ミッション5 空飛ぶ部屋を開発せよ

 「えええっ~!」

 「どういうことだ、いったい⁉」

 青木あおきつかさとあかね瀬奈せな富士幕府ふじばくふの主要人物ふたりの甲高い絶叫が響いた。

 茜工務店の事務所、主立った仲間たちを集めての、時任ときとうかあらのお披露目ひろめの場でのことである。

 「どういうこともなにも、いま、説明したとおりだ」

 森也しんやが驚きのあまり、目を丸くしている瀬奈とつかさの前でごく当たり前のように言った。

 「こいつは時任かあら。今後、おれの家で同居することになった」

 「時任かあらだ。よろしくお願いする」

 かあらは短く挨拶した。

 年上相手だろうが何だろうが、口調も態度もかわらない。頭をさげることもない。そのため、人によってはてさぞかし生意気で失礼なやつだと思うだろう。とくに日本人の場合、嫌う人間が多そうである。

 「同居するって……女子高生だろ⁉」

 「そうだ」と、かあら。

 『それがどうかした?』という口調である。

 「身内でもない女子高生を住まわせるなんてどういうつもりだ、森也⁉」

 「このエロ男! 見損なったわ!」

 瀬奈が叫び、つかさが罵倒ばとうした。

 森也は気にもとめない様子で答えた。

 「だから、いま説明しただろう。こいつは日本に来たばかりのうえ、極度きょくどの世間知らず。ひとりで住まわせていては危ないからうちに住まわせることにした。それだけのことだ」

 「それだけのことって、お前な」

 「身内でもない女子を同居させることの懸念けねんはもっともだ。しかし、さくらも一緒と言うことで問題ないと判断した。さっきもそう言っただろう」

 「し、しかしだな……」と、瀬奈。

 口をきわめてののしりたいのだが、罵る口実が見つからない。そんな表情をしている。

 森也がつづけた。

 「だいたい、なんでお前たちが、かあらをおれの家に住まわせることに関してそんなに過激に反応する? おれの家に誰が住もうが、お前たちが気にすることではないだろう」

 「そ、それは……!」

 「だ、だって……」

 瀬奈とつかさはそろって絶句した。

 そんなやり取りを見てさくらは思った。

 ――……兄さん。わざととぼけるの? それとも、本気で気が付いてないの?

 わざとだったらひどいし、本気だったらもっとひどい。

 少々、修羅場しゅらば雰囲気ふんいきになったそのとき、脳天を突き抜けるような脳天気な声が響いた。

 「おお、そうか。あっぱれあっぱれ。かわいい女子はいつでも歓迎するぞ」

 と、袴姿にちょんまげ、扇子せんすを片手に馬鹿殿ばかとの気分きぶん丸出しの赤岩あかいわあきらが歓迎の意を表した。とにかく、雰囲気が悪くなったときの気分転換用として、赤岩あきら以上の存在はないだろう。ほんの一言でその場の雰囲気をパリピ風味の陽気で軽いものにしてしまう。

 本人が意識して行っているわけではないが、むしろ、無意識に行えるからこそ天性のリーダータイプと言えるかも知れない。

 「ありがとう。これからはわたしも『月でピザを食うために』計画に参加させてもらう。どうか、よろしく頼む」

 「うむ。いやつ、いやつ。こちらこそよろしく頼むぞ」

 と、すでに面識のあるあきらは上機嫌である。

 しかし、瀬奈とつかさのふたりはそうはいかない。戸惑ったままだ。

 「し、しかし……女子高生と同居って」

 「親はなんて言ってるの⁉」

 「母にはすでに連絡した。返答はこの通りだ」

 と、かあらは自分のスマホを瀬奈とつかさに差し出して見せた。その画面にはただ一言、

 オッケー、

 と、あった。

 その一言に――。

 瀬奈とつかさはその場に突っ伏した。

 「オ、オッケーって……」

 「それでも母親? まちがいがあったらどうする気なのよ」

 呻くように言うふたりに対し、かあらは告げた。

 「あなたたちの言う『まちがい』とは性行為のことと推測するが、母はその手のことには興味も関心もない。だから、気にしていないのだろう。何しろ、人生で一度も性行為をしたことがないらしいからな」

 「性行為したことがないって……じゃあ、どうやってお前を産んだんだ⁉」

 驚きのあまりだろう。普段、森也以外には『男』にはならない瀬奈が、このときばかりは完全な男口調になっていた。

 かあらは世の絶対真理を説くがごとき態度で答えた。

 「母はわたしを産んでいない」

 「産んでいない? じゃあ、あなたはどうやって産まれたの?」

 そうたずねたのはさくらである。

 すでにかあらの変人振りには免疫が出来ているので普通に尋ねることが出来たが、瀬奈やつかさだったら絶叫していただろう。この場でそうしなかったのは驚きのあまり、声が出なかっただけの話である。

