第二章 いろは村と鬼ヶ島 2

傀暦かいれき百二九年四月九日>

 空は青く澄み渡り、海風の心地よい風と匂いが鼻に入ってくる。

 ここ一帯の海は波も風も穏やかで荒れ狂うことも滅多になく、定期船も漁も安全に行うことが出来るようであった。

 海上には木の柱が等間隔で建てられており、その柱の上部には村と鬼ヶ島を繋ぐ電話線が延々と伸びていた。この木の柱は船を誘導する役割も果たしているようであった。

 定期船の二本の柱に付いた帆はどちらも皺一つなく綺麗に風に張られ、船を前進させていく。船に揺られながら遠くのほうを見ると、ゆっくりと鬼ヶ島が近付いてきた。

 遠くから見れば鬼ヶ島自体は小さな孤島として見えていたが、実際に島へ行くととても大きな島だった。島の周りを海岸沿いに歩いても一日では周りきれず、およそ三日はかかるだろうほどの大きさだった。

 鬼ヶ島の図書館で調べ物をするため、何度か訪れたことがある鬼ヶ島へ辿り着く。

 みんなが働き始めて数週間、犬助も猿彦もキジ尾も毎日頑張って働いていた。犬助は色々な料理の作り方を学んで、料理がメキメキと上達していたし、猿彦は帰ってくるといつもくたくたになっていた。キジ尾は覚えることは多いが、接客して商品を売るのは苦じゃないと言っていた。

 みんな思い思いに頑張っていた。私も勉強を頑張らなければ。

 一定区間を時刻通りに周る馬車、乗合のりあい馬車に揺られ、港から図書館へと向かった。

 午前から夕方まで調べ物、読書、勉強を図書館で終えた後、港の定期船の時間までまだ余裕があることを知り、鬼ヶ島の中を歩いて回ることに決めた。

 夕方の温かい日差しを受け、赤色に近い夕日に包まれながら、同じように綺麗に包みこまれた街並みを見ながら歩いて回るのはなんと乙なことだろう。

 数学や物理学について勉強し、計算に疲労した脳を気分転換させるには良い運動だった。今日の晩ご飯を作ってるだろう家からは、香り良い美味しそうな匂いが鼻に入ってきた。

 街頭の所々に並んだガス灯からは、ほのかな火が灯っている。


「今日の夜ご飯はなんだろうな。犬助が作ってくれる番だから、きっと上手いものに違いない」


 独り言を呟きながら、ふと奥まった道へと進んでいくと、匂いが香り良い匂いとは全く違う異質な匂いに変わっていた。

 饐えたようなツンとした匂い、悪臭だった。カラスが荒らしたのだろうかと思って歩いていると、共同住宅から扉を開けて人が出てきた。擦り切れたボロをまとい、痩せこけた中年の男性がどこかへふらふらと歩いて行く。髪は何日も洗っていないのだろう、フケが出ていてツヤや清潔感といったものが微塵も感じられなかった。

 周りを歩いている者たちをよく見ると、出てきた男性ほどではないが貧相な格好をしている人、目に生気が乏しくトボトボと歩く鬼が多くいた。絶望したような、諦めたような表情の人、能面をべったりと顔に貼り付けているかのような無表情の人や鬼たちが歩いていた。

 みんな帰路の途中であったり、ある者は捨てられたゴミや食べ物の欠片を拾ったり漁ったりしていた。

 その異質な光景が広がる街の一角を速歩きで私は通り抜け、定期船へとすぐに乗り込んだ。

 船に揺られつつ薄青く暗い波を見ていると、頭にこびり付いた先ほどの光景が何度も何度も脳内で反芻していた。


 今日は私と犬助だけが食卓にいた。猿彦は帰宅直後、「疲れた。寝る。おやすみ」と言って自室に行ってしまった。キジ尾は仕事が残業らしく、まだ帰ってこなかった。

 目の前にはあぶり焼きした豚肉が食べやすい大きさに切られ、美味な液体調味料がかけられていた。芳醇な根菜が添えられ、舌鼓を打つ美味しい料理ではあったが、あまり手は進まなかった。

 犬助が作ってくれた料理を口に運びながら、今日見た出来事を犬にとつとつと伝えた。


「それはきっと、貧民街じゃないですか?」


 犬助の目を見据え、復唱した。


「貧民街?」

「こっちのいろは村でも一角にあるみたいですよ。共同住宅や家々が凄く安いんだけれども、住んでいる者たちは貧しい者たちばかりらしくて、治安も良くないとか」

「そうなんだ……。ここの村や鬼ヶ島に住んでいる人も鬼もみんな、貧しい者なんていないと思っていたんだけど……どうしてそんな所があるんだい?」

「それは、事情は様々らしいです。僕も同僚や店長に聞いた話なんですが怪我や病気で働きたくても働けない人がいたり、働く能力が低くて失業したり、働いてもお金が少ししか稼げない人や鬼がいたりなど、様々な理由らしいです」

