序の六

 「人類を争いから卒業させるなんて簡単なことなんだ。本当に」

 『四つの手順』を語り終えたあと、森也しんやは息をつきながらそう言った。その目はどこか遠くのものを見つめるような哀愁あいしゅうを帯びていた。

 「それができずにいるのは『人間性の問題』と思っているからだ。

 争いは人間性の問題であり、直しようはない。

 あるいは、人間そのものをかえなければならない。

 そんなまちがった思いにとらわれている。

 とくに、人間というやつは『どこかに悪い奴がいて悪いことを企んでいる。自分が不幸なのはそいつのせいだ』と思うのか好きだからな。そうして、いもしない悪者を見つけ出してやっつけるのに躍起やっきになる。

 人をかえていればいつか賢者が現れて魔法の杖を振るい、自分を幸せにしてくれる。

 そう思い、自分の気に入らない人間を追放するための争いを繰り返す。

 だが、そうではない。すべてはシステムの問題。

 先に言ったとおり、児童労働がなくなったのは人間性が向上したからじゃない。システムがかわったからだ。技術の発展によって未熟な児童労働者を雇うよりも、高度な教育を受けた技術者を雇う方が稼げるようになった。だから、児童労働者は必要なくなった。子供は働かせるのではなく学校に行かせ、高度な技術をもった技術者に育てることが望まれるようになった。

 そうしていったん児童労働がなくなると『児童労働がない』ことが常識になった。そうして、児童労働が非難されるようになった。人間は常識を擁護し、常識に反するものを非難するからな。児童労働は非難され、否定されるようになったが、人間性そのものは何もかわっていない。かわったのは『世の中』というシステムだ。人間がかわることで世の中がかわるんじゃない。世の中がかわることで人間の振るまいがかわるんだ。だから――」

 森也はいったん、言葉を切った。

 力強い視線で一同を見渡した。その視線に含まれる厳しさ、真剣さは、居並ぶ全員が思わず姿勢を正したほどのものだった。

 「おれたちがそれをやる。おれたち、富士幕府がだ。世界中を巻き込み、システムを根本こんぽんから作りかえる。その呼びかけを行うのは赤岩あかいわとトウノねえさんのふたりだ。ふたりは共に売れっ子マンガ家として世界規模で知られている。ふたりが呼びかければ応えるものは必ずいる」

 「任せろ!」

 あきらが薄い胸をドン! と叩いて叫んだ。

 小さくてお人形のようなナリなのに、そんな仕種はまるでシルバーバックのドラミングのような迫力がある。

 「この赤岩あきら、全力をもって世界を動かして見せようぞ」

 「あたしもやるわ」

 トウノが、かの人にしてはめずらしく勢い込んで言った。

 その目に浮かぶ光はやはり、かの人にはめずらしく真剣そのものだった。

 「母親として、娘を戦争なんかに巻き込ませるわけにはいかないものね」

 「ネットワーク国家を提唱するのは、ひかる、お前だ」

 森也に言われて『血のつながらない妹』はビクッと身を震わせた。

 怖じ気づいたのではない。緊張と興奮のためだ。『大好きなお兄ちゃん』に指名されて興奮しているのだ。

 「子供が生まれた場所によって未来を決められないように。そう世界中に呼びかけろ。子供が行動すればおとなは感化される。この世にはおよそ一〇年ごとに世界の注目を浴びる『子供活動家』が現れる。今度はお前がそうなるんだ。そして、小学校を卒業するまでに次の世代に引き継がせる仕組みを作りあげろ」

