第5話

「正直な話」

 南雲は村上に言った。


「俺には理解すら出来ない」


「そう……ですよね」


「ああ。どこまでが真実で、どこまでが作り話か、あるいは妄想なのか」


「真実ですよ……全部」

 村上は力無く笑った。


 相手がそう言うのも無理もない。


 そう思えてしまうから。


 自分達の体験した不可思議な事態。それをすぐに受け止める者がいたら、それこそどうかしている。


「それで?」

 南雲は座っていたソファーから立ち上がる。

 村上に問いかける声は鋭い、漢の声だ。

「どこまで逃げるつもりだ?」

「……わかりません」

 村上は小さく答えた。

「どこまで行けば、霧島さんから逃げられるのか、それがわかりませんし」

「そりゃそうだが……」

 南雲は、不意に窓の方へと視線を向けた。

「村上君だったな?」

「え?あっ、はい」

「長髪に黒い服、頬に傷のある男……それが霧島という男なんだな?」

「そう……ですけど、あの?」

 南雲は窓から視線を外さない。

 まるで何かを睨み付けているように。

「?」

 村上は、南雲の視線の先を見た。

 窓の向こう。

 そこに立っているのは―――


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 室内に村上の悲鳴が響き渡った。

 

 村上の見たモノ。

 窓の向こうに広がるベランダ。

 そこに立っているのは、

 黒い服に身を包んだ長髪の男。


 村上の恐怖の対象。


 彼はただ、憎悪の目で村上を睨むだけ。


 村上にとってはそれで十分だ。

 “存在する恐怖”

 それが目の前に立っている。

 それで十分なのだ。


「那由他!那由他逃げろぉっ!」

 村上が部屋の奥にいるはずの那由他へ向けて叫ぶ。

 それが引き金となったように、男が動いた。


 どうやったのだろう。

 男が手を伸ばしただけで、サッシの鍵が外され、音もなく男が室内へと入り込んできた。

 音が、しない。

 歩いているのに、音がしない。

 完全な無音で男は南雲達へと近づいてくる。


「動くな!」

 南雲の鋭い声に、男の足が止まる。

 いや、声ではない。

 南雲が自分に向けているモノを見たからだろう。


 SPAS-12軍用ショットガン。

 20世紀のショットガンの代表。「小型の大砲」と呼ばれるほどの威力を誇る。

 防弾チョッキでは防げないので、アメリカの一部の州では一般販売禁止となっている曰く付きの代物。

 いわば“バケモノ”。



 かすっただけでも無事では済まない代物だ。


「な、南雲先生!?」

 男の代わりに悲鳴に近い質問をしたのは村上だ。

「な、なんですか?それっていうか、どこに隠していたんですか!?」

「見てわからんか?散弾銃というんだ。勉強になっただろう?ついでにソファーの後ろに隠していた」

「そんなもの所持して大丈夫なんですか?」

「心配するな。合法だ」

「どう考えても信じられない!」

「俺は教職者だ。だから常に正しいことを言う」

「そんなこと言って、ぼ、僕を撃つつもりだったんですか?」

「……」

 村上は、その時、何かを南雲が呟いたように見えた。

 ただ、未亜がどうのこうのと聞こえたのは、聞き間違いだったかどうか自信がない。

 とりあえず、

「そこで黙らないでくださいっ!」

 ドンッ!!

 村上はとっさに床に伏せた。

 南雲はもう村上にかまっていない。


「動くなと言ったろう?」

 男の真横の壁にいくつもの黒い点が出来た。


「腹這いになり、頭の上で両手をくめ!」


 ガシャッ!


 次弾を装填しつつ、南雲は男に怒鳴った。


「聞こえなかったのか!腹這いになり、頭の上で」

 ダッ!

 男が突然動いた。

 この状況でナイフを抜き、村上に襲いかかろうというのだ。

「バカがっ!」

 銃声が再度、室内に響き渡った。

 

 

 丁度、未亜に借りていたCDを返そうと、未亜のマンションに向かっていた水瀬は、足を止めた。

 手にはCDと手焼きのクッキーの入った袋が下げられている。


 「あれ?」

 

 パトカーが数台、未亜のマンションの前に止まっていた。


(何かあったのかな?)


