第34話 機能停止
4月14日水曜日、午前7時。
僕は目覚まし時計のベルで目覚めた。
いつも僕より早く起きているガーネットが、まだ休眠していた。
昨夜遅かったから、まだ充電が済んでいないのだろう。
僕は彼女を布団の上で眠らせたまま、カップ麺を食べ、出勤の準備をした。
8時になっても、彼女は起きてこなかった。
おかしいなと思ったが、出かけないと遅刻してしまう。
僕はガーネットを充電状態にしたまま、自転車で市役所へ向かった。
その日はずっと落ち着かなかった。
ガーネットはもう起きているだろうか、と気になって仕事が手に着かない。
「波野先輩、どうかしたんですか? 明らかに心ここにあらずって感じですよ」
「あ、ああ、すまない。なんでもないんだ」
新人の本田さんに心配されるとは情けない。
僕は懸命に仕事に集中しようとした。
昼休み、ガーネットに『起きたか?』とだけメールした。
返信はなかった。
嫌な予感が高まり、午後はさらに注意散漫になって、目の前の電話が鳴っているのにも気づかないていたらくだった。
お手洗いから戻ってきた本田さんが、走って受話器を取った。
矢口補佐と村田さんは会議で席をはずしていて、竹中さんは年休を取得していたので、僕が取らなければならなかったのに。
固定資産税課からの問い合わせだった。
「波野先輩、公有財産管理委員会って言ってるんですが、なんのことかわかりません」
僕は電話をかわった。
公有財産管理委員会とは、市有地の売却価格を決定する市の諮問機関で、担当は村田さんだ。
不在だが、単に日程に関する確認だったので、僕でも答えることができた。
「本当にどうしたんですか? 体調でも悪いんですか?」
「実は、ガーネットが休眠状態から醒めないんだ」
「そうですか……。それは心配ですね」
「うん……」
勤務時間中だ。しっかりしないと。
「波野ぉ、いまの対応はなんだ! 電話が何回鳴ったかわかっているのか!」
開高課長に叱られた。
「すみません」
頭を下げるしかなかった。なんの言いわけもできない。
午後5時15分、僕は定時に席を立った。
「お先に失礼します」
「お疲れさまでした」と本田さんが言った。
少し遅れて、その他の課員たちが驚いたようすで、同じ台詞を言った。僕が定時ちょうどに帰ることははめったにない。
自転車を飛ばして、白根アパートに帰った。
祈るような気持ちで201号室の鍵を開けた。頼むから、起きていてくれ、ガーネット。
彼女はまだ休眠していた。
朝見た状態と同じで、ピクリとも動いていないようだ。
まさか、故障してしまったのか?
原因にまったく心当たりがない。
落雷はなかったし、ガーネットがどこかに頭をぶつけたりもしていなかったはずだ。
矢も楯もたまらず、僕はスマホで本田浅葱さんに連絡した。
すぐに彼女は電話に出てくれた。
「波野です。お忙しいところすみません」
「本田です。ガーネットになにかありましたか?」
「はい。いま相談させてもらってもよろしいですか?」
「どうぞ」
「ガーネットがずっと休眠したまま起きてこないんです。とっくに充電は終わっているはずなのに」
「激しくなにかに激突したりはしていませんか?」
「なかったはずです」
「そうですか。いま河城市の研究所にいます。すぐそちらに向かいます」
「はい。本当にすみません」
「いいんですよ。ご連絡ありがとうございます。ガーネットの保守は私の仕事です」
プリンセスプライドの社長を動かすのに、ふつうならいくらかかるのだろう?
僕の月給など軽く吹っ飛ぶにちがいない。
20分後、アパートの前に大きなワンボックスカーが到着した。
浅葱さんと技術者らしい中年男性が降車してきた。
ふたりを部屋に招き入れ、ガーネットを見てもらった。
社長と技術者がアンドロイドの点検をするのを、僕はじっと見守った。
彼女のうなじのUSBポートにノートパソコンを繋ぎ、浅葱さんがキーボードの上に指を走らせている。
ふたりが専門用語を使って会話している。
僕にはほとんど内容がわからない。
1時間が経過した。
浅葱さんが僕の目を見つめた。
「原因不明です」
僕はなにも言えなかった。
「昨日、なにかありましたか?」
「茜さんとファストフード店でおしゃべりしてから帰りました。そのことを怒り、悲しんでいたみたいです」
茜からほとんど告白に近いことを言われたのは伝えなかった。姉に妹の真剣な言葉を明かすことはできない。
「そうですか」
彼女は顎に手を当てた。
「ここではこれ以上のことはできません。ガーネットを研究所に持ち帰らせていただいてもいいですか?」
「はい……。よろしくお願いします」
「では車に運びましょう」
3人でガーネットをワンボックスカーの後部座席に運び入れた。
車が去るのを、僕は胸をかきむしりながら見送った。
このままガーネットが目を覚まさなかったら、堪えられない。
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