明日のためにその5 明日のハーレム⁉

 「いやあ、極楽ごくらく極楽。思い切り体を動かしたあとに入る露天ろてん風呂ぶろ。これぞ、人生の幸福よねえ」

 「なにをおばあさんみたいなことを言ってるのよ」

 赤葉あかばの言葉に対し、すかさずツッコミを入れるさくらである。

 「いいじゃない。こんな広々とした露天風呂には入れることなんてめったにないんだもん。しかも、貸しきり! そりゃあ、テンションもあがるってもんでしょう」

 と、赤葉は両手を組んだ腕を大きくあげて破顔する。

 普通、露天風呂と言えば身も心も休めるやしの場であるだろうに、むしろ、興奮状態の赤葉である。とは言え、赤葉の言うのももっともではある。一片一〇メートル、一アールの面積をもつ露天風呂をわずか数人で独占できるなどそうそう体験できることではない。興奮するのも無理はない。いきなり泳ぎ出さないだけ、赤葉としては自重していると言うべきだろう。

 時刻はすでに夜。森也しんやの家の前に広がる家庭菜園。その一画に作られた溜め池でのことである。

 一ヘクタールに及ぶこの農地は単なる家庭菜園などではない。

 食糧・エネルギー・イベント同時作――ひとつの土地で食糧とエネルギーを同時に生産し、イベント会場ともすることで収益を得る――略してSEEDシードシステムの実証試験の場でもある。当然、この溜め池も単なる溜め池などではない。農業用水の処理場であり、水素を製造するための水を溜めておく場所であり、バイオガスの原料である浮き草の栽培場であり、魚介類の養殖場でもある。そしてまた、水遊びのためのプールでもある。

 プールと言っても冷水ではない。この溜め池は燃料電池から出る熱を逃がすための場所でもある。そのため、常に四〇度前後の水温に保たれている。まさに、温水プールであり、広々とした露天風呂でもあるのだ。

 一アールという面積は食糧の生産地として考えるなら微々たるものだが、一般人用のプールとしては充分な広さがある。もちろん、風呂として考えるなら王侯貴族並と言ったところ。すでにバイオガスの原料となる浮き草は浮いており、食用に四〇度以上の温水でも生きられるテラピアを放してある。魚と一緒に泳げるプール、と言うわけだ。

 気になるのは周囲の視線。なにしろ、ここは海でもなければ、遊戯ゆうぎ施設しせつでもない。家と家の距離が大きい山のなかとは言え、れっきとした住宅地。当然、人目はある。その点を考慮して周囲は果樹を植えて生け垣にして目隠ししているし、天井には太陽電池の屋根がかかっているので上空からもはっきり見えるわけではない。意識してのぞきに来る『プロ』でもない限り、見られる心配はない。

 と言うわけでさくらとかあら、それに、ふぁいからりーふの五人で一日の終わりの広大な露天風呂を満喫している、と言うわけなのだった。

 さくらと、ふぁいからりーふの四人はさすがに水着を着ているが、体にも自信のある赤葉と性的なことにはまったく感心のない――そのため、警戒心のまったくない――かあらは素っ裸である。

 現役JKアイドルの裸体を惜しげもなくさらしながら、赤葉が不思議そうに尋ねた。

 「せっかくの露天風呂なのに、なんであんたたちって水着なんて着てるわけ?」

 「だ、だって、やっぱり、恥ずかしいし……」

 「ここはお風呂って言うより、プールでしょ」

 赤葉の問いに白葉しろはとさくらが口々に答える。

 「大体、なんで週末ごとに全員で押しかけてきてうちのプールに入っていくのよ」

 「ご、ごめんなさい……!」

 さくらの言葉に――。

 白葉が思わずビクッと反応して『ごめんなさい』する。

 「あ、いえ、別に責めているわけじゃないんだけど……」

 白葉にあやまられてさくらはバツの悪い表情になった。断じて白葉相手に言ったわけではないのである。

 白葉とは対照的に、言った相手である赤葉はケロリとして答えた。

 「当たり前でしょ。赤葉ライフベース披露目ひろめコンサートが近いんだから。週末には集まってみんなとみっちりレッスンしなくちゃ。下手なライブになって兄貴の計画がおじゃんになってもいいわけ?」

 「そんなわけないでしょ」

 「なら、いいじゃない」

 「だから、レッスンしにくるのはいいけど、なんでうちに泊まるのかってことよ! 事務所ごとこっちに移ったんだし、寮だって用意されてるんだからそっちに泊まればいいじゃない」

 「だって、まだ移転したてで設備がまるで整ってないんだもん。寮って言ったって古い空き家を借りてそう言い張ってるだけだしさ。ここの方が広いし、きれいだし、なにより、このお風呂! 魚と一緒に入れる広々露天風呂なんてそう入れないもんね。こっちに来たからには満喫まんきつしていかなきゃ」

