第15話 甘えん坊アンドロイド

 ガーネットと一緒にお風呂に入った。

 狭い浴槽で、彼女は僕の首にしがみついて、キスの雨を降らせた。

「数多ぁ、大好き」

「うん。ありがとう」

「愛してるって言って?」

「愛してるよ、ガーネット」

 彼女は蕩けたような表情になった。

「あたしも愛してるぜ、ダーリン」

「ダーリン?」

「最愛の人をそう言うらしいと、ネットサーフィンで知った」

「そうか。僕はハニーと呼べばいいのかな?」

「きゃあ、うれしいよぉ」

 ガーネットは僕に甘えつづけた。

 絶世の美少女が裸で僕にさまざまな愛の攻撃を仕掛けてくる。

 のぼせそうだ……。

 

 布団でも、彼女は甘えん坊だった。

「数多ぁ、あたしたち、恋人同士だよな?」

「もちろんだ」

「数多に買ってもらえて、本当によかったぜ」

「もし別の人がおまえを買ったら、その人を愛したんじゃないか?」

 ガーネットが頬をぷくっと膨らませた。

「そんなことは絶対にない。数多があたしの運命の人なんだ」

「そう言ってもらえると、うれしいよ」

「あたしのどこが好き?」

「顔かな」

「えーっ、それだけ?」

「スタイルも好きかな。ガーネットの身体は最高に美しい」

「どっちも外見じゃん。あたしの心は好きか?」

「おまえに心はあるのか?」

「あるって前に言っただろ」

「そうか。おまえの心が大好きだよ、ガーネット。やさしくて、尽くしてくれる。愛してるよ」

「あたしも愛してる。何回だって言うぜ。数多、愛してる」

 そして、僕たちはまた身体を重ねた。


 翌日、3月31日水曜日。

 年度最後の日だ。

「いってらっしゃい」とガーネットに送り出され、僕は出勤した。

 忙しかった。僕は猛烈に働いた。

 定時の午後5時15分になっても、やらなければならない仕事がたっぷりと残っていた。


 終業のチャイムが鳴るとともに、矢口補佐が課内の全員に呼びかけた。

「皆さん、庁舎公用車管理係の伊藤主査が本日をもって退職されます。これからお別れの式をしたいと思います。ご起立ください」

 僕たちは席を立った。課長席の前に、開高課長と伊藤主査が並んでいる。

「最初に、開高課長、送別のお言葉をお願いします」

 司会をつとめる矢口補佐は、ふたりから少し離れて立っている。

「伊藤主査、長い間、河城市のために働いてくれて、ありがとうございました。伊藤主査は公用車管理ひとすじに32年間に渡って、熱心に勤務してくれました。その専門知識は海よりも深く、技術は山よりも高かった。彼が抜ける穴は大きい。しかし、彼は教育熱心でもありました。しっかりと後進を育ててくれました。伊藤主査、感謝しています。定年後の第2の人生でのあなたのご多幸とご健康をお祈りしています」

「次に、伊藤主査からお言葉をいただきます」

 定年を迎え、市役所から去る伊藤主査の目は微かに潤んでいた。

「皆様、いままで大変お世話になりました。私は自動車整備会社から転職して、車両管理の専門家として、ずっと公用車関係の仕事にたずさわってきました。交通事故対応も行いました。つらいこともありましたが、いま脳裡を去来するのは、楽しかったことばかりです。なんとか無事に定年を迎えることができたのは、皆様のおかげです。どうもありがとうございました」


 開高課長から伊藤主査に花束が贈呈された。

 課のみんなが拍手をした。

 伊藤さんは涙を流しながら、管財課を出ていった。

 彼からは仕事をやり切った満足感が伝わってきた。

 あんなふうに退職できたらいいな、と僕は思った。


 伊藤さんが去った後、ゆっくりと感慨にふけっている余裕はなかった。

 早く帰りたいが、仕事が終わっていない。

 ばっさばっさと業務をかたずけ、一杯飲んでいかないかという村中さんの誘いを断って、午後9時に市役所から出た。


 夕食を食べながら、ガーネットと話をした。

「伊藤さんという隣の係の人が定年退職をしたんだ。明日はうちの係からも加賀さんという人が生活保護課へ異動して、夏川さんという新人が管財係に入ってくることになっている。僕は新人の教育担当を任されているんだ」

「新人? 夏川というのは、女か?」

「夏川カレンという名前だから、女性だろうな」

「若い女か?」

「まだ会っていないけれど、大卒の新人だから、若いな」

「むう。数多、浮気するなよ」

「しないよ。それに、僕はモテないんだ。浮気なんてありえないよ」

「数多はその気になれば、モテると思う。かっこいいし、真面目で誠実だし、美点しかない」

「僕はかっこよくないよ」

「数多は自己評価が低すぎる。だからモテなかったのかもしれないが、自信を持てば、絶対にモテる。若い女はきっと数多に惚れてしまうぜ。すごく心配だ」

「そんな心配はいらないよ。絶対にない仮定だけど、もし夏川さんが僕を好きになったとしても、僕にはガーネットがいる。おまえを愛しつづけるよ」

 ガーネットが僕の手を握った。

「絶対だぞ」

「ああ、約束する。昨日、指切りをしたじゃないか」

「そうだったな。浮気したら針千本だ。そんなに飲んだら、数多は死んでしまうな。それはすごく嫌だ」

「針千本飲むというのは、比喩表現で、実際に飲ませたりはしないだろ?」

「いや、あたしを捨てたら飲ませるぜ」

 ガーネットの目はマジだった。少し怖い。


 その夜もお風呂とお布団の中で僕とガーネットはイチャイチャした。

 しあわせだ。

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