秋桜コスモス

雨瀬くらげ

花の前編

 九月も後半に差し掛かる頃。私の通う高校では、月末に行われる文化祭の準備が佳境を迎えていた。


 廊下を歩き様々な教室を覗くと、どこも完成系に近づいているであろう作品ができ上がっている。私のクラスはと言うと、劇の練習を通してできるようになっていた。しかし私は役者として出ているわけでもなければ、大道具や衣装といった責任重大な仕事も与えられていないので暇を持て余していた。


 そういうわけで、飲み物を買って屋上で時間を潰すお供に友人の森田もりたみどりを誘ったわけだ。


「入学してもう半年になるのに、なんだかんだ屋上行ったことなかったよね」


 と、緑は自販機からナタデココ入りのジュースを取り出す。「そうだねえ」と答えながら、私も同じものを買い、屋上を目指して階段を登る。


 緑とは席が隣通しだったことで話し始め、好きなバンドが同じだったことで意気投合した。横を歩く彼女の髪型は当時と変わらない、ウルフよりのショートボブのまま。私たちが好きなバンドのキーボードと同じ髪型だ。


 屋上に出ると、夏の面影を感じる日差しが照りつける。緑は「紫外線!」と言いながら胸のリボンを緩め、私はシャツの袖を捲った。


 丘の上に建つ私たちの学校。それなりの標高があるからか、今日が快晴だからかはわからないが、屋上からの景色はなかなか見応えのあるものだった。


「おお、すごい」


 と、思わず口に出してしまうほどだ。


 通学路、駅、その先の海まで綺麗に見える。やや遠くなった校内の喧騒が、景色にまた良い味を出している。


 先ほど買ったナタデココ入りのジュースのキャップを開けて「乾杯」とボトルをぶつける。同時に口に運び、甘いフルーティーな液体が喉を流れて体を冷やしてくれた。


「美味い! 青春の味だ!」

「何? プロモーション?」


 ボトルを高く掲げた緑に、私は咽せながらツッコミを入れた。今みたいな彼女の無邪気さが私は好きだ。


千秋ちあきもシャンプーのCMみたいになってる」


 緑も私を見てゲラゲラと笑う。タイミング良く吹いた風が私の長い髪を揺らしたからだ。


 風が吹いてきた方向を見ようと後ろを向くと、別館が見えた。別館の上には小さな天文台がある。県内でも数少ない天文部が使用しているものだ。


 大きな望遠鏡が顔を覗かせるドームの横で、背の高い男の子が空を見上げていた。やや目にかかる前髪で、果たして何か見えているのは怪しいが、時折吹く風が彼の素顔を見せる。


 吸い込まれそうなほど綺麗で白い肌。細く整った目。鋭いナイフのような目、と言うより優しい果物ナイフのような目。ミステリアス、妖艶、という言葉もしっくり来ない、不思議な魅力があった。


「あの人、確か天文部の部長だよ」

「三年生ってこと?」

「そうそう。まだ部活の活動時間じゃないのに、クラスの活動サボってるんだね。私たちと一緒だ」


 自分の発言がツボに入ったのか、緑は高らかに笑い続ける。しかし、私は空を見上げる彼の顔から目を逸らせなかった。


「千秋?」


 緑から名前を呼ばれると同時に、彼の前髪の隙間から覗く目が私の目と合った。見ていたことに気づかれた、という羞恥心から初めて目を逸らす。


 どうにか誤魔化そうと辺りを見渡すと、次は緑と目が合った。


「千秋、顔真っ赤だよ。どしたの」


 ジュースも飲み終わらないまま、「行こう」と私は緑の手を引っ張り、屋上を後にした。


※ ※ ※


 ホームルームを終え、無事放課後を迎える。クラスの出し物の準備をする者は続きを、部活動がある者は各々の活動場所へと足を運んだ。


 緑は軽音部でバンドの練習がある、と放課になった途端に教室を出ていった。私も今日は園芸部の水やり当番なので、正門の近くの畑まで一人で向かった。


 園芸部の花の水やり当番は基本、二人一組で朝に行う。忘れてしまったら、必ず昼休みか放課後にする決まりだ。今日は一つ上の先輩と一緒のはずだったが、彼女は自分のクラスの準備が遅れているらしく参加できないらしい。よって私一人のみだが、別段問題はない。大して広い畑ではない、一人で十分だ。


 畑に着き、近くの水道でジョウロに水を溜める。たっぷりと入れてしまうと重たいので、数回に分けるしかない。男手があればいいのだが、こんなご時世でも男子部員は一人もいないのだ。


