第9話

 霧島那由他が発見されたのは、失踪から実に5時間後。

 既に日付が変わっても続けられた捜索中、運河公園付近を探しに出た博雅がベンチで眠る彼女を見つけた。


「どういうことだ?」

「薬物で眠らされています」

 ふとんに寝かされ、眠り続ける那由他の様子を見ていたルシフェルが、かなめにそう答えた。

「薬物?」

「エーテル系です……羽山君、涼子さんは?」

「手配済みだ」

「命に別状はないけど……」

「ナナリ?」

「あの……クスリもそうなんですけど」

「ん?」

 ルシフェルがかなめの後ろに並ぶ男達を見て言葉を詰まらせた。

「みんな、あのね?那由他ちゃんの服を脱がすから」

「そうか」

 南雲は背後に並ぶ生徒達に言った。

「羽山、機材用意しておけ」


「先生!私じゃ満足出来ないってこと!?」

 涙混じりの未亜の罵声が隣部屋から聞こえてくる。

「い、いや!そうじゃなくて!」

 ドスンッ!

 バタンッ!

 南雲の悲鳴と一緒に家が揺れる。


 今、この部屋にいるのはルシフェルとかなめだけ。

 男はすべて外に出された。

 というか、南雲は未亜に部屋から隣室へ引きずり出され、修羅場の真っ最中。

 とばっちりを恐れた羽山達が居間に避難中。

 そうなっている。


「あの南雲先生の言葉、全然別な意味なんですよね?」

「南雲も馬鹿だ」

 かなめは呆れたという顔で、

「ちゃんと警備用機材といえばいいものを」

「未亜ちゃん、撮影機材と勘違いして」

「……まぁ、いいクスリだ。ところでナナリ」

「これです」

 ルシフェルがかなめに見せたかったもの。

 それは……

「この痣(あざ)は?」

「わかりませんか?」

「縄で縛られた痕だな。―――手首だけか?」

「それが……」

 ルシフェルが那由他のブラウスを脱がせる。

 全身に縄の痕と、鞭か何かで叩かれた痕があった。

「随分、凝った縛り方だな」

「普通ではありません……古い日本の捕縛術によく似ていますが」

「専門知識のある者に監禁され、尋問されたと?」

「恐らく」

「誰が?」

「それがわかれば、もうどうにかしてます」


「人の純潔奪っておいて!」

「責任とるって約束したろう!?」

「空手形だったんだぁ!教え子の純情を玩んだんだぁっ!うわぁぁぁぁんっ!!」

 ドスンッ!!

 ガシャンッ!!


「……襖が壊れた。迷惑料、請求していいですよね?」

「南雲にな。相手が誰かこの子に聞くか?……そういえば、村上というあの男は?」

「逃走防止って、南雲先生に縛り上げられて、地下室に監禁されています」

「南雲は村上と何かあったのか?」

「未亜ちゃんの幼なじみってことで警戒心丸出し。らしいですよ?未亜ちゃんが言ってましたけど」

「大人げなさ全開中年めが……ところで、こういう時に最も容疑者になりそうなアイツはどうした?」

「時間的に見ると……そろそろ葉月湾から太平洋へ。ですね」

「役立たずが……待て?」

 かなめがふと思いついたように動きを止めた。

「この子は、運河公園にいたんだったな?」

「はい」

「あいつがもし、簀巻きを外して運河から上陸。そこにこの子がいた。うっぷん晴らしにこの子を襲ったという可能性は?」

「50%」

 やってるかもしれないし、やらないかもしれない。

 つまり、ハイとイイエの基本的確率をルシフェルは即答した。

「高いな」

「低い方です」

「よし……あいつがもし戻ってきたら拷問だ」

「戦力をあまり削らないでくださいね?第一、水瀬君を本当に殺すと」

 ルシフェルは、次の言葉を詰まらせた。

「……少佐の命にかかわりますから」


「先生のバカァァァァッ!!」

「ぐうぁぁぁぁぁぁっ!!」

 ドカンッ

 ガッシャーン!!


「あ、決まった」

「信楽の勝ちか」

 ルシフェルは、那由他のふとんを直しながらかなめに訊ねた。

「那由他ちゃん、どうします?」

「とにかく、彼女の口から事実を聞かずにはいられない。目覚めるのは何時間後だ?」

「薬物には詳しくないのですが、恐らく半日後」

 ルシフェルの言葉に、腰を浮かせかけたかなめは目を丸くした。

「そんなにか?」

「はい。エーテルは睡眠薬でも特に強力な薬物……というよりむしろ自白剤。強力すぎて、副作用もかなりあるんですよ?軍でも尋問より拷問に使う代物で」

「ふうっ……なら、もう我々も寝るとしよう」

 かなめは言った。

「この子の話ですべてが動く」

「はい」




「き……機嫌を直せ」

 商店街を進む未亜の後ろで、南雲が精一杯縮こまって言った。

「だから、誤解だって」

「知らない!」

 怒り心頭の未亜は、肩を怒らせたまま、歩くのを止めようとしない。

「この前の夢の件もあるもん!」

「だから、その無実を証明するために、こうやって病院へ」

「……」

 じろっ。

 未亜の座った目に睨まれた南雲は、

「な……なんだ?」

「ウソだったら覚悟しておいてね?その人の子供がいなかったら」

「―――おっ。おう」

 南雲は天を仰ぎ見た。

 今、世間(の一部)は春休みの真っ最中なのに、俺には休みは与えられないのか?


