序の四

 「手順三つ目」

 森也しんやは三本の指を立てたまま言った。

 「八百万やおよろず世界せかい

 「八百万の世界?」

 森也の口から思い掛けない言葉が出てくるのにはもう慣れたので、そう聞き返したさくらの口調も疑問形ではあるが驚いてはいない。

 森也はさくらの疑問には答えず、もうひとりの妹を見た。『血のつながらない』妹の方を。

 「ひかる。お前は以前、おれに聞いたことがあったな。『なんで国境なんてものがあるの?』と」

 「えっ? う、うん」

 たしかにそう尋ねたことはある。それは覚えている。でも、それはもう何年も前のこと。確か、小学校に入りたての頃、はじめて世界地図を見たときに尋ねたことのはずだ。

 なんでいま、この場で、そんな古いことを持ち出したのかわからなくて、ひかるは戸惑った声をあげた。

 森也はかまわずにつづけた。

 「あのとき、おれはその問いに答えられなかった。だから、一緒に答えを探してみようと言うことになった。そのときにたどり着いた答え。覚えているか?」

 「うん」

 ひかるはうなずいた。

 「言ってみろ」

 森也に促されてひかるは姿勢を正した。クラスでの発表会のときのように真剣に話しはじめる。

 「国境がある理由、それは『国家すなわち交通網』だから。

 国はそれだけでは国たり得ない。交通網を整備し、人・金・物を行き来させてこそはじめて『国』として機能する。だけど、交通網は自然と生まれるものではない。人の手で建設し、整備し、維持・管理していかなくてはならない。

 では、誰が交通網の管理に責任をもつのか。

 それを示したものが『領土』。

 『この範囲の交通網の管理は、このものが責任をもつ』

 と、そう定めたのが領土であり、すなわち国家。

 そして、国境とはその領土の範囲を示すもの。つまり、交通網の維持管理の責任者を現わす線。まさに『交通網こそ国家』」

 おおー、と、あきら、瀬奈せな、つかさの三人がそろって感嘆の声をあげた。

 無理もない。

 小学生にはまだまだむずかしいと思われる言葉を淀みなく語るその姿。さすがに『超』のつく優等生と言うべきか。まるで、弁論べんろんを述べる大学生のよう。歳に似合わない利発りはつさに、おとなたちが感心するのは当然だった。

 感嘆かんたんの声をあげなかった三人のうち、森也は『当然』と言わんばかりの態度でうなずいていた。母親のトウノはいかにも母親らしく『ドヤ!』とばかりの決め顔で鼻息荒く自慢げ。そして、さくらはと言えば――。

 ――兄さん。ひかるとはそんなことしてたんだ。あたしとは一緒になにかをしたことなんてなかったのに。

 と、決して『軽い』とは言えない嫉妬を感じていたのだった。

 森也は『血のつながった妹』の思いをよそに話をつづけた。

 「そうだ。それが、あのとき、おれたちの出した結論だった。その結論はいまもかわっていない。交通網こそ国家であり、領土とは交通網に対する責任を定める範囲。国境とはその範囲を示す境界。

 かつてなら、人類が地べたを移動するしかなかった時代ならそれは正当なことだった。人・金・物は運ばれなければならなかったし、運ぶためには交通網の整備は絶対条件だった。そのためには責任者を決めなければならない。領土を決め、線で囲い、責任者を決めるのは必要なことだった。その副作用として、その領土内に生まれた人間は自動的にその国に所属しなければならないことになったが、それは言わば『必要悪』だった。だが……」

 森也はいったん、言葉を切った。

 まわりのみんなが自分の言葉を消化するのをまつように時間を空けたあと、再び話しはじめた。

 「時代はかわった。いまや、人間は空を飛んで移動し、人・金・物を運ぶことが出来る。地べたを移動する必要はない。それはつまり、交通網を維持整備する必要もなくなったと言うことだ。交通網が必要ないなら領土も必要ない。領土が必要ないなら生まれた場所によって所属する国家を決められる必要もない。『国家』という存在はアップデートされるべき次期にきたんだ」

 「アップデート?」

 「そうだ。これまでの領土国家からネットワーク国家へ。生まれによって所属する国家を決められていた時代から、自分で所属する国家を決める時代へとな」

 「どういうこと?」

 さくらが重ねて尋ねる。

 「簡単なことだ。各共同体は自分の所属したい国を選び、その国と契約する。共同体は契約した国に契約金を払い、契約した国は裁判官から警察官まで統治システム一式すべてを共同体に送り込み、自分たちの法に従ってその共同体を管理する。

