第33話 ガーネットの懸念

 金曜日に歓送迎会があり、残業ができなかった分、仕事がたまっていた。

 僕は定時を過ぎても、黙々と働いた。

 本田さんも仕事を積み上げていたが、新人とは思えない鬼のようなペースでかたづけ、午後7時に席を立った。

「もう帰れるんだ。さすがだね」

「今夜はやりたいことがあるんです」

「仕事以外も大切だよね。お疲れさまでした」

「お先に失礼します」

 彼女はいそいそと帰った。

 僕は11時まで仕事をしていた。


 帰宅し、遅い夕食を取りながら、ガーネットと話をした。

「本田さんから告白まがいのことをされたよ」

 ガーネットが色めき立った。

「告白まがいってなんだよ? 詳しく話せ!」

「『先輩はわたしにモテている』とか言っていたな」

「ぐはーっ、やっぱりあいつ、数多が好きなんだ! 数多はモテる。モテないなんて、嘘だった!」

「嘘じゃないよ。僕はあの子に、正直にアニメおたくであることを話した。好きな作品も伝えた。魔法少女ものだよ。本田さんは僕と距離を置くと思う」

「その作品名を教えろ」

「『魔法少女まどか☆マギカ』だよ」

 ガーネットがしばらく沈黙した。まどマギについて調べているのだろう。

「ものすごい高評価の作品じゃないか。魔法少女アニメの画期的作品で、劇場版が3つも制作されている。これを好きというだけで、茜は数多と距離を取ることはないと思う。もしかしたら、まどマギを見て、逆に距離を詰めてくるかもしれない」