 元々花が好きだという理由もあるが、園芸部というあまり聞かない部活に珍しさで入った。特別人数が多い部活ではないが、穏やかな人たちばかりで、活動内容も重くない。良い部活に出会えたと思っている。


 まずはリンドウの畑に水を巻く。空が朱色に染まってきている中でも、その青は美しかった。


 辺りには金木犀の香りが漂っているが、それは正門の横に木が生えているからである。残念ながら園芸部のものではない。


 ジョウロの中身が空になると、再び水道へ戻り水を汲む。次はコスモスの畑だ。


 ピンクに白、定番の色が並ぶ。秋と言えばコスモスと思い浮かべる人も多いのではないだろうか。


「綺麗だな」


 唐突に背後から聞こえた声に、「ぎゃ」と変な鳴き声が口から漏れ出てしまった。後ろを振り返り、その声の主がわかると「わわわわわ」とさらに変な反応をしてしまう。そこにいたのは先ほど、天文台の近くにいた彼と瓜二つだったからだ。


「君、園芸部だったんだな」


 尻餅をついた私を、彼は覗き込むように上から話しかけてくる。しかし、彼がどこから現れたのか、なぜ私のことを知っているのか、と次々と湧いてくる疑問で私の頭はパンク寸前だった。


「わ、私たち会ったことありましたっけ?」

「あるよ。さっき屋上で目があったじゃん」

「目があっただけじゃないですか!」


 そう答えるも、再び前髪から覗いた彼の目と自分の目が合い、顔が火照っていくのがわかった。


 言葉遣いはよく少女漫画にある王様系。それでも幻滅しないのは、その声色のせいかもしれない。脳に直接語りかけてくるような、透明さと柔らかさ。それがまた魅力的に感じてしまっている私がいた。


 二人の間に無言の時間が訪れると、彼は私が今まで水やりをしていたコスモスに目をやった。


「綺麗なコスモスだね」


 彼のその言葉に、


「……もしかして、花、好きなんですか?」


 と、会話のきっかけを作る。


「花が好きかと言われると人並み程度だな。有名な花の名前くらいしか知らないし。でもコスモスは好きだ。良い花だと思う」

「私も! 私も、コスモスが一番好きです! 私、千秋っていう名前なんですけど、同じ『秋』って漢字が入ってるし、何よりこの季節の主役の花って感じだし!」

「……そうか」


 その彼の反応を見て、私は自分が過ちを犯してしまったことに気が付く。相手もコスモスが好きだったからと捲し立てるように喋ってしまった。彼は引いてしまったに違いないだろう。


「ごめんなさい、つい」


 挽回できるとは思っていないが、私はすぐに頭を何度も下げた。しかし彼は「いや違う」と手を顔の前で振った。


「千秋って名前なんだなって」

「え、あ、そうです。細川ほそかわ千秋と言います」


 予想の斜め上の言動に一瞬反応が遅れてしまったが、ここに来て頭の回転が早くなる。名前についての話になったことで、彼の名前を訊くチャンスだと思ったのだ。


「あの、あなた……先輩のお名前は?」

「俺の?」

「はい」


 すると彼は、渋りながら空を見上げる。触れてはいけなかっただろうか、と反省していると、


「俺の名前はいいよ」


 と、やはり気まずそうに答えた。


 申し訳ないと思うと同時に、知ろうとしても知ることができない不思議さに俄然興味が増してしまっている自分がいた。なぜこのミステリアスさに惹かれるのかわからない。しかし日がさらに落ち、より暗く見えなくなる彼の素顔の奥をどうしても知りたいと思ってしまうのだ。


「じゃあ、俺行くよ。頑張ってね」


 立ち去ろうとする彼の腕を、無意識に私は掴んでいた。


「待ってください」

「……どうしたの?」


 どこか遠い存在のような彼。同じ学校に通っていても、今このまま別れたらもう会えない気がしたのだ。


「最後に一つ、聞きたいことが」

「何?」

「園芸部は文化祭に花のブーケの販売をします。天文部は何かするんですか」

「……うちは後夜祭の時間に天体観測をするよ。でも、後夜祭に行く人の方が多いから、わざわざ星を見ようとするやつなんていない」

「行ってもいいですか!」


 彼が言い終える前に、勝手に口が動く。


「いいけど、またどうして」


 彼が引いてもいい。今ここで次に会う約束がしたかった。


「見たいんです。星」

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