ダイジ。 ~『ドーハの悲劇』をやり直せ~

高坂シド

第1話西片大治。2022

サッカーが好きだった

大好きだった

その想いはだれにも負けない

それさえあれば、ほかに何もいらない


『ドーハの悲劇』の日に生まれた

最初はなんのことかわからなかった

日本サッカー界が悲嘆にくれた日らしい

だが、サッカーにそれで興味を持った

大好きなサッカーの『不運の日』に生まれたというのは、正直、残念だったが


毎日、サッカーボールを蹴った

毎日、友達を誘った

あるとき、友達が『プレイステーションで遊ぼう』と誘ってきた

断った

ボールに触れている方が楽しかったからだ

それ以来、友達の輪から外された

『あいつはサッカーキ〇ガイだ』

そうまで言われた


反論はしなかった。

むしろ、誇らしくさえあった

そうだ、自分にはサッカーがあれば何もいらない


サッカークラブに入った

毎日、サッカーが好きなやつらとサッカー漬け

自分にとって最高の場所であった


彼女と出会ったのもサッカーを通じてだった

彼女はアマチュアだが女子サッカー選手だった

プライベートでも、サッカー漬けになった


仕事もサッカー

プロサッカー選手

好きなことを職業にするのは辛いという人もいる

自分は全く苦ではなかった


積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて

日本を飛び出して、海外でプレーするようになった

そのとき、彼女に妻になっていっしょについてきてくれるように頼んだ

家庭もサッカー漬けになった


また積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて

だから、この賞にノミネートされたときは心底心が踊った




※※※※※




「今年のバロンドール、サッカー界世界最優秀選手の栄誉に輝いたのは……ダイジ・ニシカタ、フロム・ジャパン!」


 秋が深まり、初冬を告げようかという季節の中、スイスはチューリヒでそう表彰されたものがいる。

 男は歓声と拍手に包まれながら、それに両手を振りながら応じ、壇上へと上がる。

 そして世界サッカー連盟のお偉いさんからトロフィーを受け取り、マイクの前に案内される。

 スピーチせよ、とのことだ。


――何を言おうか


 男は数日前から考えていた。

 だが、何を言うべきかわからない。

 世界最高峰の場所で、何を言えばいいのか。

 受賞を事前に知らされていても、考えが及ばなかったであろう。

 しかし、男は今年一年で残してきた自分の実績自体には迷いはなかった。

 これ以上の結果を残して、なお受賞できなかったらどうすればいいのか迷ったと思う。


 世界各国のマスコミも『受賞できないのであれば、それは欧州と南米が力を持つサッカー界において、彼がアジア人であるという一件だけであろう』と報じていた。


 確かに、アジア人・日本人であることはサッカー界においてハンデであろう。

 まず、ワールドカップでの優勝は望めないからだ。

 これによってワールドカップのある年の世界最優秀選手の受賞はまず望めない。


 そして、その賞を狙うのであれば、海外に飛び出ることが求められる。

 日本語は基本的に日本でしか通用しない。

 日本語を母語とする人自体は一億人を超えるが、ビジネスの点で日本が世界競争力を失いつつある今、物好きな外国人が好む程度の言語に落ち着いてしまった節がある。


 Jリーグで適応したと思ったら、海外に出てその国のサッカーにまた再適応しないといけない。

 これは、世界各国で活躍しているといわれるブラジル人でさえ難しい。

 サウダージ郷愁がそれを許さないのだ。




――まあ、そうせかさないでくれ


 彼は深呼吸して壇上に立ち、スピーチを始める前に右手を挙げて、拍手を辞めるよう促す。

 そして自分が勝ち取ったトロフィーをまず一瞥して一瞬感慨にふける。

 前方を見ると身重の妻が手を振っていた。

 それを見ると心が落ち着き、こちらも手を振る。

 その仲睦まじさに周囲の顔が自然とほころぶ。

 マイクの位置を直そうと手をやる。

 緊張のあまり、震えているかと思ったが、意外としっかりしている。

 自分の肝はこれくらいで揺れることはなくちゃんと据わっているようだ。

