ミッション3 ギフテッド少女を攻略せよ
さくらとかあらは
時刻はすでに夜。とは言え、日本の町が眠る時間にはほど遠い。建ち並ぶ店の明りはどこもまだ点いたままだ。道を行く車の列も、人の群れも、昼間に劣らず動いている。
かあらは車に乗った直後からやけに外の様子を気にしていた。ベッタリと、顔と両手を窓に押しつけるようにして外の様子を凝視している。その姿はまるで、生まれてはじめて電車に乗った幼児が流れる外の景色に興奮して、夢中になって眺めているときのようだった。
「どうかした、かあら? そんなに外ばっかり気にして」
さすがに気になったさくらが問いかけた。
かあらは真剣に、そして、不思議そうに答えた。
「ロボットはどこにいる?」
「はっ?」
「だから、ロボットだ。日本に来てからまだ一度もロボットが働いている姿を見たことがない。どこか特別な場所に集中しているのか?」
さくらはかあらの言葉の意味がまったくわからず、戸惑いの表情を浮かべたまま押し黙った。答えたのはマンガ家という職業柄、かあらの言葉の意味がよくわかる森也であった。
「あいにくだが、日本でもまだモビルスーツは実用化されていない」
そう言われたときのかあらの表情ときたら、
「なるほど。かつての外国人は『もう忍者はいない』と言われたときにその表情を浮かべたが、いまでは『モビルスーツは実用化されていない』と言われたときにその表情を浮かべるのか」
と、森也が納得したように言うようなものだった。
ともかく、あたりの地図を眺めながらコンビニ、スーパー、デパート、洋品店など、日頃、活用することになりそうな店を一通り巡った。その後、かあらの注文の練習がてら、ファミリーレストランに入った。実のところ、森也特製の料理に慣れているさくらとしてはその辺のレストラン料理など食べたくない。しかし、かあらの練習なので仕方がない。
さくらはかあらに注文方法を教えようとしたが、そこはさすがにロボット工学を専門とする天才少女。機器の操作は見ればわかるらしい。さくらが教えるまでもなく注文をこなしてしまった。ただし、どう考えても食べられる以上の量を注文してしまったのでキャンセルする手間はかかったが。
ともかく、食事を終え、食後のお茶を飲み始めた。そのタイミングでさくらが『はああ~』と、溜め息をついた。
「……でも、すごかったわね。まさか、あそこまで世間知らずとは思わなかったわ」
「言わないでくれ。わたし自身、自分が常識と思っていたことと、世間の実体とのギャップに打ちのめされているところだ」
と、かあら。無表情なかの人なりに恥ずかしく思っているらしい。
「だいたい、なんで日本では巨大ロボットが実用化されているなんて思っていたわけ?」
「日本のアニメや特撮のなかでは巨大ロボットが当たり前に登場していたからな。日本ではとっくに実用化されているものと思っていた」
「スーパーで会計前にドリンクを飲んじゃったのは? インドではそれが当たり前なの?」
「言ったとおり、わたしはいままでリアル店舗で買い物をしたことがない。だから、それが常識かどうかはわからない。わたしのあの行動に関して言わせてもらえば、すべての食品類がすぐ手の届くところに置いてあったからな。店舗それ自体がAI化されていて、店内で飲食した分が自動的に請求される仕組みだと思ったんだ」
「わかる」
と、決してうまく
「食い物がこれ見よがしに並んでいるのを見るとつい、口に放り込みたくなる」
ジロリ、と、さくらに睨まれて、不謹慎なお兄ちゃんはすっとぼけて紅茶を飲んだのだった。
「洋品店でいきなり服を脱いだのは?」
「着替えは試着室でするものだと言うことを知らなかった。そもそも、なんで特別な部屋で着替えなくてはならないのかがわからない」
――ほんっとうに、下着姿を見られるのは恥ずかしいっていう感覚がないのね、この子。
これにはさくらもさすがに、インド人云々ではなく、かあら個人の特性だろうと思った。
「さくらにもだが、兄上にはとくに迷惑をかけてしまったな。誠にもって申し訳ない」
かあらは特徴的な時代がかった口調で詫びた。
かあらが店で問題を起こすつど、店員に詰め寄られ、責任を取る羽目になったのは森也である。一同中、唯一の成人であるからには致し方ない。
「いいさ。気にするな」
森也はこともなげに言った。
ひかるが五歳の頃から面倒を見てきたためか、それとも、生まれついての性格か、他人のミスや、迷惑をかけられることに関してはほとんど気にしない森也である。反面、
さくらが改めて言った。
「だけど、そんなことでよくいままで生きてこれたわね。いままでどうやって生活してたの?」
「だから、わたしは五歳の頃からインドで過ごしていて、ずっと全寮制の学校に通っていた。だから、買い物などを自分でする必要はなかった」
「五歳の頃からインドって……何で、そんなことになったの?」
留学するにしても五歳ではいくら何でも早いと思う。
「君は『ギフテッド』というものを知っているか?」
それが、かあらの答えだった。
「ギフテッド?」
さくらは首をひねった。
聞いたことがあるような気はするけど思い出せない。答えたのは森也だった。
「特別な才能をもって生まれた人間のことだ。一般的にはIQ130以上でギフテッドと判定される。おれやひかるも同じタイプだな。ただし、ギフテッドにもおれのように凄い面は凄いが、駄目な面はまったく駄目という極端さをもつ2E型と、ひかるのようにすべてに優れた英才型とがあるけどな」
「ひかるってそんなに凄かったの?」
優等生であることは知っていたけど、そこまでとは思っていなかった。
「ひかるのIQ判定は140超だ」
