第8話

「この子は私のエモノです」

 

 いつの間にか、ストレートのロングヘアーの少女が横に立っていた。


 年の頃は自分と変わらないだろう。


 普通、こういう時に現れるのは通りすがりの正義の味方と相場が決まっている。


 それなのに……。


 那由他は、その少女の顔をちらと見ただけで意識が遠のいた。


 どんなホラー映画でもトップを張れる。


 そう表さざるを得ないほど、怒りの形相に歪む少女の顔は恐ろしい。


 こんな顔、マトモに見ることが出来たらおかしいとか、 


 こんなに怒るとシワになるとか、


 この人、お肌の老化、早いだろうなぁ。とか、那由他は恐怖におののきながら結論を出した。



 この人は、正義の味方から一番遠い人だ、と。


 

「あなたが誰か、知りたくもありません。とっとと消えてください」


 絶対、トラウマになるほどの恐怖を音にしたような少女の声に反応したように、那由他の祖父が動いた。


「……そんなに、死にたいのですか?」


 ギィンッ!


 少女は、目にもとまらぬスピードで那由他の心臓を狙うナイフを道路標識のポールで弾き、


「せいっ!」


 道路標識を、人の脳天めがけてためらいもなく振り下ろした。

 ズシャッ!

 鈍いイヤな音が周囲に響く。

 「ヒッ!?」

 自分の血縁が生きたまま真っ二つにされ、その切り口からは、血まみれの臓器がこぼれ落ちる。

 それは、那由他のような少女の耐えられる光景ではなかった。


 地面に飛び散る人間の残骸。

 鉄分を含んだ匂い―――血の臭いが辺りの空気を支配する。

 

「余計なことした罰です」

 相手が絶命したことを確かめたように、少女は道路標識を掴んだまま、

「全く、馬鹿なことをしたものです」

 そう、冷たく言い放った。

「大人しくしてくれれば、畳の上でのたれ死に出来たかもしれないというのに」

 再度、道路標識を掴んだ少女は、道路標識を那由他の祖父の体の半分に突き刺し、無造作に運河へと投げ込んだ。

「ゴミとはいえ、元は人……母なる海の胎内へ戻りなさい」

 もう半身を同様に海へ投げ込む。

「こんなゴミの血なんて……海洋汚染ですわ」

 ポイッ

 道路標識を投げ込んでから、地面の血痕の上に砂をかけてカモフラージュして終わり。

 人一人を殺したという罪悪感は微塵も感じさせない。

「さて」

 少女は那由他を見た。

 いつの間にか、地面に倒れ伏している。

「気絶しましたか?―――全く」

 靴のつま先で頭をつつくが反応しない。

 完全に気絶している証拠のようなものだ。

「仕方ありませんけど……何ですか?この女、この私に自分を担げとでも言うのですか?許せません」

 いいつつ、少女は那由他の首根っこを掴み、暗闇に消えた。



 どれくらい時間が経ったのかわからない。

 全身の痛みで那由他は目を覚ました。

「んっ?」

 体が動かない。

 目が見えない。

 喋ることが出来ない。

 

 体を動かそうとしてもがけばもがくほど、体の自由が奪われていく。


「ん゛ーっ!ん゛ーっ!」


 それでも那由他は暴れた。

 

 すると


「目が覚めたようですね」


 冷たい女の声が耳に入った。


「まず、感謝なさい」


 その声色は決して自分を歓迎していない。


「ここまで運んできたのは私です。このご恩……六道を100億回輪廻しても忘れることは許しません。わかりましたね?」


 この人、何言ってるの?


 那由他にはその言葉の意味がわからなかった。


 わかること。


 それは、どうやら自分が目隠しをされ、口に何かを詰め込まれていること。

 そして、縛られているらしいこと。

 

 それだけだ。


「わかったか?そう聞いたのですが?」


 ヒュンッ―――ビシッ!


 甲高い乾いた音が耳の中で響く。


 何か武器でも取りだしたらしい。

 そんなものは使われたくない。

 痛いのはイヤだ。


「最後の質問です。―――わかったのですか!?」

 那由他は無言で何度も頷いた。


「よろしい。理解の低さは、数少ない余生を削ってしまいますよ?」


 コクコク

 那由他は必死に頷くだけだ。

 

「では、これからいろいろと聞きますが、その正直さを失わないように」


 コクコク


 どういうことだろう?

 那由他は思った。

 祖父から逃げられたと思ったら、祖父より厄介な相手に捕まってしまうとは。


「でないと、あなたが気絶中に撮影した恥ずかしい写真を、インターネットに公表します。そのみっともない半裸緊縄をたっぷり撮影した写真……高く評価されるでしょうね」


 “きんばくはんら”という言葉の意味がわからないが、恥ずかしい写真というのは許して欲しい。私はまだお嫁入り前だ。

 ……嫁に行ったらいいのか?という問題でもないが。

 気分の問題だ。

 

「それで答えなければ、軍隊流の拷問が待っています。爪の間につまようじを差し込むとか、アイロンで足の裏を焼くとか……キキますよ?」


 ん゛ーっ!

 ん゛ーっ!

 那由他は動かない体で暴れた。

 そんなの、冗談じゃない!


 ヒュンッ―――ビシッ!


 再び耳に届いた甲高い音に、那由他は動きを止めた。


「誰が叫べといったのです?」

 女の声は明らかにいらついている。


「あなたは息をする時ですら私の許可が必要なのです。まず、そこをわからせましょうか」

 那由他は泣きながら首を精一杯横に振った。


「では、誠意ある回答をなさい」


 コクコク


「……」


 チッ。

 舌打ちが聞こえ、那由他の口から何かが取り出された。


「まず、悠理君との関係について聞きましょう」


「ゲホッ……ゆ、悠理君?」


 ビシッ!