 そう。

 春休みはない。

 何故か?

 サラリーマンやOLに春休みはない。

 だから。


 当然、主婦にもだ。


「朝っぱらからダラダラしてるヒマがあるなら、葉子の面倒見なさい!」

 寝ぼけ眼でテレビを見ていた美奈子にそう命じたのは、当然、美奈子の母だ。

 リビングのフローリングに寝そべってだらだらとテレビから顔だけを向けた娘の前で、掃除を続ける彼女は、苛立った顔をした。

「ちょっとは葉子を見習いなさい!いつも通りに起きてくるし、手伝いはしてくれるし!」

「葉子は?」

「どっかのぐーたらと違って、庭で草むしりしてくれてる!」

「……マメだねぇ。あの子」

「美奈子!」



「―――というわけ」

 バツの悪そうな顔でそうぼやいたのは、当然ながら美奈子だ。

「自業自得だよ」

「桜井……それは感心せんぞ?」

 白い目で美奈子を見つめるのは、未亜と南雲だ。

「お母さんの気持ちがわかるなぁ」

「俺もだ」

「ううっ……」

 思わず葉子の手を握る力がこもってしまう。

 不思議そうに顔を見上げる葉子の頭には、つばの大きい麦わら帽子が乗っている。

「美奈子ちゃんって、休みになるとだらけちゃうもんね」

「それは言わないでよぉ……」

 もう美奈子は泣きそうだ。

「悪いと思うから、こうやって葉子の相手してあげて」

 美奈子達はにぎわう商店街を歩いている。

 春休み期間中、ヒマを持て余した連中があちこちにいて、好色な眼で美奈子を見るが、横にいる南雲を警戒して遠巻きにするだけに留まっている。

「まぁ、いいけどね?」

 そう言う未亜は、なぜか美奈子が見たこともないほど、満ち足りた顔をしていた。

「そういえば」

 美奈子にはそれが気になってしかたない。

「あんた、南雲先生と何してるの?」

「ナニの次」

「はぁっ?」

「とりあえず病院行くとこ」

「ちょっ!?」

 美奈子は青くなって怒鳴った。

「み、未亜!」

「にゃっ!?」

 がしっ。と両肩を掴み、真剣な眼差しを向ける美奈子に思わず未亜は固まった。

「み、美奈子ちゃん!?」

「あ……あんた……!」

 未亜の肩を掴む手が震え、呆然とした目をする美奈子。

「さ……桜井?どうした?」

 南雲も驚いて二人に割って入ろうとするが、

「このぉ!」

 ガンッ!

 美奈子のめりこみパンチが南雲の一部にめり込んだ。

「グォッ!?」

 獣のうなり声のような声をあげ、激痛のあまり、その場にうずくまる南雲の顔にさらに一発がめりこんだ。

「な……南雲先生!」

 美奈子が怒鳴る。

「お……教え子に……教え子になんてことを!」

「美奈子ちゃん!?」

「未亜!あんたは黙ってなさい!」

 何事かと商店街の人々が店先に出てくるのに全く気づかず、美奈子は南雲に怒鳴った。

「先生!いくら男と女とはいえ、やっていいことと悪いことが!」

「み、美奈子ちゃん……」

 未亜が青くなって袖を引くのも無理はない。

 周囲を歩いていた人達だけではない、店先には見慣れた店の関係者が遠巻きにこちらを見ている。

 間違いなく見せ物になっている。

「教師として―――教師として教え子を、16歳の女の子をに……にん」

「美奈子ちゃん違うって!」

「どう違うの!?」

 美奈子は血走った目で未亜を睨んだ。

「私のカワイイ妹分を孕まされて、黙っていられるモンですか!」

「ちがーう!!」

 未亜は叫んだ。

「せめて傷物といって!」


 妊娠?

 あの子が?

 うわっ。相手教師だとさ。

 しかも傷物だって。

 ヒドい話しよねぇ。

 あれ、明光の先生だろ?

 あのセンセ、ロリだったのか?

 やっぱりなぁ。

 警察に通報した方がいいか?


「私は妊娠なんてしてない!」

「するようなことしたんでしょう!?」

「そりゃ今朝も……じゃなくて!」

「今朝!?朝っぱらから身重の子に!」

「だから妊娠から離れて!」

「離れるって―――堕ろせと!?そう言われたの!?未亜!」


 ガシッ!

