第3話千反田大治。1989・その2

 どこまで吉本が本気にしたかは、わからない。

 だが、事実としてチームの戦力になると思ったのであろう。

 基本的に4年生からの入団しか認められていないサッカー少年団の上部に掛け合ってくれたようだ。


 4月とは思えない暑い日差しが肌を刺す。

 地球温暖化というのは、そろそろ問題化してくるはずだ。

 充分、ウォームアップした身体からは、蒸気のように湯気が出ている。


「じゃあ、ちょっとやってみようか」

 少年団の監督、石原がそう言った。


 例外を認めるからには実力を試す、とのことだ。

 ということは、ここで石原を抜けなければ入団はアウト、ということだ。


「本気で行くよ?」

 そう言う石原に対して、

「どうぞ」

 と、大治は年上に対して慇懃に答えた。




 石原は『一丁、揉んでやるか』とでも言いたそうな体制に入った。


 10メートル手前から、大治がドリブルを開始する。


 ボールタッチは年齢に似合わずしなやかで、両方の足を器用に使って前進を開始する。


 そのシルクを扱うかのようなボールコントロールに、石原は警戒したのであろう。


 少し腰をかがめて、シニアリーグで戦う相手を目の前にしたかのようになった。


 3メートル手前になると、石原は少し後ずさりする。


 本気になった証だ。


 相手のオフェンスを少し遅らせるディフェンスをして、様子を見ようとでもいうのであろうか。

 

 右足のアウトサイドで大治はボールを前面に押し出す。


 つられたかのように、石原は大治から見て左に体を傾ける。


 そこを大治は、また右足のインフロントに引っかけてボールを左に戻した。


 1980年代では、ブラジル人以外まだ使い手のいない、ゴムのようにボールと足を伸び縮みさせるエラシコ・フェイントだった。




 石原は、足から崩れ落ちるようにして倒れた。


 アンクルブレイク、達成。


――俺が現役のとき、海外のプロでも倒れたんだから、これはしょうがない


 そこをさっと抜けて、大治のドリブル突破は成功した。


「すごいな、君」

 倒れたままで石原が言った。

 賞賛と呆れと嫉妬が混じった、複雑な表情であった。


「どこでやっていたんだい。もしかして静岡出身? それとも、まさかブラジル帰り?」

 口を大きく開いて石原が問うた。

 馬鹿真面目に、前世はスペインやイングランドでやっていた、と答えることもないだろう。


「いや、初心者です」

「初心者!? そんなわけないだろう!」

 石原は吉本に説明を求めるかのように、顔を見やった。


「いや、本当に千反田は、俺と体育の授業でサッカーやるまでボールを蹴ったこともないようでしたよ」

 去年までは、と吉本は付け加えた。


「いるところにはいるんだなあ。天才って……」

 石原はそう言いながら、座りながら大治に握手を求めた。

 その顔は、未経験者の小学生が持っていて平気な技術ではないと物語っているようであった。


「歓迎するよ、千反田くん。君がいるなら全国大会も夢じゃあないかもしれない」

 にっこりとした笑顔に、大治は

「4年後のワールドカップ予選が目標です」

 とぶっきらぼうに答えた。


 本気だったのか、と吉本は顔を引きつらせた。

 何を言ってるんだこいつは、と石原の顔は硬直した。

 大治も、不味いことを言ったかもしれないと少し後悔した。

 あまり大言壮語を吐くべきではない。それは大治のポリシーにも反する。

 口を抑えて大治は顔をそむけた。


 そして、本来の練習時間になろうとして、人数が集まり始める。

 彼らが見たのは、腰が抜けているように座り込んでいる監督と、茫然と突っ立ているエースであった。




※※※※※




「いいか、後半5分になったら代えるからな」

 

 大治がサッカー少年団に入団してからの初めての対外試合。

 15分ハーフの11人制。

 8人制になったのは2011年からだ。

 当然、生前の大治のときも11人制だった。


 試合は前半終了時点で0-3であった。


「まだよー。もうちょっとねー」

 そう言って石原は、大治のせくような気持ちを抑えつけた。


 この試合は、全国常連の県内の強豪が相手だ。

 普通にマッチメイクを頼んでも断られることが普通だ。

 だが、監督同士が知り合いであり、『面白い素材がいる』と言って相手の監督の興味を引き付けたのだ。


 後半、残り10分になると、サッカー初心者で初陣であるはずの大治は投入された。

 スコアはすでに0-5。

 ほぼ負け確定である。

 普通の精神状態であれば、3点差が付くとまず心が折れる。

 その証拠に、プロでも3点差から大逆転した試合はあまり見かけない。

 ましてや、飽きっぽい小学生である。そのメンタルは果てしなく欠けやすい。


 そこに大人の世界で、最優秀賞を取るような選手がひとり混じったらどうなるであろう。


 味方はだれも大治の動きについていけない。

 折れた心と、尽きたスタミナのためだ。

 大治はドリブル突破を繰り返す。大人の世界最高の技術をもってして。


 だれもボールが取れない。


 大治がボールを持つ=ゴール

 相手のキックオフ=大治のボール狩り

 また大治のドリブル


 これが繰り返され、試合は6-5で終わった。


 ただ、スコア以上に普通の試合ではなかった。

 大治は相手の子供の心が折れないように、多大な点差を付けることを嫌った。

 

 だから、ずっと・・・ドリブルをしていた。

 相手はボールが取れない。

 ただでさえ、小学生のサッカーは団子サッカーになりがちだ。

 試合が終盤になると、大治相手に10人が群がっていた。


 それでも、大治がボールを取られることはただ一度としてない。




 相手方の監督やコーチは慌てふためく。

『まさか、こんな子が今まで隠れていたなんて!』

『残念だが、今年は全国大会には行けそうにない』

『今年の子たちは不幸だった。相手が悪いだけだ』


 そして、大治に向かってこう言った。

「千反田くん……だっけ? 君、ナショナル・トレセンって知ってる? 国の代表を決めるための練習の場なんだけど、君なら通用すると思う。行ってみる気はないか」


 そう問われた。

 もちろん即答で行くと答えた。

 アンダー代表は、A代表、この時代でいう全日本に繋がっているといっても過言ではない。

 15歳での全日本選出には、うかうかしていられない。

 おそらく、今のナショナル・トレセンに行っても、ライバルとなる相手はいないであろう。

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