 那由他はの背中に激痛が走った。


「っ!!」


「次はこんなものじゃないですよ!?さぁ!」


「し、知らない……悠理君って誰?私、そんな人知らない!」


「とぼけるとは―――いい度胸です!」


 グイッ

 無造作に指を掴まれ、那由他の全身から血の気が引いた。

「だ、だって!」

 那由他は指に力を込めるが、女の力にまるっきり抵抗出来ない。

 その那由他の耳を女の罵声じみた声が打つ。

「悠理君といえば悠理君です!あなた、悠理君の家に入り込んで、何していたんです!?悠理君と何ラウンド相手したのですか!?私ですらまだなのに!この泥棒猫っ!」

「?……えっ?……ま、待って!」

 那由他は叫んだ。

「お願いだから待って!」

「待てと言われて待つほど私は馬鹿ではありません!―――さぁ。特製の竹串を」

「私、水瀬さんって女の子の家に厄介になったのは認めます!でも、悠理君って人と出会ったことはありません!本当です!信じて下さい!!」

「……待ちなさい」

 女が指を掴む力を緩めた。

「どうやら、何かあなたの方に思い違いがあるようですね」

「あの……それは私じゃなくて、あなたの方」

「三角木馬に乗って遊びましょうか?」

 女がそう行った途端、那由他は自分の体が宙に浮かんだことに気づいた。

「きゃーっ!待って、待ってくださぁい!」

「ビデオで撮影して、裏ルートで高く捌いてあげます」

「本当です!私、未亜ちゃんの家にお世話になって、その後、水瀬さんって女の子の家を一緒に訪ねたばっかりなんです!」

「未亜ちゃんの?ということは、南雲先生も」

「そうです!」

「成る程……南雲先生と未亜ちゃん、ついに女衒(ぜげん)にまで手を」

「違うっていってるじゃない!―――痛ぁぁぁぁいっ!!」

 那由他は不自由な体をよじらせて、股間に襲い来る痛みに耐える。

「そんなに喜んでいただいて恐縮です。では、ムチも与えてあげましょう」

「いやぁぁぁっ!気持ちいいっっ!ダメ!そんなムチじゃイヤぁ!」

「―――冗談なのですが……あなた、どういう趣味してるんですか?」

「速人さんに開発されて……だめぇ!もっとぉ!もっとぶってぇ!ヒドイことしてぇ!」

「……」 

 那由他は自分の体が再度、宙に浮いたのを感じ、叫んだ。


「いやぁ!まだなのにぃ!―――宙づりも大好きだけどぉ(はぁと)」


「黙りなさいこの変態病人が!こ、怖いじゃないですか!」


 どうやら、ヘンなスイッチが入ったらしい那由他の叫びに、女は引き気味に言った。


「ここはあなたの趣味を満足させる場ではありません!わ、私の」


「いやぁ!変態でも病人でもいいからぁ!」

 次の瞬間、那由他は顔面に水をぶっかけられた。

「一度、死んだ方が良さそうですね」

「で、でもぉ……」

「何です?」

「木馬の角度が絶妙だったんですぅ……それに、さっきのムチ裁き、その言葉責め……あなた……いえ、あなた様はきっと素敵な女王様でいらっしゃる。それがわかりました」

「どうあっても死にたいらしいですね」

「いやぁ!死ぬほど狂わせてぇ!」

 一人でヘンな感じで盛り上がる那由他に、女は精一杯の迫力ある声で言った。

「……わかりました」

「お願いします女王様ぁ!」

「……とりあえず、名前を聞きましょう?」

「え?どんな言葉責めですか?」

「ふ、ふざけないで答えなさい!」

「ああっ。女王様のご機嫌をそこねるなんて、私ったら!」

「壊れるなら一人でやってください。事態の収拾がつかないじゃないですか!」

 女は数回、ムチを振り下ろして黙らせようとするが、逆に火に油を注いだらしい。

「はぁ……はぁ……」

 感極まったといわんばかりに、那由他が熱い息を吐く。

「いっちゃいましたぁ……」

「一般部門に公表できないセリフは禁止です!……そ、そんなにきもちいいんですか?」

「はいっ!最高ですっ♪」

「こ、今度、悠理君にやってもらおうかしら。……と、とりあえず」

 女は咳払いしてから言った。

「名前を言いなさい」

「な、名前ですね?ポチとでもタマとでも。お好きなように」

「……あなたのお墓に刻む名前です。戸籍上の名前を言いなさい」

「し、失礼いたしました。女王様。私は、霧島那由他と申します」

「……え?」

「はい?」

「ここまで来るのにエライことを経験しましたが……霧島那由他?」

「はい」

「一昨年の4月までアーカム・スタジオの新人講習にいた、あの霧島那由他?」

「は、はい」

「……」

 突然、女が沈黙した。

「あの?」

「ま、まずいです」

 女は、明らかな狼狽まじりの声で言った。

「な、なんで那由ちゃんがこんなところへ」

「じ、女王様?」

「いいです」

「では!」

「これは夢です」

「夢見心地でイカせてくださいね!?」

「―――目が覚めたら全てが夢です。いいですね?」

「はいっ!」

 那由他は次の快楽を待ち望むが、

「んっ!?」

 口元を塞がれた途端、全身の力が抜け、そして意識が遠のいていくのを感じた。

「……ごめんね?那由ちゃん」

 申し訳ないという気持ちが伝わってくる声。

 この声、どこかで……。

 その答えに行き着く前に、那由他の意識は暗闇へと、落ちていった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る