俺はしがない下請け陰陽師なんですが
新巻へもん
第1怪 ぶるんぐ様
プロローグ
梅雨開けしたはずの空から長雨がしとしとと降り続く。
灰色の空からは倦むことなく水滴が大地へ向かって落ちてきていた。
日本では六月から七月にかけて毎年繰り返されてきた特に珍しくもない光景。
変わったのは欲に駆られた人間が、この地の山野に建設残土その他を大量に投棄したことぐらいである。
何十年に一度の豪雨があったわけではなく、たまたま、例年よりもちょっとだけ雨量が多かったにすぎない。
しかし、自然は容易に人間に対して牙をむく。
愚かな人間の軽率な所業を見逃すほど甘くはない。
埋め立て許可を受けた容量よりもはるかに多い建設残土を積み上げたむき出しの土砂は限界を迎えようとしていた。
植物の根も張っていない土の保水性はたかが知れている。
法面から水が染みだし、みるみるうちに細い流れを形成した。
ずり、ずりっ。
最初はわずかに円弧滑りが発生しただけように見えたが、一度崩れ出すと後は一気に何百トンもの土砂が決壊した。
水をたっぷりと含んだ土砂はまるで液体のように低い方向へと押し寄せる。
木々をなぎ倒し、地形を変えながら、茶色い濁流は山を駆け下った。
奔流は古ぼけた小さなお社をなぎ倒す。
木造の上屋だけでなく、その基礎の木杭も洗い流し、その下にあった小さな石も僅かな抵抗の後に流された。
土砂崩れは数百メートルの距離に渡って山に深い傷跡を残す。
この地すべり自体での人的被害は発生しなかった。
しかし、何かが変わる。
この人災ともいえる災害がどれほど深刻な被害をもたらすことになろうとしているのか、まだ誰も知る由もなかった。
***
ようやく太平洋高気圧が張り出してきたお陰で青空が広がるその下で、赤茶けた土壌が沢の方へと斜面を覆っている。
埋め立て現場に現地入りした監督の男は目の前の光景にため息が漏れた。
当たり前だが先日見た光景から何一つ状況は改善されていない。
場違いに調子のいいマーチが胸元から流れ出した。
手に取って通話ボタンをタップしたスマートフォンからの怒鳴り声があふれ耳に突き刺さる。
周囲の蝉しぐれを吹き飛ばすがなり声だった。
「おい。さっさと出ろ」
「すいません。現場の状況を再確認していたところです」
「それでどうなんだ。すぐに再開できそうか?」
「ちょっと難しいですね。停めてあったブルも流されちまいましたし、地盤もがたがたです。すぐには無理です」
「さっさと運び入れられるように整地しろ。次の残土が山ほど待ってるんだぞ。馬鹿野郎」
「そうは言っても社長。溢れた土砂も元通りにしなけりゃなりませんし」
「そんなの放っておけ。十年もすりゃ草木が生えて分からなくなる。そんなことよりも新規の受け入れだ。客を待たせてんだぞ。工事が進められないって損害賠償を吹っ掛けられたら、てめーが払うってのか?」
「社長。そんなことを言っても作業員が……」
「タコ部屋でうだうだしてるのが居るだろう。さっさとケツを蹴っ飛ばして仕事にかからせろ」
「それが銀次のやつが余計なことを言ってまして作業を渋ってやがるんですよ」
「なんだ、そいつは?」
「ここの出身の作業員で古株なんです。そいつが、ぶるんぐ様が出ると騒いでまして、誰も山に入ろうとしないんです」
「ブルがどうしたって?」
「ぶるんぐ様です。よく分からないんですが、山の主とか、呪いとかそんなことを言ってまして。絶対に見ちゃなんねえって大騒ぎしているんでさあ」
「あほか。わけ分かんねえことを好き勝手言わせてねえで、力づくで言うこと聞かせろ。頭の一つ二つはたけば素直になるだろうが」
「それが、普段はへらへらしてる野郎なんですが、今回ばかりは頑固で死んでも嫌だって言ってやがるんです。妙にムードメーカーなところがあるんで、他の作業員もびびっちまいやがりまして」
スマートフォンの向うから聞こえる声がドスを帯びたものになった。
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ。なら、希望通り眠らせちまえ。身寄りのねえカスが一人二人居なくなったところで誰も気づか……」
監督のスマートフォンが急に音声を発しなくなる。
間違えて通話終了ボタンに触れたのかと思い、耳から話して画面を触れてみるが何も反応しなかった。
電源ボタンを押しても反応しない。
ちっ。舌打ちを漏らしながら監督は考える。
きっと社長は電話の途中でこちらから切ったと思ってカンカンになっているだろう。
スマートフォンの故障だったと言い訳したところで聞き入れてくれるかどうか。
こりゃ銀次の野郎を半殺しの目に合わせてでも言うことをきかせなきゃ、俺が社長に埋められちまいそうだ。
しかし、物事はそう簡単ではない。
しゃべってばかりで手は動かないし、能率も良くない銀次だったが、現場にいるかいないかで全体の進捗が変わるのだ。
暴力で人を従わせることに躊躇はないが、監督も使いどころぐらいは理解している。
ただ作業員をぶん殴っているだけでは監督は務まらない。
もう一度酎ハイでも奢りながらひざ詰めで話をするしかねえか。
気が付けばうるさいほどだった蝉の鳴き声が聞こえない。
変だな。
それが監督の最後の思考となり、意識が途絶えた。
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