「まさか」

「女の子は、好きな男の子の趣味を調べて、話題をつくるんだよ。それが恋の駆け引きってやつだ。少女漫画にはそんなシーンがたくさんある」

「魔法少女だよ? 大人がそんなものを最高だと言ったら、ふつうの女の子は引くだろう?」

「恋する女に常識は通じない。ヤバいな。茜のやつ、他に変なことを言っていなかったか?」

「他には特に妙な発言はなかったよ。『今夜はやりたいことがある』と言って、早めに帰ったことくらいかな」

「それだ! あいつ、帰宅して、まどマギを見るつもりだ。いまも見ているかもしれない」

「いや、それはないだろう」

「今日は茜の仕事は忙しくなかったのか?」

「忙しかったよ。すごいスピードで仕事を終わらせていた。彼女は新人離れした力量を持っているね」

「まちがいない。茜はまどマギを見るために、仕事の速度を上げたんだ」

「考えすぎだと思うけど」

「明日になればわかる。あいつ、必ず話題にしてくるぞ」

「職場でアニメの話はしたくないな」

「数多は茜に好きなアニメのことを教えるべきじゃなかったんだよ。くそっ、あたしも明日はまどマギを見るぞ!」

 ガーネットは憤慨していた。

 僕はまだ彼女が考えちがいをしていると思っていた。


 翌日、ガーネットが正しかったことを知った。

 午前8時15分に職場に着くと、目に隈をつくっている本田さんが僕の方を向いた。

「波野先輩、おはようございます」

「おはようございます、本田さん」

「まどマギ見ました。テレビ版全12話。感動して、涙が止まりませんでした」

「えっ、昨夜のうちに全部見たの?」

「はい。先輩がおっしゃったとおり、最高のアニメでした。今夜は劇場版を見ようと思っています」

「本当に見たんだ……」

「先輩と感想を語り合いたいです」

 僕は愕然とした。ガーネットが予想したとおりだ。

「あ、ああ、いいけど、職場ではやめて」

「じゃあ、週末に会ってください」

「だめだよ。デートみたいなことはできない」

「どうすればいいんですか? わたしは先輩にこの感動を絶対に伝えたいんです!」

「声が大きいよ……。このことについては、後で話し合おう。いまは勘弁して」

 課のみんなが、僕たちに注目していた。

 僕がアニメおたくであることは公言していない。絶対に隠さなければならないことではないけれど、広めたくもない。

 本田さんは僕に熱い視線を注ぎながら沈黙した。

 僕はどう対処すべきか悩んだが、結論は出なかった。

 始業のチャイムが鳴った。

 仕事に集中しなければならない。僕は問題を先送りにした。


 午後9時になっても僕と本田さんは仕事をしていた。

 村中さんと竹内さんが帰って、課内で残っているのは、僕たちふたりだけになった。

「帰って、劇場版を見るんじゃなかったの?」

「それは明日でもいいです。とにかく、先輩とまどマギについて話したいんです。それが最優先事項」

「隣の財政課の人たちが残っている。喫茶店にでも行こう」

「飲みに行きましょうよ」

「ごはんは食べない。ガーネットが夕食を用意してくれているから」

「もーっ、たまにはアンドロイドより後輩を優先してください」

「僕の最優先事項はガーネットだ」

「ちっ、先輩のいけず」

「なんとでも言え」


 僕と本田さんは市役所本庁舎の近くにあるファストフード店に入った。

 僕はコーヒーを飲み、彼女はチョコ味のシェイクをすすった。

 本田さんは全12話をきちんと視聴したようだった。

 見どころを的確に押さえていて、名シーンと各キャラクターがいかに素晴らしいかを熱く語った。

 僕も感動を思い出して、あの魔法少女ものがいかに衝撃的であったか、後の作品にどれほどの影響を与えたのかを話した。

 彼女とのまどマギ談義は楽しく、盛り上がって、気がついたら11時になっていた。

 まだ話し足りなそうな本田さんの言葉を止めて、僕はそろそろ帰宅しようと提案した。

 彼女はうなずいた。

「先輩と話せて、すごく楽しかったです。また付き合ってくださいね!」

 僕も楽しかったと言いそうになったが、思い直してやめた。

「そのうちね」と努めてそっけなく言った。

 僕が去ろうとすると、本田さんは僕の右手をつかみ、彼女の少し体温の低い両手でつつみ込んだ。

「たぶんわたし、先輩が好きです」

 僕は返答できなかった。完全な告白ではない。たぶん、が付いている。

「いつか必ず、わたしとデートしてください。先輩のことをもっと知りたいし、わたしのことをもっと知ってもらいたいんです」

 そう言って、彼女は僕の手を離し、小走りに去っていった。

 その小柄な後ろ姿が、僕に強い印象を残した。


 帰宅し、ガーネットがつくってくれたチャーハンを食べた。

 具は卵とネギとチャーシュー。すごく美味しかった。

「茜はどうだった? まどマギを見ていなかったか?」

「見てたよ。全12話すべて」

「やっぱりな。あたしも見た。傑作だな、あれは。あたしに涙腺があったら、泣いていただろう。で、あいつと感想を話したりしたのか?」

「話したよ」

 僕は職場でアニメの話をしたくなかったので、ファストフード店に行ったことを正直に告げた。

「それはデートじゃないか! あたしも数多とまどマギ談義をしたかったのに! この浮気者!」

「仕方なかったんだよ。ガーネットが言ったとおり、彼女にアニメの話をしたのは失敗だったかも」

「かもじゃない。絶対に失敗だ!」

「面目ない」

「楽しかったか?」

「は?」

「茜と話して、楽しかったかと訊いているんだ」

「楽しかった……」

「ぎゃーっ、今夜は寝ないで、数多とアニメの話をするう!」

「やめてくれ。明日も仕事なんだ」

「うう……。茜は強敵だよう」

「変な心配はするな。僕はガーネットひと筋だから」

「茜とはもう仕事のこと以外話すなよ?」

「それは無理だ。人間関係は大切にしなくちゃいけない。彼女はかわいい後輩なんだから、それなりに付き合うよ」

「かわいい?」

「ああ、かわいいさ」

「爆発しろ、数多!」

「ガーネット、落ち着け。世界は複雑なんだ。おまえと僕だけでできているわけじゃない」

「それはわかっているけどさあ……。でも数多が茜と仲よくしているところを想像すると、正気ではいられないんだよ!」

 どうすればいいのか、恋愛経験がなさすぎて、わからなかった。

「あの子、『たぶんわたし、先輩が好きです』って言ったよ」

「なんだって? それは告白じゃないか。なんて答えたんだ?」

「告白じゃない。たぶんって言ったんだ」

「そんなの、ただの照れ隠しじゃないか!」

 ガーネットはその赤い瞳で、僕の目を真剣に見つめた。

「なんて答えたんだ、数多?」

「なにも答えなかった」

「保留したのか? あたしとあいつを天秤にかけているのか?」

 ガーネットの声が荒々しくなった。

「そんなことしてないよ。僕の心は決まっている。ガーネットが好きだ」

「だったら、きっぱりと茜を振ってくれ」

「きちんと告白されたわけじゃないんだ。振るなんてできない」

「数多は茜にも惹かれているんだろう?」

 ギクッとした。それは正鵠を射ていた。

 僕はガーネットを愛しているが、本田茜のことも好きになっている。

 ガーネットはそのことを見抜き、険しい目で僕を非難していた。

 

 僕は彼女とお風呂に入った。

 彼女は静かに怒りつづけていた。

 会話は一切なかった。

 ガーネットは僕より先に布団に入り、自分のうなじに充電ケーブルを繋いて休眠に入った。

 後味の悪い夜だった。 

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