 「母は性行為を行う気も、結婚する気もなかったが、自分の遺伝子は残しておきたいと思った。そこで、自分の卵子と精子バンクから購入した精子を使って受精卵を作った。その受精卵をインド人女性の代理母の子宮内に着床させた。そうして育ち、産み出されたのがわたしだ」

 「じゃあ、母親がふたりいるってこと?」

 さくらはそう尋ねた。さすがに目を丸くしている。

 かあらは首を横に振った。

 「いや。わたしには母親が三人か、あるいは四人いる」

 「母親が三、四人⁉ どういう意味?」

 かあらの変人振りにはもう慣れたと思っていたが、さすがにこの返答は予想のはるか斜め上を行っていた。ついつい驚きの声をあげしまう。

 かあらは平然たる様子で答えた。もっとも、かあらはどんなときでも平然たる様子に見えるわけだが。

 「一人目は言うまでもなく遺伝上の母。二人目が代理母を務めたインド人女性。三人目は乳母うばだ」

 「乳母?」

 「そうだ。わたしは産まれたあとの五年間、乳母の手によって育てられた。一人目の母は仕事が忙しかったし、二人目の母は次の代理出産があってわたしに構うどころではなかったらしいからな」

 一人目の母。

 二人目の母。

 そんな言葉が当たり前のように飛び出してくるのが何とも異世界染みて聞こえた。

 「と言うわけで、産まれてすぐに乳母の手に預けられ、五歳になるまでこの乳母のもとで育った。五歳になってからはインドの全寮制の学校に入り、そこではずっと寮母りょうぼの世話になっていた。この寮母が四人目の母親だ。と言っても、この寮母の場合、わたし以外にも多くの寮生を世話していたわけだから、わたし個人の母と言うわけにはいかないな。だから『三人か、四人』という表現になる。

 それでも、わたしにとって一番、馴染みのある母親はこの寮母だからな。四人目の母と呼んでおきたい」

 さくらはちょっと考え込んだ。

 それでもやはり、思いきって聞くことにした。

 「……ねえ。ちょっと聞きたいんだけど」

 「なんだ?」

 「その……一人目のお母さんは結局、何をしたわけ?」

 「卵子を提供した」

 「それだけ?」

 「それだけだ」

 「世話されたこともないの?」

 「まったくないな。はじめて会ったのが一〇歳ぐらいのときのことだしな」

 「……そんな相手を『お母さん』って思えるわけ?」

 「正直、『母』という印象はない。歳の離れた友人と言った印象だ。しかし、仲は良好だと言っていいと思うぞ」

 「はあ……」

 何とも現代的、というか未来的と言える子育て(?)風景にさくらもさすがに目を丸くしている。瀬奈とつかさのふたりにいたっては驚きのあまり声も出ない。唯一、あきらだけが扇子をパタパタやりながら感心する声をあげた。

 「ううむ、あっぱれあっぱれ。利用できるものはなんでも利用するその根性。わたしは好きだぞ」

 「わたしもそう思う。外注できるものは外注してコストを抑える。実に効率的な子育てだ」

 ――いや、それ、『子育て』とは言わないから。

 思わず心でツッコむさくらであった。

 しかし、一方では納得もしていた。

 ――性的なことになんの興味も関心もない。だから、逆に警戒心が全然ないわけね。おまけに、五歳の頃から寮暮らしで世間の悪意に出会ったことがない。だから、そっちの意味での警戒心もない。

 やっぱり、うちに誘ってよかった。

 さくらは改めてそう思った。

 こんな世間知らずで常識知らず、しかも、警戒心皆無の女子高生、ひとりで生活させていたらどんな目に遭うかわかったものではない。

 ――こんな娘にいきなりひとり暮らしさせる母親も相当だけど。

 かあらが研究にしか興味がないように、一人目の母親とやらは仕事にしか興味がないのだろう。なるほど。やはり、母娘おやこだ。

 「ともかくだ」

 森也が言った。

 強引にそれまでの話題を打ち切り、本筋に戻した。

 「これからはこの時任かあらが富士幕府の科学技術担当として参加する。そのことを承知しておいてくれ。そして、さっそくだが、飛行船作りに取りかかる」

 「飛行船作り?」

 と、瀬奈。かあらのことはもはや理解不能の事象としていったん、意識の外に置くことにしたらしい。精神崩壊を避けるための賢明な態度と言えるだろう。

 森也はうなずいた。

 「そうだ。領土国家をネットワーク国家へと進化させるためには、どうしても『空飛ぶ』移動手段が必要だからな。反重力が発明されるまでは、車にかわるドアツードアの空飛ぶ移動手段と言えば小型飛行船しかない」