「140超⁉ あの子、そんなに凄かったの?」
「ちなみに、わたしのIQは180以上と判定されている」と、かあら。
「180⁉ そんなのありえるの?」
「日本史上最高のIQが188だそうだ」
妹の驚きに森也が答えた。
「188……」
さくらは呆然としてその数字を繰り返した。
ごくごく平凡なIQ判定しかされていないさくらにとっては、IQ188なんて『総資産一〇〇億ドル!」と言われるのと同じぐらい現実味のない数字だ。
森也はつづけた。
「このレベルになると五億人にひとりとかそう言う数字らしい。ちなみに、IQ180以上は最高ランクのギフテッドとされ、アメリカでは特別支援プログラムが受けられる」
「へえ……」
「もっとも、IQと業績の間にさしたる関係はないがな。おれのIQ判定も確か105だったし。IQテストが発明されて以降、天才とされるIQの持ち主が天才と呼ばれるにふさわしい業績をあげた例はないからな」
わざわざそう付け加えたのはやはり、嫉妬というものがあったせいかもしれない。
「わたしも兄上と同じく2E型のギフテッドだ」
かあらが言った。
「少なくとも、そう判定されている。幼い頃から知性は高かったが、人間関係はまるで駄目。普通の人間なら当たり前にできることがまったく理解出来ない。そんなわたしを見て母は、わたしの才能を伸ばすためにインドの全寮制学校に入れたんだ」
「なんでインド? 才能を伸ばすって言うなら普通はアメリカとかじゃないの?」
「インドは教育熱心だからな」と、森也。
「上が伸びれば下も伸びるという発想でエリート層の形成に力を注いできた。おかげで、膨大な数の高学歴のエリート層が形成された。何しろ、人口が多いからな。優秀な人間もそれだけ多いわけだ。いまでは、『インドの大学に入れなかったから、仕方なくアメリカの大学に入る』というインド人も少なくない」
「へ、へえ……そうなんだ」
さくらは思わず圧倒された。
一般的な日本人感覚で『アメリカ・アズ・No.1』の印象をもっているだけに、他の国がそれほど優秀だと聞くと驚いてしまう。
「そういうことだ」と、かあら。
「母は自分はずっとアメリカで勝負してきたが、インドに注目している。インドのエリート層の厚さ、
「へ、へえ、そうなんだ……なんかすごい教育熱心なお母さんなのね」
「たしかに教育熱心なのは否めないな。おかげで、わたしはよけいなことに煩わされず研究に没頭できた。まあ、最低限のコミュニケーション能力は必要だと言うことで対人関係の訓練も受けさせられたが。その甲斐あってずいぶん、対人スキルも向上した」
――これで向上。もともとは本当にひどかったのね。
さくらは正直、そう思った。
「しかし、それならどうして高校は日本なんだ? インドのエリート教育を受けるならこれからが本番だろう」
森也が尋ねた。
かあらの答えは、なんともかあららしいものだった。
「わたしは『プルートウ』を蘇らせたいんだ」
「プルートウ?」
「日本育ちなら知っているはずだろう。『鉄腕アトム』に出てくる史上最大のロボットだ。大きく、強く、たくましく、そして、素晴らしい人間の心をもっている。しかし、プルートウは作中では火山の爆発に巻き込まれて死んでしまった。それを読んだとき、わたしは決めたんだ。『わたしの手でプルートウを
「……日本ではもう、ロボットが働いていると思ったから?」
「そうだ。それなのに……」
はああ~、と、かあらは深いふかい溜め息をついた。
「……まさか、心をもつロボットどころか、モビルスーツひとつ実用化されていないとは」
本気でガッカリし、落ち込みさえしている。
そんなかあらを見て、さくらは兄にささやいた。
「……誰か、常識を教えて、とめてあげる人はいなかったのかしらね?」
「インド人は超個人主義だからな。誰も気にしなかったんじゃないか?」
言われてさくらは考え込んだ。
かあらはギフテッド。ロボット作りに情熱を燃やしている。しかし、ひとり暮らしをさせておくのは危なっかしすぎる。
――そして、あたしは兄さんから人材集めを任されている。集めるべき人材のなかには科学者も含まれている。
となれば……。
さくらは真剣な表情になった。力強い視線をかあらに向かった。
「ねえ、かあら。あなた、あのマンションに住んでなきゃいけない理由はあるの?」
「ん? いや、別に、そんな理由があるわけではないが?」
「だったらさ。うちに住まない?」
「君の家にか?」
かあらはさすがに驚いたらしい。無表情なりに目を丸くしている。
「そう。はっきり言って、あなたにひとり暮らしさせておくの、心配だしね。うちに住んだ方がお互い、便利だわ。ねっ、兄さん、いいでしょ?」
「おれはかまわないが……さすがにまずくないか? 身内でもない男の家に女子高生が住み込むというのは」
「だいじょうぶでしょ。あたしだっているんだから。それにほら。兄さんは科学者を必要としているわけだから。IQ180のギフテッドでロボット工学の専門家なんてうってつけじゃない」
「科学者を必要としている? どういう意味だ?」
かあらがさすがに戸惑った声をあげた。
「実は……」と、さくらは説明した。
「なるほど。『月でピザを食うために』か。それはなんとも壮大な話だな。そんな計画があるならぜひ、参加したい」
「じゃあ、決まりね。うちに住みましょう」
「ああ。兄上の許しさえあればぜひ、そうさせてもらいたい」
「お前がいいならおれはかまわん。たしかに好都合だしな。では、今日はこのままおれの家に帰る。引っ越しはあとですればいい」
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