勘違い男の末路

ハタラカン

疑心魔女


「好きです…付き合ってください」

職場の後輩から告白された。

かわいくて性格良くて能力もあるパーフェクト妹系後輩。

俺はまず周囲の様子を窺った。

忘年会の帰路に人影は確認できない。

しかしそれは『現状視野に納まる範囲では』という前置き付きでだ。

そこで次に俺は駆け足で周囲の物陰を探り始めた。

電柱、街路樹、塀…俺たち二人を監視可能な場所を徹底的に見て回る。

…………………誰もいない。

バカな…そんなバカな。

後輩は何らかの罰ゲームを受けている最中のはずだ。

なぜ誰も現場を観ていない?

まさか!?

閃きと同時、空を仰ぐ。

夜闇が張り付いているだけで何も飛んではいない。

ドローンからの空撮ではないのか…?

するとCCDカメラ!?

はたまた望遠カメラ!?

そこまでされては罰ゲームへの情熱に脱帽するばかりである。

確かめようが無い。

「あの…返事を…」

俺があちこち飛び回ったり推理を進めたりしている間、ずっと立ち尽くしていた後輩が促してきた。

年末の寒気の中黙っていたせいか、ただでさえ小さな体をさらに縮こまらせている。

これ以上迷ってはいられんか…。

「俺も君が好きだ。付き合ってくれ」

俺の勘違い度が大きければ大きいほど監視者は満足すると考え、冷えてしまった後輩の手をガッシリ握りしめながら告げる。

この茶番をとにかくさっさと終わらせたかった。

忘年会の手品芸の挽回を道化芝居でやらせてくれるなら喜んで踊ろう。

「はい…ありがとうございます…♡」

俺の快諾を受けた後輩は、上目遣いを崩さぬままぎゅっと握り返してきた。


その後、彼女の希望で同棲がスタートした。

何だ?

何なのだ?

もはや罰ゲームなどという段階ではない。

もっと恐ろしい何事かが裏で蠢いている。

彼女のような良い女と書いて娘が俺を好きになるわけがないのだ。

いったいどんなどす黒い陰謀が俺を巻き込んだのか…。

わからない。

首を振っても頭を抱えても、その中に答えは入っていないのだから。

「よいしょ」

床運動の如く懊悩していると、彼女が背中に乗ってきた。

「一人で遊んでないでわたしにかまってください」

耳元で妖しく囁いてくる。

どういうつもりなんだ?

囁きの意図はわかる…彼女流の前戯だ。

これまでに幾度となくあった。

その効果はまさしく魔法であり、俺がどんなに疲れていようがたちまち硬直させる威力を持つ。

知りたいのはどうしてその魔法を俺なんかにかけるのか、だ。

どうして…いや、自問しても埒が明かない…俺は意を決し問うた。

「どういうつもりなんだ」

いまいち厳しくなりきれぬ語調になってしまったが、一応切り出せた。

「何が狙いなんだ?俺と付き合って、同棲までして…君に何の得がある?」

「ふふっ…さあ、なんでしょう?

今たーっぷり教えてあげますから、わかったら言ってください」

またはぐらかされた。

もう彼女は何を問われたか忘れたみたいに夢中で俺の耳をねぶっている。

見えないが、きっと満面の笑みを浮かべているだろう。

彼女は正体を追求されると必ず笑うのだ。


同棲から1年後、懐妊を機に彼女は円満退職した。

本人の希望だった。

稼ぎは半減したものの、元々俺も彼女も物欲に乏しいタチなので苦労のうちには入らない。

披露宴その他諸々の費用はそれまでの二人分の貯金で余裕もって支払う事ができた。

まるで計算されていたかのように…。


「おうよしよし」

休日、俺に似てしまった哀れな我が子を抱きかかえているとふと疑問を思い出した。

俺は何をやってるんだ?

一体全体どうしてこうなった?

本来であれば今なお独身貴族を謳歌していたはずではなかったか?

否。

その程度の表現では足りぬ。

独身でなければならなかったはずだ。

そうだ、現状は不条理極まりないのだ。

俺が順風満帆な結婚生活を送る世界などあってはならない。

俺はそれに値する男ではありえないからだ。

そろそろいい加減教えて欲しい。

何のためにこんなまわりくどい真似するのかを。

「妻よ」

「なんですか?夫よ」

有能な妻はいついかなる状態で話しかけても調子を崩したりしない。

洗濯と料理と粋な返しのマルチタスクを易々やってのけた。

「もういいだろ?君の正体と目的を教えてくれ」

「あらあら…いつものですか。

わたしはあなたの妻ですよ。

今ご自分でおっしゃったでしょ?」

いつもの受け流し。

「目的のほうを知りたいならその子を寝かしつけてくださいね。

いつものクイズを出してあげますから」

妻は淫靡な笑みを見せつけながらマルチタスクを続けた。


3年後、俺は第二子を抱えてふと思い出した。

「妻よ」

「はいはい」


また3年後、俺は第三子を抱えてふと思い出した。

「妻よ」

「はいはい」


それから長い年月が過ぎた。

「婆さん」

「はいはい」

妻は呼びかけただけで自分と俺との二人分茶を用意した。

一歩間違えば鬱陶しいだけの先読み。

しかし有能な妻は今日まで一度も読みを外していない。

『俺に関する事柄なら』という前置き付きで、だが。

「よっこいしょ…いい天気ですね」

俺のあぐらの中に入る形で座り、背中を預けてくる妻。

ちょうど俺の顎の下に頭頂部がある。

そこは我が子にさえ譲らぬ彼女のお気に入りの場所だった。

子の独立を見送って久しい家には居場所がいくらでもあるというのに、妻はわざわざ俺に身を預けに来るのだ。

「婆さん…俺もそう永くない。教えてくれ。

君は何のために俺なんかの側にいたんだ。

君ならいくらでも他に道があった。

会社に勤めてた時からしてそうだ。

俺でもいけるならって会社の男ほぼ全員が君に告白したろう?」

「ありましたねえ、そんな事」

「なのになぜ。

いつまで俺を騙し続けるつもりなんだ。

何か裏があるはずだ。別の目的が。

教えてくれるまで何度だって聞いてやる…君は何のために俺の側にいたんだ」

「そうですねえ…」

しばし考えている。

かつてはあまり見られなかった反応だ。

ついに陰謀が明かされるのか…?

「あなたを騙していたかったから、でしょうね」

「騙す事自体が目的…?」

「はい。

だから永くないなんて言っちゃいけません。

わたしが死ぬまで騙され続けてくださいね。

それが生きがいなんですから」

顔は見えないが、笑っているのはわかった。

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