 水瀬はキャスケット帽を目深に被り直すと、パトカーの脇をすり抜けてマンションの中へ入ろうとして、

「あ、ちょっといいかな?」

 その声に止められた。


 聞き慣れた声。


 こんな所で聞きたくない声。


 水瀬は、これが悪い夢なんだと100回唱えた後で答えた。


「なんですか?」


「君、ここの子?」

「いいえ?お友達の所に遊びにきました」

「ふうん?」

 水瀬は、相手が気づかないことを祈った。

 多分、いや、絶対無理だと知りながらも、それでも祈らずにはいられない。

「じゃ、この件には関わっていないと、そうシラを切るのね?水瀬君?」

 勝ち誇った顔で水瀬にそう告げたのは、


 理沙だ。


「お、お姉さん……何で?」

「ふふん?警察をナメないの」

 理沙は、そう言って手錠を取り出し―――

「はい。重要参考人確保。逮捕時刻1956、覚えておいてね?」


 水瀬はそのままパトカーに押し込められた。

「何か、僕の基本的人権が侵害されている気がするんですが」

「君に人権なんてないわ」

「心強いお言葉で」

「でしょう?ついでに私が聞きたいのはそういうことじゃないの」

「へ?」

「マンション前の道路で何が起きたか、よ」

「どういうこと?」

 理沙はコートを引っ張り出すと、水瀬にかぶせてパトカーから水瀬を降ろした。

「これ、君は知らないの?」

 理沙が指さす先。

 そこには、赤黒い液体がまき散らされていた。

「血?」

「そう。ここを通りかかった通行人が発見して警察に通報。で、私達が来たってワケ」

 未亜のマンションは閑静な一等地に立てられている。

 監視カメラがあったり、警備員が巡回してはいるが、普段から人通りはそれほど多くはない。

「量から見て失血死の危険性が高いねぇ……飛び降り自殺かな?でも、第三種事件絡みのお姉さん達がこんな血痕だけで何故?」

「まず第一に、死体が見つかっていない。第二に、周辺で不自然な物体が移動しているのを見つけたと通報があった」

「不自然な物体?」

「赤黒い肉の塊がスライムみたいに動いてるって」

「あ、それで」

「突然消えたって言うの。幻覚かとも思うけど、厄介だなぁ。と思ったら君がのこのこここにやって来た」

「でも、僕は無関係だからね?」

「それは私が決めるわ」

「お姉さん。決めるのは法律……」

「私が法律」

 思わず水瀬はおーっ。と手を叩いてしまった。

「さすが出世を諦めた不良官僚。言うことが違う」

「……何?」

「いえ何でも」

「もう一度、三角木馬乗りたい?ムチとロウソクがそんなによかった?」

「お姉さんのイジメっ子ぉ」

「ああ!」

 理沙はぽんっと手を叩いた。

「お姉さんそのものがよかったんだぁ」

「違うって言われたい?」

「言ったら―――わかるわね?」

 声のトーンを落とした理沙は、拳銃の銃口を水瀬の口の中へ突っ込んだ。

「綾乃ちゃんに証拠写真突きつけてやるからね」

「ネガ渡してよぉ……」

 そう懇願する水瀬は、もう泣き出している。

「何よ」

 対する理沙は不満顔だ。

「私が上になってハメ撮りしてあげたっていうのに―――ちょっとは喜びなさいよ」

「お姉さん、ヒドイよぉ……」

「くすっ。冗談よ」

 それ自体が冗談だろう。と水瀬は内心で突っ込みだけ入れておいた。

「とにかく、何でもいいから、事件に有益な情報があったら教えてね?」

「えっ?」

 水瀬はきょとん。として理沙を見た。

「もういいの?」

「?……なんで?」

「う……ううん?」

「何か隠してる?」

「ぜ、全然」

 チャカッ

 理沙が再び腰のホルスターから拳銃を抜いた。

「私の質問に黙秘権なんて認めないからね」

「でもぉ……」

 水瀬は困惑した顔で言った。

「どっちにしても、お姉さん達の仕事なのかわかんないことだもん」

「犯人の手がかりは?」

「知らないよぉ……」

 口の中でもごもごする水瀬の態度が、理沙には気に入らない。

 イヤミは言うが、必要と判断したことは教えてくれる水瀬が、何かを出し渋っている。

 これが第三種事件(じぶんのしごと)だと水瀬はわかってくれているはずだ。

 それが何故?

