第4話
「初めまして。村上速人(むらかみ・はやと)といいます」
客間に通された村上は、礼儀正しく一礼した。
身長は180前後、知性の高さが感じられる顔つき。一緒に来た少女を労りつつ、周囲の警戒を解いてはいない。
その物腰から、村上がただ者ではないことを、南雲は一目で見抜いた。
「未亜ちゃんの先生と聞き及びましたが?」
「そうです」
南雲も頭を下げた。
「南雲敬一郎。明光学園の教師をしています」
「そうですか。―――未亜ちゃん?」
村上が怪訝そうに未亜に訊ねた。
「お手洗いかな?」
「え?ち、違うよぉ!」
何故か赤面した未亜が慌てて手を振って否定を示すが、なぜか内股をモジモジさせつづけている。
「?」
「で、でも―――ごめんね!?」
未亜は転んだフリをしてわざと南雲に膝蹴りを喰らわせてトイレへと駆け込んだ。
「昔から元気のいい娘で」
そう語る村上の顔は穏やかな笑みを浮かべている。
「それで」
村上達が来るまで、未亜に何があったかを知る唯一の男は、
(ちょっとやりすぎたかな)
と反省しつつ、咳払いをした。
「信楽から大体の所は聞いたつもりです。単刀直入にうかがいたいのですが」
「その通りです」
「―――まだ何も」
「ああ。これは失礼」
村上は苦笑しながら肩をすくめた。
「でも、それで答えにはなっているはずですよ?」
村上はちらりと横にいる少女を見た。
「警察はあてになりません。だから逃げているんです」
「それは知らせてみなければわからないでしょう?」
「知らせなくてもわかるから、こうして逃げているのですよ」
「何から?」
それがわからない。
殺人罪を犯したのだから、警察から逃げているのか?
それとも、殺した相手の関係者?
それにしては妙だ。
何が?
そんな相手なら必ず足取りを探すために知人にコンタクトをとるはず。
未亜はそれを南雲に告げていないということは、対象が未亜に接触していないということだ。
一体、何から逃げているのか、それがわからない。
「その前に」
村上は南雲の疑問を遮るように言った。
「お願いがあります」
「警察からかくまえというならお断りですよ?」
「僕が言った、あてにならないという言葉は、警察では僕達を守りきることが出来ない。そういう意味です。……だから、僕達は自衛する必要があるのです。どうか、あなたから警察へ連絡するのは勘弁してください」
「警察では守りきれない?どういうことです?」
「騒ぎを大きくしたいと思っていない。そう理解いただければ十分です」
「成る程?それで、お願いとは?」
「僕達をここにしばらくかくまってください」
「何から?」
「……」
「……」
村上は口をつぐんだ。
「それではどうしようもない」
南雲は諭すように言った。
「敵が何かわからなければ、どうしていいかすらわからない。このマンションに誰も来るな。とでもいうのですか?」
「……たった……一人です」
村上は、まっすぐに南雲を見つめる目で言った。
「黒い服を着た、長髪の男から」
「?頬に傷のある?」
「そう―――ですけど」
村上の顔が青くなった。
「失礼、それを何故?」
「あなた方が来る前、下の道路にいたから」
次の瞬間、南雲は飛び上がって驚いた。
今まで黙っていた少女が凄まじい悲鳴を上げ、村上に抱きついたからだ。
「な、何事!?」
ようやくトイレから戻ってきた未亜も駆けつける。
少女は村上に抱きつきながら叫んだ。
「ど、どうしよう!もう先回りしてるのよ!」
「し、失礼。南雲さん」
村上は少女の髪を撫でて落ち着かせようとしながら言った。
「ここも危険なようです。僕達はこれで」
「待ちなさい」
腰を浮かせた二人を南雲が止める。
「放ってはおけません」
身長2メートルのマッチョの顔から放たれる凄まじいまでの気迫に、村上達は動けない。
誰かが唾を飲み込む音だけがやたらと大きく聞こえた。
「信楽」
「へ?」
「その子を奥の部屋へ」
「う、うん……那由他ちゃん。覚えてる?ピースメーカーの信楽社長の、孫娘の未亜だよ?」
未亜が少女を村上から引き離すように立たせると、奥へと消えていった。
「奥の部屋は厳重な警戒がしてあります」
「……お気遣い、感謝します」
村上は深々と頭を下げた。
少女に過去を思い出させたくない。
そう村上が思っているという南雲の判断は、外れてはいなかったようだ。
すっかりぬるくなった紅茶に手を伸ばしながら、南雲は村上に尋ねた。
「まず、あなたが何者なのか、それから聞かせてもらいましょうか」
「はい」
村上は、背筋を伸ばし、深いため息と共に語り出した。
世にも奇妙な物語を―――
以下、村上速人の独白より
僕は村上速人といいます。
帝国大付属校に在学していました。
両親共に帝国大学の教授なので、その血のせいでしょうか。自分で言うのも何ですが、成績は常にトップクラス。学校の正規の授業は免除同然で、大学の研究室に呼ばれて勉強していましたし、翌年には飛び級で帝国大学へ進学することが決まっていました。
天才児?