 「わかったわ」

 ひかるは決意を込めてうなずいた。

 「絶対、やってみせる」

 「太陽エネルギーを普及させるための拠点となるソーラーファーム。それを作りあげていくのは瀬奈せな、お前の役目だ。お前とあかね工務店こうむてんのな」

 「任せろ」

 瀬奈はグッと腕を曲げると力瘤を見せつけた。

 生まれたときから大工道具を握っているのと、バスケットに情熱を燃やしてきたおかげで女性としては筋肉質の瀬奈だった。

 「月にピザ店を出すまで茜工務店が必ずやってみせる」

 「デザインを手がけるのは、つかさ、お前だ。世界中の人間が注目し、視察にやってくる。そんなデザインを作りあげろ」

 「まってました!」と、つかさが手を打ち合わせて叫んだ。

 「各務かがみ彫刻ちょうこくの名にかけて、そして、死んだ兄さんのために、必ずやってみせるわ」

 伝統工芸と亡き兄の遺志いしを継ぐ。

 その限りない誇りを込めてつかさは断言した。

 その場にいる仲間たちが次々と指名され、決意を表明していく。

 そのなかでさくらはひとり、取り残された気分だった。

 ――あたしは何をすればいいの?

 自分ひとりだけ、いまだに何の役割も与えられていない。

 やっぱり、他のみんなとちがって取り柄もなければやりたいこともないあたしじゃ兄さんの役に立てないの? あたしは『仲間』じゃないの?

 そう思い、不安になった。

 そんなさくらに森也は視線を向けた。他の誰にも負けない、いや、それ以上に真摯しんしな視線だった。その視線に射貫いぬかれてさくらは思わず居住まいを正した。

 「さくら」

 「は、はい……!」

 あまりに真摯な態度に思わず緊張してしまった。

 兄に対する妹の答えではなく、厳格げんかくな師に対する弟子の答えとなっていた。

 「お前は人を集めろ」

 「人を?」

 「そうだ。このプロジェクトを遂行すいこうするためにはまだまだ人が必要だ。ここにいるメンツだけじゃたりない。そのたりないメンツをお前が集めてくるんだ」

 「あたしが?」

 「そうだ。お前はちかっただろう。おれと世間をつなぐ架け橋になると。だから、お前が世の中からおれが必要とする人間を見つけて連れてくるんだ。いいな?」

 「はい!」

 さくらは答えた。

 やっと、自分にも役目が与えられた。

 『仲間』と認めてくれていた。

 そのことが誇らしかった。

 「それで、どんな人間が必要なんだ?」

 あきらが尋ねた。

 「まずは科学者。プロジェクトを実現するにはまだまだ解決しなくてはいけない技術上の問題が山積だからな。それを解決できるだけの優れた科学者が必要だ。次いで、『良き敗者』を体現するためのアスリート。ソーラーファームを広めるために必要となるアイドル。そして――」

 森也はいったん、言葉を切ってから言った。

 「おれのペンとなる人間だ」

 「ペン?」

 「そうだ。おれの構想は現代の常識からはかけ離れている。常識に染まっている人間たちがおれの構想に賛成することはない。反発されるだけだ。医者が患者を診ているところに霊能力者が乗り込んで『自分の方がうまく治せる』というようなものだからな。まちがいなく門前払い。結果を見せればなおさら忌避きひされる。

 どんな世界でもそうだが『新しい考え』が主流になるのは、最初からその新しい考えに染まった新しい世代が台頭してからのことだからな。だから、いまだ常識に染まっていない若い世代に語りかけ、賛同者を作りあげる。

 そのためにはマンガはきわめて有効な手段だ。だが、あいにくと、おれには多くの人間の共感を呼ぶキャラを作ることが出来ない。だから、それができる人間が必要だ。おれの構想に共感し、おれにはできない大勢の人間の共感を得るキャラを描ける人間。おれのペンとなる人間。そんな人間をお前が連れてくるんだ」

 その森也の言葉に――。

 瀬奈があわてた様子で割って入った。

 「ま、まてよ、森也。さくらだってまだ学生だぞ。そんな要求、無茶すぎるだろう」

 「……やる」

 瀬奈の言葉はまちがいなくさくらの負担を思いやってのものだった。しかし、さくらはそれがまるで『余計なお世話』と言わんばかりの力強い声で断言した。瀬奈が一瞬、唖然あぜんとしてしまうほどの断言振りだった。

 「やってみせる。絶対、兄さんが必要とする人間を集めてみせる」

 「けっこう」

 森也が静かにうなずいた。

 「それでは、はじめよう。おれたちの挑戦を。月でピザを食うために」


           序章完

           第一話につづく

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