第6話千反田大治。1990

 結局のところ、大治は地区大会の予選から全国大会決勝まで334ゴール決めて優勝した。

 むろん、それ以上、倍くらいは決めれただろう。

 だが、未来あるサッカー少年に心の傷を作らせないように配慮した結果がそうだった。

 これでも充分大人げないといえるであろう。




「東京に行かせてほしい?」

 唐突なお願いに、大治の父は困惑した。


「日本サッカー協会がすべてバックアップして面倒を見ます。大治くんは国の宝です。無下に扱うことはいたしません。お約束します」


 東京での全国大会が終わると、サッカー協会のお偉いさんと、書買かきかいサッカークラブの幹部とがやってきて、大治の両親の説得を始めた。

 日本はワールドカップ開催に、立候補しようとしている。

 そのため開催国枠で出る前に、通常枠で出場したという実績が欲しい。

 大治の存在は、国家問題として取り扱われそうになりつつある。


「でも、大治はまだ12歳ですよ。そんな年で親元を離れるなんて……」

 母も戸惑いを隠せない。

 

――それはそうだ。親なんだから


 大治も、元の世界で親になるところであった。結果としてなりそこねたが。

 逆行転生してすらもなお、あの生まれてきたであろう子供の行く末が気になる。

 この千反田大治の親は言うまでもない。

 

 父親は疲れた身体を引きずってでも毎日、大治と一緒にお風呂に入った。

 そして、今日はなにをしたか、誰と遊んだか、テストで何点取ったか、などと訊いてくるのだ。

 母親も大治が汚した服やら練習着、ユニフォームなどを毎日文句も言わずに洗濯してくれる。

 赤ん坊がいるにもかかわらず、料理も手抜きをしない。

 この1年でコンビニ弁当で済まされたことなど一日もない。

 大治は自分が本当に大事にされていることを感じた。

 温かい家庭は、まるで本当の親子のように居心地が良かった。


 だが、あえてサッカーの話題に触れることはなかったような気がする。

『いずれサッカーに子供を取られる』ことを薄々察知していたのであろう。

 早すぎるそれは、千反田大治の両親にとって、痛恨事であったに違いない。


 一度は決心したはずの大治も迷ってしまう。

 前世を大事にするか、それとも今世を謳歌するか。

 未来のことがある程度わかっている以上、普通の生き方はできないことはわかりきっている。


 東京から、週に一度はサッカー協会の使者がやって来る。

 そのしつこさに辟易しながらも、両親はやがて折れてきた。


「大治。おまえの気持ちが一番大事だ。おまえはどうしたい?」

 そう問う。


 大治はこの1年でお兄ちゃんになった。

 弟が生まれたのだ。

 大治は12歳差の弟を可愛がった。

 おむつの交換もしたし、ミルクを与えもした。

 大治からすれば、親としてやっていくはずだったシミュレーションをやらせてもらっているような感覚であった。


――前世の子供はどうなったであろう


 お金は充分あった。

 相続税を払っても、十分やっていけるであろう。それだけの稼ぎはあった。

 だが、父のぬくもりは永遠に与えてやれない。


 そこが気がかりであった。

 

――今の自分があと3年で全日本に選ばれて、ドーハの悲劇を防ぐ?


 やれるだろうか。自問自答した。






 数週間後、やってみないとわからない、という結論に落ち着いた。

 前世の自分を生きながらえさせるために、今世で頑張る。

 そうなるとどうなるのであろう。1994年に千反田大治は消えて、西片大治にまた生まれる?