「そんな働けない者たちをみんなで支援したり、助けてあげたりしないのかい? 使え切れないほど多くのお金を持っている者や、いくつもの会社を持っている大金持ちの社長や資本家もいるんだからさ」

「みんなで支援や援助を行おうって言う方もいるみたいですが、あくまで個人や団体の無償奉仕活動の支援止まりらしいです。村と鬼ヶ島の規則や法律のことを決めている方たちがそう決めているんです。あくまで自己責任だと」


 犬助の暗い表情と声を聞きながら思い出す。ここでは政治や経済、法律のことなど社会の決め事は、ある一部の鬼や人たちが中心となって決めていることを。

 その社会のことを決める者たちは評議委員と呼ばれていた。

 評議委員は、いろは村や鬼ヶ島で手広く商売をしている資本家だったり、地主だったり、周りの者に推薦されたり、自ら立候補したりした者たちだった。つまり影響力が強い者たちがみんなの代表となり、評議委員となっていた。

 その計十名の評議委員たちが中心となって評議会を開き、色々なことを決めている。

 なかでも、猩峰鬼しょうほうきという鬼が中心核となっており、実質みんなの首領、首長的役割を担っていた。鬼からも人からも圧倒的な人気を持っており、経営している会社は幾多にも及ぶ。その内の会社の一つ、繊維工業で生産している「鬼のパンツ」という下着は、高品質低価格で生産市場占有率、九割という大人気商品を売り出していた。

 猩峰鬼は昔の鬼の酋長しゅうちょうの子孫で、指導力や統率力に優れ豪快な性格でズバズバと物事を決めている鬼らしかった。

 多くの富を持ち、貧しい者たちを助けようとしないのに、みんなの代表となっていることに怒りが湧いてくる。


「病気や怪我に自己責任なんてあるもんか! それに莫大な利益を上げている一部の鬼や人だけが得をして、他の者は不幸になってもいいなんてことは許されない!」


 とめどなく強烈な怒りが込み上げてきたが、何とか冷静を保とうと憤りを抑える。

 感情に流されてはいけない。頭を振り、建設的に物事を考えようと手元にあった水を飲んで頭を静めた。


「私はまだこの村は発展途上だと思うんだ。みんなで決める規則や経済機構なんかは、評議会の者たちによって試行錯誤的に実践されているに過ぎないと思うんだ」

「……つまり、まだまだ改良の余地があるってことかい?」

「そうだよ。今のままでは富めるものは更に富み、貧しいものは更に貧しくなっていく構図が出来つつあるんだ。それは変えていかなきゃいけないと思うんだ」


 犬助は頷きつつ返答した。


「確かに、格差があるのは良くないけど……。でもどうやってそれを変えていくんだい?」

「それは……。どうすれば良いかはこれから私自身、考えてみようと思う……」


 変えていかなければいけないと言ったものの、どう変えていけば良いのか具体的なことが出てこなかった。

 沈黙を破るように犬助は声を出した。


「そうですか……。僕も力になれることがあれば協力していくよ、桃太郎さん」

「ありがとう。私はこのいろは村と鬼ヶ島を更に良い社会に変えていければと思うんだ」


 そう、私はみんなが良い社会で生きていけるようにしたい。貧しさや不幸がはびこるなんて許せない。

 食事を終えた後、自分の寝室に入って机に向かい、壁の一点を見つめながら熟考した。

 どうやってこの社会を変えれば……。

 猩峰鬼に直談判するという考えを思いつくが、そうしようとしても門前払いされたら何も意味がない。それに、猩峰鬼だけに言っても評議会の一員が拒否すれば同じく意味がなかった。

 そこでふと思いついた。私自身が評議会の一員になれば良いのだと。

 評議委員に定数はない。立候補して、二十歳以上の総住民から二.五割以上の支持が村や鬼ヶ島の住民たちからあれば当選となり、評議委員となれる。

 私自身が評議委員となり意見を出し、様々な規則の変更や新たな規則作りを行えば良いのだ。そうすれば法律、社会を変えていける。

 自らのやりたいこと、成したいこと。この村で何が出来るかと日々、自問自答していたがその答えが見つかった気がした。

 成すべき事が頭に入り、ピッタリと隙間なく埋まった感じがした。

 私がしたいことは、みんながより良い社会で豊かな生活を送れるようにすることだ。

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