違いますよ。ちょっと人より頭がいい、その程度のことです。
少し前のことになります。
僕はあることでお金が欲しくてアルバイトを探していました。
学生が出来るアルバイトはいろいろあるのですが、頭脳労働で実入りのいい働き口を探していた時、奇妙な家庭教師のアルバイトの口に出会ったのです。
英語や国語、その他の語学、物理学、歴史、音楽、芸術、政治経済の分野に至るまでを、一人でこなせる家庭教師の口。
ね?珍しいでしょう?
そう、普通じゃない。
それがむしろ僕にとっては惹かれたところでもあり、担当するところは、一通りすでにかじったことがあるので、なんとかなるかと思って応募したのです。
年齢で断られるかとも思ったのですが、面接に呼ばれました。
その相手が、霧島さん。
那由他の祖父と名乗る人物です。
黒い服を着た長髪の、ちょっと陰気な感じのする人物でしたが、彼との面接の内容は今でも覚えています。
彼はまずこういったのです。
「政治と芸術は独立しては存在していない」と。
何のことかわからない?
そうですか……続けていいですか?
どうも。
「サロン入選の傾向は時の為政者達の好みに影響された」
僕はその言葉に同意しました。
「印象派も最初は認められませんでしたね」
「その通り」
僕の言葉に、霧島さんが、ちょっとだけ驚いた。という顔になりました。
「個々の専門家の学識は深いが狭い。ワシが求めているのは歴史上のすべての要素を相関づけて把握するグローバルな知識の持ち主だ―――よろしい。若いが君を採用しよう。ワシの孫娘に君の学識を授け、真に教養豊かな人間に育てて欲しい」
それで、僕の採用が決まりました。
「ご期待に添えるよう、頑張ります」
そこに通されたのが、彼女、霧島那由他です。
驚きましたよ。
どんな学問小僧が出てくるかって身構えていたのに、
え?
君の同類を期待していたのかって?
違いますよ。
酷いなぁ。
見てわかるでしょう?
あの楚々としていながら、たおやかでまるで深窓の令嬢といった風情の―――
い、一目惚れって……
そういう問題じゃなくて!
……コホン。
翌日から楽しいアルバイトの始まりです。
時間は午後7時から10時まで。
那由他は実に優秀でした。
飲み込みが早く、質問は的確にして正確。
教え甲斐のある娘でした。
休憩時間にした雑談などから、彼女が2年前に両親を亡くして祖父に育てられていることや、教養の一環として舞踊もやっているし、その延長で今度、芸能プロからデビューすることも知りました。
アルバイトはそれから約半年続きました。
その中で、言葉や態度の端々から彼女が僕に好意を寄せてくれていることがわかって、僕はますます仕事にのめり込んでいきました。
……ところが、です。
ある日、霧島さんに用事があって、訊ねていった霧島さんの書斎から漏れ聞こえた会話が、すべてを狂わせたのです。
霧島さんは、電話に向かってこう言っていました。
「全ては順調です。まもなく那由他を送れます……つきましては手付け金として」
そうです。
那由他を売り飛ばす相談だったのです。
さっきも話した通り、那由他は僕から受ける教養以外にも、舞踏や楽器、様々な習い事をしていました。
僕はそれを、たった一人の孫に対する祖父の思いやりと考えていましたが、とんだ誤解でした。
恐らく、どこかの金持ちにでも売り飛ばすつもりだったのでしょう。
娼婦は教養が豊かな方が高く売れます。
つまり、僕がしていたことは、彼女の商品価値を高めるためのことだったのです。
え?
那由他が?
知りませんよ。当然。
僕は那由他に真実を告げ、そして僕達は霧島さんと直談判に持ち込みました。
人身売買とは何事ですか!と。
霧島さんは激怒して怒鳴りました。
「他人が口を出すことか!」
だから言い返したのです。
他人も何も関係有るかと。
だってそうでしょう?
人身売買なんて、立派な犯罪行為ですよ?
霧島さんにもそれは伝えて、考え直すように説得しました。
でも、霧島さんは聞く耳を持たず、そして僕は、
「考え直してもらえないなら、警察に電話します!」
そう言いました。
それが最後通告のつもりでした。
でも、霧島さんは無言で拳銃を取り上げました。
霧島さんは、僕の通告を拒絶したのです。
そして、僕は電話の受話器を彼に投げつけ、ひるんだところを組み合いました。
互いに死にものぐるいです。
もつれにもつれて、気が付いたら霧島さんは冷たくなっていました。
もつれ合う中で、霧島さんの銃が暴発して、霧島さんに当たったんです。
拳銃を持った相手に抵抗して相手を殺したのです。
正当防衛は成立します。
僕達はその後、霧島さんの机から人身売買に関わる書類を見つけ、わざと机の目立つところに置いたり、逃走用の資金となる金品を金庫から取り出した後、屋敷を逃げ出しました。
いいですか?