 それも、やってみないとわからない。


「俺、東京に行きたい」

 そう意を決して、告げた。


 早すぎる家族との別離宣言であった。


「おまえが言うならしょうがない」

 簡単に承諾しなかった両親は、あきらめたかのように天井を眺めながら言った。

 弟が生まれたから、そっちのほうに生きがいを感じたのかもしれない。


 諦観した父母は、それでも大治のためにと、思い出作りを一生懸命してくれた。

 日曜日には遊園地や動物園、映画鑑賞などに行くことを毎週してくれるようになった。


 あるとき、アニメ映画を父と見に行った。

 泣く場面ではないのに、なぜだか涙がこぼれてきた。

「どうした、大治。今のところは泣く場所じゃないぞ」

 はじめは笑っていた父だったが、大治が本気泣きを繰り返すと慌てて抱きしめてくれた。


――こういう人たちを捨てて、俺は行くんだ


 懐に抱かれながら、大治は命の使い方を理解した。


――未来の、その先の未来のために、俺は歩み始めるんだ


 零れてくる涙を、口先がとらえた。

 しょっぱい塩味がした。

 もう二度と味わいたくない、悲しい涙は懲り懲りだ。


――今度味わうときは、うれし涙でありたい


 両親のぬくもりに、そう、決心した。




※※※※※




「大治! 中学は東京行くって本当か!?」

 早耳のクラスメートがそう尋ねてきた。


 大治はゆっくりと頷く。


「かぁ~。大治と一緒なら全中も楽勝だと思ったのになぁ~」

 吉本がそう言って嘆く。


 早いか遅いかの違いなのだ。

 人生は決断を迫られる。

 その過程でいかに周りを切り捨てられるか、が勝負を決めることがある。


 千反田大治という大人少年・・・・は12歳で人生を決めたのだ。




 そして卒業式のシーズンがやって来る。




『卒業生、答辞!』

「はい」


 大治は卒業生総代として答辞を行う。

 ひとり田舎を離れて、大都会でやっていく上での大人たちの粋な計らいであった。

 シャイでスポットライトを嫌う彼ではあったが、ここは引き受けるべきであろうと感じたのだ。


「答辞……」

 この年代に逆行転生して1年。

 自分が思ったこと、感じたこと、勝ち取ったもの。様々なものが頭の中を走り回る。

 29年目の人生は、順調すぎるほど順調であった。

『ドーハの悲劇生まれ』ではなくなって、『王貞治の栄光の日』に生まれたからであろうか。

 半分本気、半分冗談でそう思った。

 もう心臓の心配もない。


『仰げば尊し』の合唱が始まる。

 この年代では、卒業式の定番ソングはほかにはあまりないようであった。

 だが、変に流行の卒業ソングを歌うよりかはよっぽど『仰げば尊し』が大治は好きだった。


 東京の中学に転校する際に、詰襟学生服のサイズを採寸した。

 

