第16話 叫び

 テストまであと数日。別の勉強をしたいからか塾のクラスメイトはほとんど出席せずに自習室へ行っていたが、俺と藤原は律義にも講師の授業に出ていた。その日は授業がふたコマあり、塾を出る頃には22時をまわっていた。半袖から出ている二の腕が涼しい風に冷やされる。


「最近、全然質問に行かないな」


「あぁ、うん」


 塾に行き始めた頃は、彼女はほとんど毎回、授業の後で講師に質問をしていた。次の授業が始まるからという時はそれが終わるまで自習室で待ち、ノートとペンを持ってその講師のもとへ行く、というような事を繰り返していた。日によってはそれは1時間を超える事もある。「勉強熱心で探究心が素晴らしい」と講師たちは彼女を称賛していたが、彼女はここ数日全くそれをしていない。


「なんか、もういいやって思っちゃって」


「今になって、めんどくささが勝ったのか?」


 俺がそう言うと、彼女の歩くのが少し遅くなった。


「本当はね、知りたいの。だけど、聞いても分からなくて」


「あー、確かにそれはダルいな」


「たぶん、今までの学校の授業をちゃんと聞いてたら、分かったんだと思う。だから自業自得なの。質問して、先生に教えてもらっても分からなくて。きっと凄く分かりやすく教えてくれてるのに、全く分からなくて、先生の問いかけに全く答えられない。あの時間が苦痛なの。困り顔の先生を前に何を考えてるのかも分からないまま考え込んで、みっともなくて、恥ずかしくて、全部自分のせいで。そもそも見当違いな質問をしてる事もよくあって」


 俺のふとした問いかけから始まるマシンガントークには慣れていたが、今日は様子が違った。彼女の声が次第に震えていく。


「全部が自分のせいって、分かってる。勉強が出来ないのも、友達が出来ないのも、人に嫌われるのも、お母さんに怒られるのも、お母さんが悲しむのも。全部、全部自分のせいなの。でも自分じゃどうにも出来なくて。今度こそ気をつけよう、今度こそやらないようにしようって思っても、ダメなの。予定を忘れないために、アプリでスケジュール管理をしようとしても、入力するのを忘れるの。入力しても設定を間違える。大事な事は手に書けばいいって教えてもらったけど、いざその場面になったら手に書くっていう事を忘れてる。そりゃ、やる気がないって言われても仕方ないよね」


 俺はふと彼女の方を見た。いつの間にか目が少し潤んでいて、街灯の光をきらりと反射する。それから彼女は何かのスイッチが入ったように、しかしゆっくりと嘆きの言葉を吐き出しはじめた。


「自分じゃどうしようも無いのに、全部自分のせいなの。ねぇ、共感ってどうやったら出来るの? 人の気持ちってどうやったら分かるの? 私には予想しか出来ない。それも見当はずれな。なんで皆んなは人の気持ちなんて分かるの? 小学校の道徳の授業、ほとんど何もかもちんぷんかんぷんだった。正しい答えは無いって先生が言ったけど、怒られる答えや馬鹿にされる答えは無数にあって、私が答えるのは全部それ。空気を読むって何? 暗黙の了解って何なの? なんで皆んなは教えられてない常識が最初から分かるの? なんで普通に考えたら分かるの?」


 彼女が立ち止まり自分の頭を抱える。


「なんでさっきまで笑ってた人が突然怒り出すの? なんで怒ってる理由を教えてくれないの? なんである日突然私を避けるようになるの? 答えは分かってる。私がその人を傷つけたから。でもいつ? なんで他の人は、自分が言う前に相手がどう思うか分かるの? なんで先に気づけるの? なんで言い止まれるの? なんでこんなに分からない事だらけなの? なんで!! 私だけが、分からないの!?」


 周りに響き渡るような、大きな声では無かった。だがその絞り出すような震えた声は、彼女には出来ない「共感」によって痛いほど俺の心に響く。彼女は少し鼻を啜りやがて歩き出したが、俺はたまらなくなって彼女に言った。


「ごめん、藤原。 俺、藤原のこと全然分かってなかった。そんなに悩んで、辛い思いを......していたなんて」


 気付けば俺の声も震えていた。彼女は空を見上げて、一度深呼吸をする。


「ありがとう、聞いてくれて。ちょっとスッキリした」


 そこからの帰り、彼女は泣いた余韻でしばらくは鼻でスンスンしていたが、あまり表情は暗くない。それから電車で座るなり、俺の体によりかかってすぐに寝てしまった。

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