 あろうことか、美奈子は南雲太い首を鷲掴みにすると、そのまま持ち上げてしまった。

 止めに入ろうか迷っていた周囲の大人達は、女の子がプロレスラー顔負けの大男を片手で持ち上げるという、異様な光景に思わず後ずさりしてしまった。


「してないって!」

 周囲のざわめきが一瞬高くなったのは間違いない。

 未亜はそれに耐えられずに美奈子を何とか止めようとした。

「私は妊娠なんてしてないっ!」

 未亜は美奈子に負けじと大声で怒鳴った。

「単に病院へ行く途中なんだって!」

「どこの産婦人科!?」

「お見舞いだよ!」



「も……もう、死にたい」

 喫茶店のテーブルに突っ伏しながら、美奈子は涙混じりに呟いた。

「しばらく、商店街どころか町中歩けない……」

「にゃあ。当分無理なのは私や南雲先生もだよ」

「……これ、絶対学校から呼び出されるぞ……俺」

 テーブルに突っ伏すのは未亜と南雲も一緒だ。

「美奈子ちゃんのせいでとんだ災難だよぉ」

「……ごめん」

 美奈子は突っ伏したまま言った。

「つい早合点しちゃって」

「ついじゃないよぉ」

「本当ですよ」

 突然の女の子の声に、全員の視線が通路に向けられた。

「桜井先輩らしくないです。公の場であんな騒ぎ」

 あきれ顔をこちらに向けているのは萌子だ。

「加納さん」

「はぁっ……端から見ていて恥ずかしくなりました」

「ご、ごめんなさい」

 俯く美奈子の横で、勝手に注文したパフェをぱくつく葉子。

 その顔はクリームでベタベタだ。

「あらあら」

 萌子がハンカチでその顔を拭いながら言った。

「お友達のお見舞い途中だったんですけど、とんだモノを見ちゃいました」

「お見舞い?」

「ええ。お友達の」

「?クラスメートか?」

 南雲が首を傾げた。

「中等部で入院している生徒がいるとは聞いていないが?」

「ウチの生徒じゃないんです」



 病院への道すがら、萌子は南雲達に話した。

「入院しているのは、武原琥珀(たけはら・こはく)ちゃんといって、ワケありで私が病院に行った時に知り合ったんです」

「へぇ。萌子ちゃんも産婦人科なんて行くんだ」

「そりゃ、女の子ですから―――って!」

 未亜の後ろを歩く南雲に気づいた萌子が怒鳴る。

「な、何言わせるんですか!?」

「言ってみただけ」

「もうっ!―――とにかく、彼女、重い心臓病で小さい頃から入院していて、お友達がいないんです。私が遊びに行くの、とても楽しみにしてくれていて」

「へぇ?」

「所で、お二人は?」

「ああ……似たような存在、かな」

「?」



 騎士。

 常人の数倍の破壊力を持つ身。

 その発生と遺伝については、実は何もわかっていない。

 はっきりとしたことは、その血がきわめて不安定であること。

 騎士の遺伝子が一般人の遺伝子と適合できれば良し。

 できなければ、死産や障害となって子供を苦しめることになる。

 その理由について仮説こそ百家争鳴だが、決定的なことは何一つわかっていない。

 当然、騎士同士から騎士の子が生まれる確率は極めて高い。

 有力騎士を擁する組織・国家が、結婚相手として自国の最強騎士同士をあてることが多いのはそのためであり、各国の王室などにおいて近親婚に近い風習が強いのも似たような理由があげられる。


 だから、騎士と婚姻することはそれなりの覚悟がいる。

 遺伝子同士の相性が悪くて子供が出来ないか、一般人には御することの出来ない身体能力を持つ、騎士という子供が生まれるか、或いは、騎士の遺伝子によって破壊された異常な遺伝子によって障害を持つ子が生まれるか。


 親となる者は、そのリスクと常に向き合いながら自らの子孫を作る行為を行わねばならない。


 騎士の血が出るのは、生後数ヶ月から遅くても10歳までとされる。

 だが、それ以上に早く騎士の血を表すのが―――。


「この子、眠っているの?」

 ベッドの上で眠り続けているのは、葉子ほどの年頃の女の子。

 日に当たっていないのは、その血色の悪い肌からわかる。

「―――不破みらい。本来なら今年の春、小学校に入学していた」

 南雲が眠り続けている女の子の顔を見つめながら言った。

「生まれた時点で騎士の血によって遺伝子が破壊され、その影響でずっと眠り続けている。この子は産声さえあげたことがないそうだ」

「みらい……ちゃん」

「皮肉な名前に聞こえるだろうが、忍さんは、「この子にも未来はある」。そう思って名をつけたそうだよ」

「家族がいるんでしょう?お父さんだって」

「……忍さんが産婦人科から出てきた時には離婚が成立していたそうだ。理由?この子を産んだからさ」

「き……汚い!」

 未亜は拳を握りしめながら言った。

「そんなの、ニンゲンじゃない!」

「相手は前途洋々の高級官僚。その経歴を考えれば、障害児の子供なんていらないのさ。世間体が悪すぎるからな」

「その人、名前なんていうの?」

「死人の戒名なんて知らない」

「死んだの?」

「ああ」

「……そう」

 未亜は死因を聞かなかった。


 下手すれば

 いや

 絶対

 この男はその時、自分の名をあげるだろうから。



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