 今までなら、(少し強請ってあげれば)いくらでも情報をくれたのに。

 今回だけは違う。

 それが、わからない。

 理沙は困惑気味に、

「とどのつまり、我々警察としては、妖魔・魔族と同格に扱っていい存在なんでしょう?」

「それはそう」

「じゃ、捜査は警察の手順通りで問題ないわね?」

「銀の弾丸とか、物理的攻撃が一切効かない相手だけどね」

「……」

 理沙はその言葉を理解するのに数十秒を必要とした。

「……それって、どうやって相手しろっていうの?」

「魔法騎士の攻撃、つまり、魔法やその延長線上に当たる霊刃、もしくは魔法処理が施された武器でないと無意味―――魔族より少し厄介」

 水瀬はうんっと。と少しだけ考えて、すぐに結論を出した。

「警察に出来ることは、さっさと帰ってくださいってお祈りするくらいだね」

「それって、何も出来ないってことじゃないの?」

「そうともいう」

「本庁にどうやって説明しろというのよぉ……」

 理沙は途方に暮れた。

「ここはどうとでも誤魔化せるけどさぁ……」

「第三種事件自体がこの世界では一般的じゃないんだから、“わかりませんでした”ってことで処理すれば?」

「それだと、また近衛に手柄持って行かれるんじゃない?」

「今の時点じゃ近衛は動かないと思うよ?」

「へ?なんで?」

「軍や警察の動員が必要としない部分は、全部民間委託しているから」

「民間委託?」

「というか、ノータッチ。ほら、ようはおがみ屋さん。胡散臭いってイメージあるでしょう?それを国家規模の組織でやるとなると、いろいろ、ね?」

「成る程ねぇ」

 理沙は水瀬のアタマのてっぺんからつま先までを眺めた後、頷いた。

「あんたが言うと説得力あるわねぇ」

「……ぷぅ」

「で、近衛が動かないとなると―――誰が犯人の相手するの?」

 理沙は、自分を指さす水瀬の指をひねりあげた。


 周囲に響き渡る水瀬の悲鳴。


 水瀬の携帯が鳴ったのは、それからすぐのことだった。

「ぐすっ……電話?あれ?南雲先生からだ」

 水瀬は携帯をとった。

「水瀬です」

『水瀬か?下にいるな?』

「よくわかりましたね」

『悲鳴が上まで聞こえた。お前、なんて悲鳴あげるんだ』

「わざとですけど……そんなに聞こえよかったですか?」

『離れて撮影してたテレビが事件だって、そっちへ向かっているはずだ。すぐそこを離れろ』

「すぐに連絡してくれればよかったのに」

 水瀬は言われるままに歩き初め、理沙に首根っこを掴まれた。

 事件の捜査のためだろう。

 開放されたエントランスの自動ドアは開かれていた。

「お姉さん、せめてエントランスまで。帝国ホテルでディナーおごるから」

 途端に、水瀬は理沙に抱きかかえられてマンションのエントランスまで入るなり、ベンチの上で理沙の膝の上にのせられた。

「お待たせしました」

 携帯越しに南雲は答えた。

『そうもいかない。まだこっちは警戒中だ』

「警戒中?」

『敵に部屋まで侵入された。あいつらに鍵は効かない。このままでは村上君達が危険だ。別な場所へ移る。落ち着いたら連絡する。それまで警察の目を引きつけてくれ』

「村上君?誰かを保護しているんですか?」

「ああ……そうだ」 

「保護対象が襲われたというのですね?ちなみに、どこへ移るんです?」

 ちらりと理沙を見る。

 理沙にも聞こえているのはわかっている。

 理沙にはいずれ協力してもらうこともあるだろうから水瀬は理沙から離れようとしなかった。

『どこか、ホテルか旅館にでも』

「だめです」

 水瀬は言った。

「そんな所に行くなら、ウチの方がいいです。理由はわかりますね?」

『しかし』

「後のことはウチで話し合いましょう。それからでも遅くないはずです。それから、ルシフェをこっちへ向けてください。護衛は必要でしょう?」

『わ、わかった。頼む』

「了解です」

 

「終わった?」

 携帯の通話内容は大変興味深いものだが、しかし、それを盗み聞きするのは理沙の主義(趣味)に反した。

 勝手に聞こえたんだからしかたない。

 聞こえたのはあくまで水瀬君の責任だ。

 理沙はそう結論づけた。

「うん」

 そう答えた水瀬は、

「えっと……メールってこうやって……」

 不器用そうな手つきでメールを始めた。

「それで?この事件についてのお姉さんの考えは?」

「信楽房江所有のマンションに侵入した者……いえ、妖魔に近い人間がベランダから逃走、その際に何らかの理由で落下した」

「よくお分かりで……未亜ちゃんへの事情聴取は?」

「信楽房江は政界に官界にもパイプが太くてね」

 理沙は笑ってそう言うが、その顔はどこか自嘲気味だ。

「当然、ウチのお偉いさん達もそう。下手に関わると首が飛ぶわ」

 事は荒立てることは出来ない。

 そういうのだ。

 理沙達の今回の仕事は、事を大きくする前に始末する、いわゆる“火消し”の性格が強いのだろう。

 水瀬はそう判断した。

「ねぇ。お姉さんはどう始末つけるつもりなの?この件」

「そうね……不審者がマンション屋上から飛び降り自殺した模様。死体が発見できない点は、発見者が何らかの理由で死体をいずこかへ運び去った―――そんなところか」

「第三種事件としては公表しない?」

「出来ること?」

 水瀬はその問いに答えることは出来なかった。



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