 「……赤葉。あなた、『遠慮』って言葉、知ってる?」

 「サンスクリット語なんて知らないなあ」

 と、湯気を立てるタオルを頭に乗せてすっとぼける赤葉であった。


 「あ~、いい湯だったあ」

 と、言いつつ、火照ほてった体をパジャマに包んだ赤葉が居間に入ってくる。このあたりの態度は『おばあさん』と言うより『親父』である。

 他の六人も一緒だが、赤葉以外のふぁいからメンバーはさすがに男の家でパジャマ姿になるのは気が引けるのだろう。ジャージ姿である。さくらとかあらはこの家の住人なので普通にパジャマ姿である。

 「兄貴~、あがったよお。風呂あがりのお茶ちょうだ~い」

 赤葉が当たり前のように言う。

 ほとんど執事に命令するお嬢さまの態度。さすがに、黒葉くろはが眉をひそめた。

 「いい加減にしなさいよ、赤葉。いくら何でも失礼でしょ」

 「そうだよ、赤葉ちゃん。毎度まいどそんな態度で。さすがに、兄貴さんに悪いよ」

 「まったくだ。なんで、おれがお前に使われなけりゃならんのだ」

 などと言いつつ、きちんと人数分のカップとポット一杯のお茶をもってやってくる森也しんやであった。

 お茶は安眠効果のあるナイトティーとして知られるレモンバームティー。軽い茶菓子まで付いている。そのあたり、文句を言いつつしっかり気配りしているのであった。ちなみに、レモンバームは家の前の家庭菜園で育てたもの。菓子は森也の手作りである。

 「いいじゃない。固いこと言わないで」

 と、赤葉。言いながら囲炉裏いろりまわりのクッションの上に座り込む。さくらとふぁいからの四人が配膳はいぜんを手伝おうとカップを受け取りに行っているなか、赤葉は堂々と座り込んで動こうとしない。もてなされる気満々である。

 「あたしたちはライブのためのレッスンで来てるんだからさ。タレントが最高のパフォーマンスを発揮できるようにするのがマネージャーの仕事でしょ。あたしたちが最高のライブを演じきれるようにちゃんと支えて」

 「なんで、おれがマネージャーになってるんだ」

 「なに、不満なの? 『マネージャーなんかじゃ満足できない!』ってやつ? でも、残念だねえ。社会人の兄貴がJKのあたしに手を出すわけにはいかないもんねえ。それとも、犯罪覚悟で手ぇ出してみる? うまく口説いてくれたらお付き合いしてあげてもいいんだけどなあ」

 と、赤葉は流し目など作ってみせる。

 普通の男なら――いや、女でも――その視線を受ければ思わずドキリとしただろう。それぐらい、セクシーな視線だった。美少女にはまちがいないが元気と熱血が売りで『色気』とか『セクシー』とか言った言葉とはあまり縁のない赤葉だが、さすがに生まれついての女と言うべきか。こんなときは意外なぐらいの妖艶ようえんさを発揮する。

 ただし、今回は相手が悪かった。男女を問わず、純度の高すぎる相手は好みではない森也である。この手の『女一〇〇パーセント!』と言った態度には却って興味が失せてしまう。

 森也は、教え子の悪ふざけを叱る教師の態度で赤葉の頭をトレイでポンと叩いた。

 「いちいちふざけたことを言わなくていい。さっさと飲んで寝ろ。体を冷やさないうちにな。明日も一日中レッスンだろう」

 「は~い」

 「あ、でも、寝る前にお菓子は……」

 黒葉が言いずらそうに言った。

 メンバー中随一のモデル体型だけに食事には気を使っている。

 森也は心得た様子で答えた。

 「わかっている。おれだってアイドルに普通の菓子は食わさんよ。これはベサン……ひよこ豆の粉で作ったクッキーだ。小麦の菓子に比べて抵糖質、高タンパク、高ミネラル。甘味成分として使っているのは砂糖ではなくハチミツ。これなら体形を気にするモデルやアスリートにも食べられる。睡眠中、体が飢餓状態にならないよう栄養補給として食べておけ」

 「……それなら、まあ」

 黒葉は控えめながらも納得した様子だった。いくら食事に気を使っていると言っても年頃の女子。お菓子を食べられるものなら食べたいに決まっている。

 「じゃあ、ちゃんと寝ろよ。後片付けはおれがやっておくからそのままにしておいていい」

 「あれ、兄さん、どこか行くの?」

 「赤岩あかいわと打ち合わせ」

 そう言って出ていこうとする森也に赤葉が声をかけた。

 「まった、まった、兄貴。『例のやつ』言ってないよ」

 「例のやつ?」

 「『藍条家の決まり』ってやつ。あるんでしょ、寝る前のお約束の一言が」

 「……お前は家族ではないんだが?」

 「固いことなしなし。さくらもいるんだからひとまとめってことでひとつ」

 ほらほら、と、チョイチョイと指を振りながら挑発的な笑顔を浮かべる。その姿は『アイドル』を通り越してたしかに『メスガキ』なのだった。

 森也は溜め息をついた。あきらめて『お約束』の一言を口にした。

 「……お休み。愛してる」

 「お休み~、愛してるよお」

 と、笑顔でパタパタ手を振る赤葉だった。


 「それにしても、兄貴ってほんと、ヘタレだよねえ。女子に囲まれるのが怖くって仕事にかこつけて逃げ出すなんてさ。堂々と女子の輪のなかに入るぐらいの度胸がなくてどうするんだか」

