第37話 如何にせば

 彼女のことは、猫だと思えば良い。ただ可愛くて、俺はひたすらに可愛がれば良い。危険があればそこから遠ざけて、俺が守ってやればいい。たしかに彼女はたまに俺を傷つけるけど、飼い猫が花瓶をひっくり返して怒る人はいない。そういうものだと割り切ればいい。今頑張って勉強して大人になったらそれなりの収入を確保して、なんとかして彼女と結婚して、家でずっと好きな事をさせてあげれば良い。家事なんかは何もしなくていい。グランドピアノが欲しいなら買ってあげるし、絵が描きたいならアトリエも用意する。何も見返りは求めない。ただ俺の家にいて、彼女自身が何も傷つくことなく幸せに暮らしてさえいれば。俺はそれを見る事が出来れば満足だ。


 俺の彼女への想いはもはやそんな域にまで達していた。こんなことを考えるのも最近、稀ではない。でもその度に引っかかることがある。まずこの状態に持っていくまでにはいくつもの障害があるだろう。そもそもあまり現実的な考えじゃない。でも、もし何もかも順調にこれが上手くいったと仮定しても、俺には疑問が残った。実際にそう出来たとして、それは解決なのか。


 最初彼女と会った時は、単におかしいちょっとヤバいやつ。続いて、どこか上から目線で謎の自信に満ち溢れている感じだった。でもいざ蓋を開けてみれば、その心のうちは劣等感の塊だった。なにもかも上手く行かず、傷ついてばかり。傷ついてばかりなのには当然理由があって、彼女は他人を傷つける。でも、そんな風に自分の生まれ持った性質が社会に受け入れられないものだったら俺はどうしていただろう?


 彼女のような性質を持つ人は、彼女の他にも大勢いる。もちろんそれら全てを助けようとは思わないが、俺はたまたま彼女に恋をした。だから彼女を助けたいと思う。助けたいと思うのは、彼女が自分の持つ性質で社会に苦しんでいるからだ。でももし、全く同じ性質を持つ中で、彼女が今の見た目でなかったらどうだっただろう?


 これについて考えるたび、俺は自分の醜さに嫌気がさす。俺が彼女に恋をしたのも、助けようと思って色々出来るのも、彼女からされる事に我慢できるのも、全て彼女が可愛いからだ。もし彼女が今のような可愛い女の子でなく、ブサイクで太った不潔な男だったら。俺は虐げる側にまわっていた。もしそんな奴に、今まで彼女に言われたようなことを言われたら。おそらくまだ入っていたサッカー部で仲間に悪口を言いまくっていただろう。俺が直接しなくても、そいつへのいじめは黙認するだろう。


 そういうような人たちの中で、たまたま見てくれの良かった1人──藤原紗菜に俺のような「理解のある彼くん」が現れたとして、それは何の解決にもなっていない。いや、俺は決して彼女のことを理解など出来ていないが。ただ可愛いから全てを許しているだけだ。理解と許容は似て非なるものだろう。それも劣情によるものだ。そんな俺が理解者面をして言い訳がない。


 彼女さえ助けられればそれで良い。そう考えれば良いし実際そうするつもりだが、彼女を社会から隔離してただ好きなものをただ与えることは本当に彼女のためなのか。猫だと言えば聞こえは良いが、人間扱いをしていないことに変わりない。


 塾に向かう途中に、またそんなことを考えていた。でも今回はこれくらいにしておこうと思った。もうすぐ彼女と合流する。いつもの乗り換え駅のホームだ。


 また夜更かししてたのか、彼女はいつものようにとても眠そうな顔をしてやってきた。おそらくもうコンサータは飲んでるだろう。遊園地に行ったときは特別で、というか無断だったはずだ。


「やっほー橋下」


「やっほ。眠そうだね」


「う~ん......」


 彼女はそう言って一度あくびすると、目を閉じたままニマ~っと笑った。俺がゆっくり手を伸ばすと、彼女は一度それの方を見てから目を閉じ、俺が頭を撫でるのを受け入れた。珍しく髪を下ろしていたので、俺は撫でていた手を彼女の頭の後ろの方に流した。ふと目を開けた彼女と目が合う。見慣れない髪型が新鮮で、いつもよりいっそう愛らしく見える。


「なんでそんな泣きそうな顔してるの?」


 俺は少しほほ笑んだ。


「相手の表情が読めるようになったの」


「あんまりあからさまだから。私でも分かる」


「じゃ、クイズ。なんでそんな表情かおになったと思う?」


「うーん、私のことが好きすぎて?」


 思わず笑ってしまった。その通りだ。


「うん。そうだね」


「やった! うーん、橋下のクイズは全部これでクリア出来るかもね」


「じゃ、それは禁止カードで」


「むぅ」


 彼女は少し困ったような顔をしたが、すぐに表情が緩んでほほ笑んだ。俺は我慢できずにまた頭を撫でる。どうすれば良いかは分からない。でも、やっぱりこの笑顔を守りたいと俺はまた強く願った。

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