03【強制婚約宣言】
「さて……」
王太子は颯爽と壇上を降りマントがなびく。そのまま会場の中央を進み、護衛の四人も左右に分かれて付き従う。
人垣が割れ、一番奥の席で小さくなっていたアレクシスと王太子との間には、何者も遮らない空間ができた。
「リンドブロム・アレクシス嬢っ!」
「はっ、はいっ!!」
突然に名前を呼ばれ、アレクシスは弾かれたように立ち上がった。この状況を理解出来ないのは、両脇に座る二人の親友も同じだ。不思議そうに王太子とアレクシスの顔を交互に見つめている。
「これへ……」
アレクシスの思考は停止した。言われるままに、まるで夢遊病者のように前に歩み出る。そしてその眉目秀麗の御前に立った。
「
「……」
「ぜひわたくしの妻としてこの国を、このヘイデンスタム・ヴィクトルをお支え頂きたい」
「は???」
ヴィクトルは微笑を浮かべ見つめているが、アレクシスは目をそらして周囲を見回す。
会場にいる紳士淑女全ての視線がこの二人に注がれていた。それらの顔は、まるで奇異なものでも見るようであった。
(えっ、えええーっ! ごっ、護衛は、マティアス様は……、は?)
この異常事態にもかかわらず、その護衛は会場の隅々に厳しい視線を送ってた。アレクシスはそのしかめっ面に落胆しつつ、とにもかくにも目の前のイケメンに対処しなければと、作り笑顔と厳しい表情がないまぜになったまま王太子に向き直る。
ヘイデンスタム・ヴィクトルは右手をサッと上げた。
「お前たちは下がっていろ」
護衛たちはまるで隊列の後進のごとく秩序だって数歩引き、無情にも気になる人が離れて行ってしまう。二人を囲んでいた客たちの輪も驚いたように数歩引いた。
王太子は更に前に進み入り跪く。そしてアレクシスの手を取ってキスをする。
「あ……」
アレクシスはここまでされても、それでもまだ意味が理解できないでいた。
立ち上がった王太子は、つかんだままの手を引く。そのまま寄せられ、表情を間近に見たアレクシスは顔をそらした。このままではキスをされる、と思ったからだ。
耳元に顔を寄せたヴィクトルが小さくささやく。
「断れば君の家は取り潰しだ。財産も領地も全て召し上げ、更なる僻地に放逐してやろう」
「ご、ご無体が過ぎますわ。いったい何をお考えなのですか?」
アレクシスもまた笑みを絶やさず小声ではかない抵抗を示す。こんな話を周囲に聞かれるわけにはいかない。
「低級令嬢の知るところではないな。お前に選択肢などないのだよ」
カッと頭に血が上るが、アレクシスは穏やかな表情を崩さない。
「このわたくしには、何もかも投げ捨てる覚悟がないと思ってらっしゃるのですね?」
ヴィクトルは少しはにかむようにして首を傾げる。客たちは混乱するアレクシスを、王太子が優しく諭していると思うに違いない。
「ふふっ……。護衛の一人を閑職に追いやり一生飼殺してやることもできるぞ」
「なっ!」
「よく考えるように――ね……」
ヴィクトルはそう言って、内容とは真逆の爽やかな笑顔を見せた。そしてアレクシスの華奢な手を放してサッと上げる。その落差にアレクシスは更に混乱した。
「ごきげんよう、我が愛しき婚約者よ」
そう言い残して、ヴィクトルは颯爽と去って行く。宴は突然に終りを見せた。
「あっ……」
会場の中央に、アレクシスは一人ポツンと取り残されていた。唐突な出来事に思考がまったく追いついてこない。周囲もまたあっけにとられていたが、しだいに状況を理解し始める。
この少女が突然に王太子の婚約者になったのだと。
将来この国の王妃になるのかもしれないと。
いったい何者なのか? どのような卑怯な手を使えばこのような奇跡が起きるのか?