 赤葉がお茶とお菓子を口に放り込みながら言った。

 と言っても、がぶ飲みや暴飲暴食をするわけではない。きちんと節度をたもって適切な量を少しずつ口に入れている。夜食なので太らないよう、きちんと気を使っているのだ。このあたり、いくら野放図のほうずに見えてもアイドル業には常に真摯しんしな赤葉なのだった。

 「女子ばっかりのなかに男の人がいられないの、当たり前だと思うけど」

 青葉あおばが言った。

 このなかでさくら以外で唯一、兄をもつ身であるだけにそのあたりの事情を知っている。

 「それが雑魚ざこだって言ってんの。英雄色を好む! デカいことをやってやろうって言う男なら女の一〇人や二〇人、手玉に取るぐらいできなくっちゃ」

 「雑魚だなんて。失礼だよ、赤葉ちゃん。兄貴さんは頭も良いし、頼りになるし、親身になってくれるし、立派な人だよ」

 と、両拳を握りしめてやけに熱心に森也を擁護ようごしたのは白葉である。その意外な熱心振りにみんなの視線が集中する。

 視線に、と言うより、自分の発言に気付いて白葉は顔中真っ赤にして縮こまった。

 「なになに、ずいぶんと兄貴をかばうじゃない、白葉。もしかして、兄貴に惚れた?」

 「そ、そんなんじゃ……!」

 「まあ、白葉はふぁいからのなかで一番、兄さんと一緒にいる時間が長いものね」

 「さくらちゃんまで!」

 「隠すことないって。芸のためには恋も必要。よし! こうなったらみんなで兄貴の嫁になろう!」

 「なに言ってるの、急に⁉」

 「世界を征服しようって言う男よ。女遊びのひとつやふたつ知らなくてどうするの。まして、この赤葉さまを相手にしようって言う男なら、ハーレムぐらい作れる甲斐性かいしょうがなくっちゃね」

 「兄さんはあなたを相手にしてないでしょ!」

 「ムキになっちゃって。もしかして、いてる?」

 「なっ……⁉」

 「でも、残念だよねえ。さくらは実の妹だから、さすがに兄貴ハーレムに参加は出来ないし。それとも、禁断の愛に突入しちゃう?」

 「ばか言わないで……!」

 さくらは怒ったような声をあげた。

 そのときだ。それまで黙っていたかあらが静かに口を開いた。

 「その話、わたしも参加させてもらおう」

 「かあら⁉」

 「おお、かあらも兄貴に惚れてたわけ?」

 「『惚れてる』と言うのがどういう状況なのか、わたしにはわからない。ただ、兄上はわたしの知るなかで知性、人格共に最高度の人間だ。あの遺伝子は世界中に広める価値がある。兄上にはぜひ、一万人ぐらいの子供を作って人類の品種改良に貢献こうけんしてもらいたいと思っていた。幸い、わたしも子を産める体だ。ぜひとも品種改良に参加したい」

 「おお、いいね。兄貴の子一万人計画! となると、嫁もそれだけそろえないといけないわけね。よし、『プロジェクト・兄貴の嫁を探せ!』開幕!」

 「ちょっと!、悪ふざけもいい加減にして」

 さくらが叫ぶと、かあらが心底、不思議そうな表情で尋ねた。

 「さっきからなにを怒っているのだ、君は。優秀なおすが複数のめすをものにするのは自然界ではよくあることだ。なにも問題はない」

 「問題はないって……」

 さくらはさすがに絶句ぜっくした。

 赤葉なら単に悪乗わるのりを楽しんでいるだけ、と言うこともある。しかし、かあらには悪乗りも冗談もない。かあらが『やる』と言うからには、本当に本気なのだ。それを知るだけに言葉を失うしかなかった。

 さくらとは対照的に赤葉は味方を得て勇気百倍と言ったところ。腕を大きく突き出して叫んだ。

 「よし! まずは、かあらとふぁいからりーふ全員で兄貴の嫁になろう! 目指せ、兄貴の嫁一万人!」

 「巻き込まないでっ!」

 夜深き森也の家に――。

 黒葉の絶叫が響いたのだった。

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