これが、彼、霧島さんを殺した1度目です。
……続けます。
警察の捜査の目が入る前に、僕達は夜行列車を使って福岡に出て、そこから中国船籍の貨客船に宝石と引き替えに乗せてもらい、大陸へと出ました。
向こうは治安が悪い反面、警察の捜査が及ばないところが多いですからね。
そうです。
僕は那由他と離れたくなかった。
他に身よりとてない那由他をひとりぼっちにさせたくない。
そう思った末のことです。
身勝手?
そうかもしれません。
今考えると、この時、両親を頼るべきだったのかもしれませんが、不思議と僕はそうは思わなかったのです。
当時の僕には、逃げるということしか思いつきませんでした。
夜行列車に乗って、葉月から離れても離れても、霧島さんの匂いが追いかけているようで、たまらなかったんです。
とにかく、僕達は大陸―――香港へ逃げました。
あの事件があってから2週間が立ちました。
霧島さんのお金だけじゃ不安だったので、僕はそこで日雇い労働者として働いていました。
中国語には通じていたから、誰も僕を疑う者はいません。
おかげでアパートも借りることが出来て、慣れない土地におびえる那由他の顔にもようやく笑顔が見え始めた、あの雨の夜。
悪夢が襲ってきたのです。
その日、仕事を終えた僕は、買い物を済ませると那由他がいるアパートへ戻りました。
すると、玄関で那由他はおびえた様子で僕に抱きついてきました。
「こらこら。いきなり抱きつかれたら濡れちゃうよ?」
「だって……怖いのよ」
外はいつしか雷雨になっていました。
「怖いって、雷が?子供みたいだね」
「そ、そうじゃなくて……」
「何?」
「言わなかったけど……昨日くらいから」
那由他の声は震えていました。
「窓の外に御爺様に似た人が立っているの!」
意味がわかりませんでした。
もしかしたら、彼女は恐怖心のあまり、幻覚を見ているかもしれない。
その程度にしか思いませんでした。
でも、
ピンポーン
チャイムの音がしたのはその時です。
来客?
もしかしたら、隣に住むおバアさんか?
僕は、何となしに、そんな気持ちでドアに向かいました。
那由他はもしかしたら、異変に気づいていたのかも知れませんけど、僕はそれに気づくことは出来ませんでした。
「開けないで!」
「え?」
那由他の声がした時、
僕はドアを開けてしまいましたから。
開けなければよかった。
本当にそう思いました。
何故って?
立っていたんですよ。ドアの向こうに。
霧島さんが。
憎悪の表情を浮かべる霧島さんを前に、僕はヘビに睨まれたカエルのように立ちすくんでしまいました。
那由他があげた悲鳴がなかったら、どうなっていたかわかりません。
でも、僕はその悲鳴で我に返ることが出来たのです。
雷光を跳ね返す鈍い光が襲ってきました。
僕はとっさに身を引くと、玄関においてあった傘で霧島さんの顔面を突き刺しました。
後は無我夢中です。
気が付いたら、血まみれの霧島さんが倒れていました。
……
他人のそら似?
まさか!
よく似た他人なんかじゃありません。
間違いなく死んだはずの霧島さんでした。
なんだかもうワケがわかりませんでした。
でも、その時の僕達は不法滞在者。
もう警察に告げることも出来ません。
だってそうでしょう?
彼は2週間前に日本で死んだ人物ですなんて、警察じゃなくても納得してもらえるはずがないじゃないですか。
……しかたなく、僕は闇に紛れて死体を近くの空き地に埋めた後、荷物をまとめてアパートを引き払いました。
これが、二回目です。
翌日、僕達はマカオへと移動しました。
香港までが、霧島さんの匂いがし出していた気がして耐えられなかったのです。
そして、マカオで僕達は家を借りました。
人気のない古ぼけた家ですが、人目を避けたい僕達にはうってつけでした。
……そこでも、霧島さんは襲ってきたのです。
僕は霧島さんを殺しました。
頭を潰して埋めたんです。
これで三度目。
それ以降、約一年、あちこちを転々と逃げ回る日々を続けました。
逃げても逃げても、霧島さんの影が、僕達を先回りしているんです。
那由他も精神的に参ってきています。
僕は思い立ちました。
僕は本当に、霧島さんを殺したのか?
もしかしたら、霧島さんは生きていて、わざと自分そっくりに整形させた者達を使って、自分を殺そうとした僕を襲わせているんじゃないか?
だってそうでしょう?
三度も殺してまだ存在している!
そんなバカな話がありますか?
ありえない!
どうして霧島さんは、―――奴はなんで死なないんですか!?
どうして奴はいつもいつも、僕達の先回りが出来るんですか!?
どうしてですか!?
ねぇ、南雲さん!
教えてくださいよ!
どうして奴は死なないんですか!?
ねぇ!
南雲さん!
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