってよ。僕のパジャマも貸してあげるし。」

 僕はそう言ってキッチンに向かった。

 優鶴がシャワーを浴びている間に、僕はケーキを冷蔵庫に入れて、コーヒーを入れた。いつも楓さんが飲んでいるやつだ。カップを持ってリビングへ行くと、優鶴がソファに座ってテレビを見ていた。髪はまだ濡れていて、タオルを首からかけている。

「お風呂ありがと!青葉は入る?」 

「お前が来る前に入ったから着替えて寝るよ。」

 僕と優鶴は寝室まで向かった。コーヒーを持って。暗い部屋の電気を常夜灯にして、開けっ放しのカーテンを閉める。

「優鶴ベッドで寝な。僕下で寝るから。」

「そんなこと俺にはできん!一緒にベッド入ろう?暖かいでしょ?」

 僕はその後も僕が下で寝るように説得しようと試みたが、結局二人で同じベッドで寝ることになってしまった。

「俺寝相やばいけど許して!」

「無理。」

 僕らはコーヒーを飲んでから眠りについた。その後、優鶴の寝相が酷すぎて眠れなかったのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る