 153cm・41kg


 前世では172cm・68kgまで育った。

 この千反田大治という男はどこまで育つのであろう。


 同級生のほぼすべてが、県立中学に進学する。

 おそらく、もう将来の目標を定めているのは大治くらいだろう。


 過去のために過去を捨てるというのか。

 それとも未来のために未来を捨て去るのか。

 わからない。答えは出ない。


 ただ、今世を懸命に生きることによって、二人分の人生を背負うことをこの年齢で余儀なくされたのだ。

 周りから見れば、ただ小学校を卒業したに過ぎない。

 通過点だ。


 だが、大治にとってはもはや二足の草鞋を履くことは許されない。

 目標以外に向かって生きることは、これで終わりを告げる。

 目指す場所が場所であるために、容赦のない無責任な放言も吐かれるであろう。




 そんな大治を引き止めるものがあった。

「よっ!」

 軽口を叩いてきたのは、意を決した高木文であった。


「大治くん、あたしと一対一やって!」

 そう言って、彼女はサッカーボールを差し出してくる。

「最後の思い出に……?」

 彼女はかぶりを振って言った。

「ううん。あたしが勝ったら、東京へ行くのをやめて!」


 卒業式の記念撮影を終えた親子連れが、周りに増えてくる。

 大治と文を中心として、ドーナツ状にそれは拡がった。


 大治は意図を理解し、ボールを受け取った。

 彼女は、自分を行かせたくないのだ。

 もちろん、その理由もいささか察している。

 だが、ここで仏心を見せるわけにもいかない。


 大治のドリブル突破は何回も繰り返された。

 文が一度もとれる気配すら見せない。


 20回ほどそれが繰り返されただろうか。

 文は意を決したように、スライディングタックルを繰り出した。

 ひらひらしたスカートしか身につけてない上に、よりにもよってアスファルトの上で。


 しかし、大治はボールごとジャンプして、それをヒラリとかわす。


「う~。やっぱり、女って限界がある……」

 血が出た太ももをさすりながら、文はそう呟いた。

 今の大治になら、もしかしたら勝てるかもしれないと文は思ったのだ。

 これから年を重ねるにつれて、男女の身体能力の差はひらく一方。

 だから、大治を止めるには今しかなかった。


「高木。大治を気持ちよく行かせてやろうぜ」

 卒業証書を片手に持った吉本が、そう声をかけた。


「うん。わかってはいるんだけど……」

 半分、泣き声になりながら、文は答えた。

 そして、女座りの体制から立ち上がると、左腕で涙を拭いながら言った。


「大治くん。また……ね」




※※※※※




 家に帰ると、大治はスポーツバッグの中身をチェックしなおした。

 卒業式が終わってすぐ次の日に、上京。

 母に車を出してもらい、駅へと向かう。

 早春を告げる桜の開花が色とりどりに大治の網膜を焼き付ける。

 1年過ごしただけであるから、故郷と呼べるものであるかはまだわからない。


 家族以外に、出発の日付を誰にも知らせていない。

 だから、家族との別れだけで終わる。





 はずであった。




「おせーよ、大治! もう行っちまったかと思ったぜ」

 そこには、サッカー少年団のみんなが集まっていた。


「あぁ~あ。大治と一緒なら全中も勝てたはずだったのに」

 吉本がまた以前と同じことを言う。

「それを言うなよ。俺らは俺らで頑張りゃいいじゃん!」

 ほかのやつがそう言う。


――そうか


 大治は悟った。

 大治にとっては29分の1に過ぎない時間を過ごした相手だったが、彼らにとっては12分の1。

 しかも、全国大会で優勝するという成功体験を与えたのだ。

 それが大治個人の力に大きく頼っていたにしても、多大な影響を与えたに違いない。


「大治くん……」

 高木文が、決意を固めたかのように一歩前に踏み出す。

 周りはヒューヒューと囃し立てる。

 これから先に何が起こるかをわかって期待しているかのように。


「大治くん、あのね。あたし……」

 そう言って両手を差し出してくる。

 

 ミサンガだった。

 赤と黄色と緑が綺麗に編み込まれた、それを大治は手に取った。

 そして文は、自分の左手首を見せる。


「おそろい、だから……!!」


 とても、とても不器用な告白、なのかもしれない。

 確信は持てない。

 大治はそれをどうしようか迷った。

 だが、いたいけな少女の心に傷をつけるわけにもいかない。

 彼は自らも左手首に巻き付けた。


「ミサンガ、切れたら連絡してね」

 そう言うと彼女は一歩下がった。


 もし本来の高木文に、運命の相手がいるのであれば、この告白を受け入れたことはどうなるのであろう。

 ふと、そんなことが頭に浮かぶ。


 電車がやって来る。

「頑張って行って来いよ!」

 卒業式は母に任せたが、大事な息子との別れの瞬間を逃してはいけないと、仕事を抜け出してきた父がそう言った。

 不思議なことに涙はもう出なかった。

 あの映画を見たときに枯れ果てたのかもしれない。

 そう思った。




 プラットホームと電車とを繋ぐ扉は、境界線であった。


 大治は少なくとも、4年はサッカーに人生を捧げる境界線を越えようとしている。

 その一歩が地面に付いたときから、大治の修羅の道が始まる。

 彼は躊躇せずに右足を地面に降ろした。


 今世の自分と来世の自分、ふたり分の運命を変えるかもしれない大治の人生はなかなかに険しい。


 大治は全身に震えを感じる。

 臆したのではない。武者震いというやつだ。




 西片大治から千反田大治

 

 おそらくこの瞬間に、彼の魂はサムライブルーに再び染まったのだ。

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