第20話 炎天下の鯉

 さてどうしたものか。進むにしろ戻るにしろ方角が分からない。今来た道を戻れば良い? 残念ながら俺にその能力はない。彼女にはその能力があるだろうか? だがあったとしても彼女に行動を委ねるわけにはいかない。その危険性はたった今証明された。


「藤原、目的地まであと何分だった?」


「確か7分だったと思う」


「最初、何分になってた?」


「20分くらい」


「じゃあもう、カフェの方が近いんだな」


「じゃ、カフェの方行こ。たぶんこっち」


「まぁそうだな。......何しろ暑い」


 そうして俺たちは、カフェのあるであろう方向に歩き始めた。格子状の道をジグザグと5分ほど歩いて、そこでマップを開いて読み込むのを待てば良い。彼女曰く、北を0時とすればカフェは10時半の方角にあったらしい。......いいや、おかしい。最初見た時カフェは学校の北東にあったはずだ。


「藤原、さてはギガが切れるまえから道を間違えてたな」


「スマホの通信容量のことギガって呼ぶの、やめない? コンデンサーの静電容量をマイクロって呼ぶようなものだよ」


「御託は良いから」


「なんていうか、どこで曲がれば良いのか分からなくて」


「アプリが曲がれって言ったときに曲がれば良いじゃないか」


「このマップ......曲がるところが無い時に曲がれって言ったりするの」


「そんなまさか。ちょっと見せてみろよ」


 彼女はスマホを開いて俺に見せたが、アプリはまともに動かず原因は分からない。その時、彼女の体がフラついた。彼女の顔を見てみると、最近ずっと青かった顔が逆に赤く上気している。かすかに息も赤かった。


「髪、くくったらどうだ? ちょっとは涼しくなる」


 彼女のボブヘアは以前よりもだいぶ伸びて、首をほとんど隠してしまっていた。これでは空気の通りも悪いだろう。


「ヘアゴム、持ってたかな」


 俺は彼女が道の真ん中におろしたリュックを持って道端の日陰に移動した。だが、彼女はそのまま道の真ん中でボーっと立っている。元からダメじゃないとは言い切れないが、暑さで頭がそうなりかけているらしい。俺が日陰から手をパンパンパンと鳴らしてやると、やっとこっちへ来た。


「池のコイみたいに呼ばないでよ......」


「コイでも良いから、ヘアゴム探せよ」


 彼女がリュックの中を引っ掻き回す光景を見たのはこれで何度目だろうか? その経験を踏まえると、今回彼女が目当ての物を見つけるまでにかかった時間は比較的短かった。彼女はそれからのろのろとした動きで髪を頭の後ろで縛る。実は、彼女のポニーテール姿を見るのはこれが初めてだ。夢が一つ叶った。


「リュック俺が持つから、これ使っといて」


 俺は彼女に自分のハンディ扇風機を渡してから、彼女のリュックを肩にかけた。彼女は一言「ありがとう」と言い、二刀流のハンディ扇風機で風を浴びた。そうして俺たちはまた歩き始める。木と漆喰と瓦の建物に囲まれた、炎天下の石畳の道をふたりで歩いた。無数の針のようなセミの声が、辺りをより一層暑くさせているようだった。


 そしてまた5分ほど歩き、俺は日陰に入って彼女のスマホを開いた。もうカフェはだいぶ近いはずだ。時間はかかるだろうが地図が読み込まれれば、それを頼りにすぐカフェにたどり着けるだろう。彼女もだいぶ限界のようで、壁にもたれたままへなへなと座り込んでしまった。彼女は頑なに自販機の水を嫌がった。どれだけ待っても通信は終わらず、マップ画面は更新されない。その時、彼女が腕を持ち上げてどこかを指さした。


「あそこ......」


 彼女の指はかなり遠くを指さしている。目を凝らしてその先を見てみると、小さな壁をツタが覆っていて、その中からキラリと窓が光っている。


「あのカフェだ! 間違いない」


「良かった、行こう......」


 彼女はゆっくりと立ち上がる。少しよろけたので、俺は抱えるように彼女の肩を持って歩いた。やはり彼女の体は熱かった。


「暑いから、ひっつかないで」


「ごめん」


 そうして俺たちはやっとの思いでカフェにたどり着き、そのシックな木の扉を開けて中に入った。

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