 「しかし、飛行船なんてかさばるものだろう? 小型化なんて難しいんじゃないか?」

 「たしかにな。ヘリウムガスの場合、一キロのものを持ちあげるのに一立方メートルのガスが必要だ。実用的な飛行船となれば最低でも五百キロぐらいは持ちあげられないといけないから必要となるガスの量は五百立方メートル。とうてい、自動車並のサイズに収めるのは無理だ」

 「じゃあ、小型化なんてできないじゃないか」

 「そこがやり方だ」

 「やり方?」

 森也は青っぽく指など振りながら答えた。

 「発想の転換。小さく出来ないなら小さくしなければいい。単なるビーグルではなく、『空飛ぶ部屋』として制作する」

 「空飛ぶ部屋⁉」

 あきらが、

 瀬奈が、

 つかさが、

 それぞれに叫んだ。

 『空飛ぶ部屋』という、何とも中二心をくすぐる言葉が胸に突き刺さったのだ。

 森也はうなずいた。

 「そうだ。移動可能な家の一部として作るなら大きさはさほど気にしなくていい。都合のいいことに、これからは少子化によって人口は減る一方。となれば、家一軒当たりの大きさは拡大できるし、家と家の距離も離れるからなおさらだ。それに『空飛ぶ部屋』には幾つもの利点がある」

 「利点?」

 「『空飛ぶ部屋』であれば、なにかあったらさっさと空に飛んで逃げることが出来る。大切な物はすべて『空飛ぶ部屋』に置いておけば強盗に入られようが、地震が来ようが、津波が押し寄せてこようが、そのまま空に飛んで逃げることが出来る。危険はない」

 「な、なるほど……」

 「それだけでも、開発し、普及させる価値は充分にある。それに、移動もずっと快適になる。車に頼った移動は狭い椅子に閉じ込められ、身動きひとつとれない窮屈きゅうくつなものだ。その点、『空飛ぶ部屋』であれば充分なスペースがある。操縦をAIに任せてしまえば、みんなでゲームでもなんでもしながら目的地まで飛んでいける。移動はずっと快適なものとなる」

 「操縦をAIに任せる? そんなことができるのか?」

 あきらが尋ねた。

 答えたのはかあらである。

 「わたしの生涯しょうがいの望みはプルートウを蘇らせることだ。自律型じりつがたのロボットを作るためにハードだけではなく、ソフトについても学んでいる。自動操縦用のAIぐらい、問題なく作ってみせる」

 「おお、それは頼もしい! 研究が完成したあかつきにはぜひ、わたし用のスーパーロボットを作ってほしいものだ」

 あきらは扇子せんす片手にご満悦だが、常識人であるさくら、瀬奈、つかさ言ったあたりはそろそろ話について行けなくなっている。

 「スーパーロボットの開発はあとのことにしてだ」と、森也。

 ――『そんなもの開発できるか』とは言わないのね。

 兄さんらしいわ、と、さくらは思ったのだった。

 「まずは『空飛ぶ部屋』だ。実際に作りあげ、運用し、その有効性を実証することで広めていく。そのために即刻、開発に取りかかる」

 「飛行船そのものはすでに確立された技術だ。作ることに関して特に難しいことはない」と、かあら。

 「しかし、高価で大がかりなツールであることにはかわりない。多額の資金と設備が必要になるが、かまわないか?」

 「心配無用!」

 あきらが扇子を握りしめて叫んだ。

 背中には例によって例のごとく砕ける波濤を背負っている。

 「必要な金はわたしが出す。この天下の売れっ子マンガ家、赤岩あきらがな」

 「設備は茜工務店の工房を使ってくれればいい」と、瀬奈。

 「必要なものは言ってくれればすべてそろえる。茜工務店、その程度の体力はある」

 「内装は任せて」と、つかさ。

 「各務かがみ彫刻ちょうこくすいを集めて最高の内装を作りあげてみせる」

 「礼を言う。ならば、この時任かあら。必ずや最高の飛行船を作りあげてみせる」

 集まったメンバーが口々に自分の役割を表明していく。

 そのなかでただひとり、さくらだけが口ごもっていた。

 自分も発言したい。

 役割を負いたい。

 しかし、自分には何もない。

 かあらのような知識も、

 あきらのような財力も、

 瀬奈のような組織も、

 つかさのような技術も、

 さくらはなにももっていない。

 提供できるものが何もない。だから、なにも言えずにいた。

 そんなさくらに向かい、兄は言った。

 「さくら。『空飛ぶ部屋』の存在を世間に知らしめるのはお前の役目だ。『空飛ぶ部屋』のある暮らしを日々、ブログでつづり、世間の注目を集めろ。いいな?」

 「はい!」

 兄から役割を与えられ――。

 全力で答えるさくらだった。

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