第8話 新しい変人

 部屋の外に出ると水が滴り落ちて来た。その水は扉と廊下の間にある排水路に流れて行く。エレベーターに乗って下に降りると、同じ様な排水路が道路の脇に出来ていた。そこに全ての降った雨水が流れて行く。地面は真ん中から少し斜めになっている。

 一二三がまず傘を持ち、トトはその中に入った。まるでカップルの様に二人で一つの傘に入った。地球で年上の男の子とこんなことをやっているのを見られたらたまったもんじゃない。トトは月に来て初めて、誰一人として知り合いがいない事に感謝した。


 この雨は人口的に作られた物だと一二三の日記には書いていた。だとすると、空はどうなって居るのだろうとふと思った。コロニー自体が透明なカプセルの様な物に覆われている。トトは空の様子が見てみたくなった。シャワーみたいなのが天井に付いていて、そこから雨が降りそそぐイメージが頭の中に浮かんだ。

 トトは一二三にバレない様にさりげなく空を見上げた。だが、雨が激しいせいなのかコロニーの透明のカプセルは跡形もなく薄ぐらい色に覆われている。しばらく上を見ていたものだから、傘からはみ出してしまった。肩に雨が当たる。それに気づいた一二三がさりげなく、トトの方に傘を向けた。

「出来るだけ目立つ行動は避けること。雨の日といえども月の住人に疑われたらめんどくさい事になる」

「でも、あの上の雨どうなってんの。雲なんてないけど」

「コロニーの上に人口雲を作っている。僕も詳しいことは分からないけど人口雲から雨が降って来ているのは確かだ」

「人口雲ねぇ」

 トトはまた一つ月と地球の違いを知った。もうそろそろお腹いっぱいになりそうだ。それでも地球に帰るには、情報収集が必要なのだと直感で分かっていた。

 それからは歩く時は周囲を特に気にした。どこかに飛行機っぽいのが落ちていないかどうか。そんな淡い希望を持ってのことだった。

 だがどこまで行っても月の建物は白いアパートや一軒家姿の物で統一されていた。まるで遊び心を感じさせないその作りの、狭い路地を通り続けた。

 雨が靴の中にいくらか入ってくる。足先がぐしょぐしょになって来た。それが足の裏の半分を超えた時、一二三は立ち止まった。

 そこは月のコロニーの裏路地の一角であった。「カフェ・アルテミス」と書かれた電子看板が雨の中静かに光っている。一二三はその光を超えた先にある扉の前に立った。呼び鈴を押すと、ガチャリと扉が開いた。

 中を開けると、香ばしいコーヒーの匂いが漂って来る。ダイニングテーブルの奥にはマスターと思わしき人がいた。

「いらっしゃいませ」

 チラリと一二三とトトの方に目をやった。歳は見た目から40歳から50歳と推定した。カップを磨くその姿がしっくりくる。

「その子が例の?」

「新しい変人」

 一二三はそう返すと、ダイニングテーブルには向かわず、のれんの奥に進んだ。トトもその後に続く。くぐると廊下の先に一つの休憩室と書いてある場所が左右に二つある。中には男女二人がそれぞれ椅子に座っていた。

「おっ一二三。やっと来たのか。待ちくたびれた所だ」

 男の方がそういった。よく見ると、おでこの辺りに一本線の傷が入っている。トトは見た目から、地球の半壊したビルに住み着く不良少年を思い出した。

「へぇ、地球人って本当に存在してたんだね。あたし、初めて見た」

 こちらはトトからしたら大人のお姉さんという様な風貌を感じる。

「ほんとそれな。しょうもないMLTIの映像でこれが地球人ですって、信じられるかよ」

 男の方が共感してぶっきらぼうに言った。

「君は今日から地球に帰れるまでここに居るんだ」

 一二三が唐突に言った。

「えっ、分かった。寮じゃ確かに見つかりそうってことね」

 トトは返事をして、辺りを見渡した。まだ一つないこの部屋は外から見られる心配もないのだろう。

「うん。でも、それよりもここは僕らはセーフハウスと呼んでる。安心出来る場所なんだ」

「セーフハウス?」

「簡単に言うと、月のコロニーで変人と言われてバカにされた人たちの溜まり場なの」

 女性の方がそう言ってトトを観察する様にじっと見て来た。

「その中でも一二三は特殊例だけどな」

 そう言いながら入ってきたのは、ダイニングテーブルでマスターをやっていた男だった。

「おっ、今日は終わりか? 長宮さん」

「佐久間君、新しい客人が来るの聞いたものだからね」

 長宮はそう言って鍵をトトに見せた。

「これがあればカフェ・アルテミスの出入りが自由に出来る。トト。君は地球から来た変人だね」

「あ、ありがとうございます。はい、地球から来たものです」

「安心しよろトト。アルテミスの皆んなこの世界から逸脱した人間だ。一二三を見てみろよ。こいつは創造的知能指数が乱れてしまうのをは唯一克服した人間だ。ある意味であいつもこの世界の外に出たのさ」

 佐久間がおでこの傷を触りながら話した。もしかしたら、これが月流の人の励まし方なのかも知れない。そう思って一二三の方を向いた。だが一二三はその話を聞き流すかの様に天井を見つめていた。よく分からない。トトはパズルのピースが当てはまらなかったような感覚になった。

 それからは長宮によってカフェ・アルテミスの部屋の中を紹介してもらった。風呂やトイレが完備されていて、布団も用意されていた。材料を地球から送ってきて、月で組み立てた物だと長宮は言った。

 そして、残りのもう一人の女性の方の紹介もあった。名前は桃井と言い、コールセンターで働く月面ワーカーらしい。今年二十六歳でコロニーの中でも働き盛りと言った年齢だそうだ。他の月面ワーカーに対して疑問を持った事で創造的知能指数が90を超えたそうだ。このままだといずれ100を超えて月面警察に追われてしまう。そうなる前にコールセンターに転職を希望した。その時助けを求めたのが長宮らしい。長宮は月面ワーカーで初めての転職者であるという。色々とお世話になったと言っていた。

 それでも桃井の創造的知能指数は下がらず、今ではカフェ・アルテミスに月面警察に見つからないように暮らしている。

 そして最後の長宮は地球に帰ることは可能だと言った。それのやり方もまとまったら教えてくれるらしい。

「連絡はいつもの手段でやる」

 一二三はそう言ってアルテミスのドアの部に手をかけた。

「帰るの?」

 トトは少し焦ったように言った。

「明日もMLTIの授業があるからね」

 一二三はそう言ってセーフハウスから出て行った。まだ外は人口雨が降っている。それはトトの気持ちを代弁しているかのようだった。

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