アレクシスはこちらを睨んでいる、一際鋭い憎悪の視線に気が付く。茶番に付き合わされていた、元婚約者候補たちだ。
すまし顔でヴィクトル見つめていた令嬢は、やはりすまし顔でアレクシスを冷ややかに見つめている。従者と小声で話してから視線をそらした。
豊かな金髪は王者の風格を漂わせている。その髪をアップにして、体のラインを見せるドレス姿はまるで鋭利な刃物のようだ。
氷の精霊を具現した女性がいるならこのような姿になると思わせる、婚約者の最有力候補と目されていた高級令嬢であった。
両拳を握りしめていた令嬢は怒りの表情でアレクシスを睨んでいた。ウエーブのかかった赤毛は燃え盛る炎である。世間に知られた性格はただただ武人であり、将ならば
両膝を床に着き両手で顔を覆ってた令嬢は立ち上がってから、意外にもアレクシスに笑みを見せた。翡翠の髪色に感情を見せない表情はまるで森の精霊のようだと噂されている。
茫然自失で立ち尽くしていた令嬢の、流れるような水色の髪はどこかはかなさを感じさせ、立ち姿は繊細なガラス細工と評されている。彼女が魔力で作る輝く防盾を見た者は、まるで妖精の羽のようだとため息を漏らすらしい。
四人とも同じ学院に通うトップクラスの高級令嬢たちである。そしてたった一人の婚約者候補に躍り出た低級の令嬢。
好奇の目にさらされ、いたたまれなくなったアレクシスは会場を飛び出し、二人の親友も後を追った。
一部に魔獣の脅威、東の隣国との領土紛争など抱えてはいるが、ヴェルムランド王国は長く平和を享受していた。
国の経済は安定し国民の暮らしぶりは豊かである。それもこれも王家の統治あってこそだと国民は思っていた。
だからこそ王太子の婚約者選びも、当然注目を集めていた。今夜のパーティーは、国の次期国王による王妃選びの儀式である。
本来であれば、あと数カ月を経て婚約者が一人に絞られ、めでたく婚姻の運びとなるはずだった。
しかし今夜、長く続いたしきたりが一人の若者によって、ひっくり返されてしまったのだ。
「ねっ、ねえ。大丈夫? 気をしっかり持ってね」
「はい、マルギット。大丈夫です……」
「一体全体、何が何やら……」
「そうですね。ロニヤ……」
帰りの馬車の中でも、アレクシスは半ば放心状態であった。未だ起こった現実が理解できないでいる。
そして思う。
「何かがあるわ……」
そんな言葉が思わず口をつく。親友の二人は顔を見合わせた。
「何かって?」
「分からないわ。だけどこれがまともな話だとは思えないし……」
マルギットの問いに答えにならない返答をしてから、アレクシスは両手で顔を覆った。さっきまでの平凡な低級貴族生活は間違いなく終わる。そして代わりにやって来るのは、間違いなく厳しい低級貴族生活だ。
「そりゃあそうよねえ。アレクがこの国の王妃様なんて……。それに殿下に溺愛されてねえ……。二人で色々なことをしたりとか……」
「それはあり得ません! 私はさんざんいじめられて破談になりますから。変なことは想像しないでください」
アレクシスはロニヤの妄想がこれ以上暴走しないようにクギを刺した。そんなことにはならないように知恵を出して欲しいと思う。
「ねっ、色々ってなあに?」
「夜寝室にお呼ばれするとか?」
「きゃーっ。アレクは王国中の女子を敵に回すわねっ」
「もう……。いいかげんにして下さい」
(でも、少しはそちらの話で盛り上がっても良いかもしれません。妄想の範囲内でしたら)
たぶん気を使っているであろう二人の明るさは救いになる。アレクシスはこれからを悲観ではなく明るく想像しようと思った。
(人質代わりに使った護衛って――、やっぱりそうよねえ……)
王太子はアレクシスとマティアスの関係を知っているのだ。
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