 中東の都市がEUと契約し、EUの都市がアジアと契約し、アジアの都市がアフリカと契約し、アフリカの都市がアメリカと契約し、アメリカの都市が中東と契約する……そんな世界が実現する。

 もはや、『生まれた場所』に縛られる必要はない。地球上のどの場所に生まれようが、自分の望む価値観、自分の望む法体系のもとで暮らしていけるようになる。それがネットワーク国家。アップデートされた国の姿だ」

 「す、すごいとは思うけど……」

 瀬奈が圧倒された様子で言った。

 「そんなこと、出来るものなのか? 中東の都市がEUと契約し、EUの都市がアジアと契約し……なんて」

 瀬奈の疑問は常識人としてはいたって自然なものだったろう。

 ずっと離れた地に司法システム一式を送り込み、統治する。

 そんなことが簡単にできるとは思えない。

 しかし、森也はこともなげに答えた。

 「出来るさ。やることは植民地経営と同じだ」

 「おお、たしかに!」

 感心したように声をあげたのは、海賊物を描いているだけあって大航海時代やそれにつづく植民地時代のことにはくわしいあきらである。

 「たしかに、植民地経営とは母国と遠くはなれた地に母国の慣習や法体系を持ち込み、現地を統治する仕組みだったわけだからな。すでに前例のある方式なわけだ」

 「そういうことだ。インターネットのない時代にすでにそれだけのことが出来ていたんだ。いまの時代ならずっと簡単にできる。そして、ネットワーク国家最大の特徴。それは……」

 「それは?」

 あざといが、ツボを心得た森也の溜めに一同が引きつけられる。

 森也は重々しく答えた。

 「自分で国家を作れる、と言うことだ」

 「自分で国家を⁉」

 「そうだ。どの国と契約するかは各共同体の側が決める。と言うことはだ。どこかで、誰かが、自分の望む法を作り、その法のもと、どこかの共同体と契約出来たなら……それで『自分の国』が誕生する。生まれた国の法に嫌々従う必要はない。誰でも自分の望む法のもと、自分の望む国を運営出来る。

 もう、国に不満があるからといって、かえるために争う必要はない。生まれた国に不満があれば、いつだって飛び出して自分の国を作ることが出来るのだからな。

 単一の法、単一の価値観に支配された世界ではない。一人ひとりが自分の望む法、自分の望む価値観のもとで国を作り、運営していける世界。無数の社会が併存へいぞんしていく世界。それが八百万の世界。

 そして、もし、世界中の共同体と契約することが出来ればそれで世界の支配者。歴史上、誰ひとりとして出来なかった全世界征服が完成する」

 おおっ、と、全員の口から声がもれた。

 世界征服。

 やはり、その言葉には逆らいがたい浪漫がある。

 「うおおおっ! 燃えてきたあっ!」

 背景に吹きあがる炎を背負ってそう叫んだのは、全員の予想通り熱血大好き赤岩あきらであった。

 「つまり! 我が富士ふじ幕府ばくふも世界を征服出来るというわけだな」

 「世界中の共同体が契約を望むだけの統治システムさえ作りあげればな」

 森也はそういう答え方をした。

 「これはゲ―ムだ。戦争を繰り返し、都市を奪い合うSLG。八百万の世界とはまさに、そんなゲ―ムの世界を現実のものとした世界だ。ただし、八百万の世界で使われるのは武力ではない。あくまでも政治力。つまり、『いかに人を幸せにするか』という力だ。

 多くの共同体と契約するためにはその統治システムがそれだけ魅力的なものでなければならない。世界征服の野望に燃える人間ほど、人々のことを考えた統治をすることが必要になる。『娯楽産業による経済支配』と同じように、欲望を満たすことがそのまま、全人類の利益につながる。

 そして、自分を世界の支配者にしてくれるかも知れないシステムを壊す人間はいない。万人に『世界の支配者』となる道を開くことで、自らシステムに従わせる。万人がシステムに従うなら争いはあり得ない。

 それが、四つの手順のうちの三つ目。八百万の世界。そして……」

 森也はついに四本の指を立てた。

 「四つの手順、最後のひとつ……」

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