 それを実感すると、話を始めようと思い立つ。


「なんというか、なんというべきか……」


 言うべきことを決めたはずなのに、いざ壇上に上がると口ごもる。

 彼は、サッカーグラウンドで視線を浴びるのには慣れていたが、こういう場所でスポットライトを当てられるのには正直、戸惑っていた。

 普段の彼を知るものであれば、今現在の彼のことを気の毒に思ったかもしれない。


「まずはこの賞は、妻と生まれてくる子供。そして、よりにもよって『ドーハの悲劇』の日に私を生んでくれた両親に捧げたい」


 2022年、アジア人初、そして日本人初のサッカー界世界最優秀選手賞・バロンドールの受賞が行われた。

 受賞者の名前は、西片大治にしかただいじ

 日本サッカー界の痛恨事として知られる『ドーハの悲劇』に生まれた。

 ドーハの悲劇とは、1993年10月28日、日本代表が後半アディショナルタイムの失点によってワールドカップ初出場を逃した試合のことだ。

 サッカーはそう簡単に行くものではない、と日本人全員に知らしめた悪夢である。

 逆に、それによってワールドカップ出場を決めた韓国にとっては『ドーハの奇蹟』であるらしい。

 これによって日本のサッカーは4年遅れた、とも言われる。


 約3分ほど続いたスピーチの後、記者との応答の場が設けられた。

 一年で一度しかないサッカーの祭典。

 世界中のマスコミやサッカーフリークが大治の一問一答、一挙手一投足に注目していると言っても過言ではない。

 カメラのフラッシュが眩しい。思わず大治は手で顔を覆った。

 世界中の記者が、さまざまな言語で質問を投げかけてくる。

 分かる範囲であれば真摯にその国の言葉で応じた。


「ジュショウ シテ ドウデスカ、イマノ オキモチハ?」


 たどたどしい日本語で記者が質問してくる。

 わざわざ大治のために覚えたのであろう。

 そのいじらしさに大治は少し感銘を受け、即答した。


「最高、です」


 朴訥だがゆっくりと、そして噛みしめるように言った。

『不運の日に生まれ』てここまで来られたのはそうとしか答えられない。

 大治はドーハの悲劇の生まれで、自分は不運に憑かれているのではないかと思いながら生きてきた節がある。

『スペース・ブラザーズ』という物語の主人公も『ドーハの悲劇』の生まれで、漫画の登場人物なのにその生まれを嘆く境遇にシンパシーを感じたものだった。





「今まで生きてきた中で一番大変だったことは何ですか?」


 今度は日本人の記者が問う。

 無言で大治はあごに手を当て考える。

 

「ドーハの悲劇……」

 そう、最初に呟いた。

「あの日、その試合をテレビで見ていた母は、興奮して破水した。俺は早産だったんです。それで早産児として生まれて、実はちょっとそのせいで今でも心臓が少し……」


 できるだけ、丁寧に答えた。


「生まれたばかりで……それは大変でしたね」

「今では、そういう心臓が弱い人の施設へ寄付もできるようになりました」

 ふいに笑顔が出る。

 自分はこういう時に笑みが出る人間だったのかと改めて新鮮な気持ちになる。


「今は大丈夫なんですか?」

「今は克服して、90分どころか120分走った後のPKも大丈夫です。こういう授賞式で興奮しそうなときも……」

 一瞬、クラっとした。


「だい……じょ、う、ぶ……」


 頭の中を白いものが漂う。

 意識を半分持っていかれそうになった大治は足に力を入れて踏ん張ろうとした。


「ドーハの……悲劇……生まれだから……?」


 すべてを持っていかれた大治は倒れた。

 そして、ものの見事に頭から着地した。


――人生最高の日に、命を失う。やっぱり自分は不運に付き纏われているのだ。


「きゃぁああああ!!!」

「大丈夫ですか、西片選手!? おい、救急車を呼べ!」

「AEDはどこだ!? 早く持って来い!」


 世界で一番権威がある会場は、阿鼻叫喚の場と化してしまった。


『西片大治 1993~2022 日本の元プロサッカー選手。バロンドールをアジア人初として受賞するが、その場で心臓発作で死亡した。』


 暇な誰かが、即座に彼のウィキペディアをそう更新した。

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