もみ消された真実



「……実際のところ、真実はもっと悲惨だった」


 今でも、当時の記憶はあいまいだ。

 ただ、挙式数日後の昼間に妻に呼び出され侍女から供されたコーヒーに口を付けた事までは覚えている。


 すると突然、視界がきらきらと眩しく輝いてわけもなく楽しい気分になった。

 そして、いつの間にか隣に座っている妻に対する感情が一気に全く反対へと変わる。

 愛おしくて、愛おしくて。

 手を伸ばして抱きしめた―――。


 次に目を開いた時、何もかもが終わった後だった。

 寝台から自力で起き上がれない程に弱った身体。

 睫毛に至るまで色が抜けて真っ白になった体毛。


 そして。

 母の葬儀はとうの昔に終わっていた。


『いい子ね。この飴を食べて。とても美味しいのよ』


 夢なのか、記憶なのか。

 母の声が残っている。

 幼いころのように優しく促されて口を開き、レモンとカミツレの香りがする飴を含むと、優しい手が両頬を包み込んだ。


『ウーゴ。愛しているわ』


 視界はおぼろげで。

 華奢で小さな身体に強く抱きしめられたような。

 そんな気がする。


 覚醒し事の次第を問うウーゴに家令がためらいがちに明してくれたのは、耐えがたい真実。


 母から遅効性の毒薬を飲まされたこと。

 次に母は父を殺すことを画策し、刺客の正体を気づかれることなく返り討ちに遭ってほぼ即死だったこと。


 そして遺体の損傷が激しいため、葬儀は既に終わり、母は事情を知った子爵家が密かに連れ帰りヘイヴァースではなく生まれ育った領地に埋められていた。


 母が嫁ぐときに父が奮発して建てた都の館は、まるで知らない家のようによそよそしくがらんどうだった。

 妻を自ら手にかけた父は打ちひしがれ領地に引きこもり、ヴァンサン家は機能不全に陥っていた。


 悲劇の引き金を引いたのは父だ。

 彼は、王女の降嫁が失策だったとあくまでも認めなかった。

 それが取り返しのつかない悲劇を生むとは思わずに。


 非力で戦闘魔法を持たない彼女が思いついたのは、泥酔して眠る父の顔に濡れ布巾をのせて窒息させるという武人相手に成功確率の限りなく低い方法で、最初から殺されるつもりだったのではないかと推測された。

 胸元には解毒薬らしき液体の入った小瓶を下げたネックレスと遺書。

 才媛として名高かったマノンらしい綺麗な字で書かれていたのはただ一言。


『私の子たちは連れて行きます』


 それだけだ。

 さらに解毒薬は砕け散って彼女のまとった衣服に吸い尽くされ、使い物にならなかった。


 ところがここで奇跡が起きた。


 ジュヌヴィエーヴが盛った媚薬とマノンが飲ませた毒薬の成分はそれぞれ違う国から手に入れた新薬で、未知のものだったのが幸いしたのか、互いの効能を打ち消し合った。

 激しく吐血し、痙攣と高熱を起こしてこん睡状態にまでなったウーゴは数日の昏睡状態を経て見事生還する。

 十五歳という若さのおかげでもあったかもしれない。

 媚薬に溶かされた思考能力は一月を待たずに元の状態まで回復できた。

 ただし彼の体毛に関してはその後色をまとうことはなく、まるで生来から白銀であったかのように変わる。

 ウーゴの黒髪は母マノンそのものだった。

 それすら、ヴァンサン辺境伯は失ったのだ。


 その事件が起きた夜。

 諸悪の根源であるジュヌヴィエーヴは媚薬の摂取過多で呆けてしまったウーゴを持て余し始めていた。

 経験上、知能が元に戻らないだろうことも薄々気づいている。

 ウーゴの代わりに辺境伯の部下たちを寝室に招き入れて戯れながら、頭の隅で王宮へ戻る言い訳を探していた。

 そんなさなか屋敷中が騒がしくなり、隣室で悲鳴が上がる。

 何事かとガウンをひっかけて見に行くと、大量の血と泡を吹き、白目をむいて痙攣しているウーゴの姿があった。

 その様の気持ち悪さに血の気が引いた。


 美しい彼は見る影もない。

 しかも、義両親の寝室では夫婦喧嘩の末に当主が夫人を殺したと言うではないか。


 ジュヌヴィエーヴはすぐさま逃げ出した。

 止めに入った侍女たちを突き飛ばし、ガウンの上に外套を巻き付けただけの姿で馬車に飛び乗り、二度と戻らなかった。


 もちろん、国王夫妻がすぐに事の真相のもみ消しに乗り出した。


 アクセルの家臣が領地から風土病を持ち込んだと発表し、ヴァンサン家のタウンハウスの周囲を一か月封鎖。

 マノンの遺骸はジュヌヴィエーヴの元婚約者であり、家門の長であるロンズデール公爵の説得で密かに運び出されたが、それは密約でもあった。

 辺境伯夫人を実家へ戻す代わり、王女の再降嫁が取引の条件だったという。


 国王夫妻の見落としていたことが一つある。


 マノン・ワフィ―子爵令嬢は、ロンズデール公爵の初恋だった。


 年上の才媛を子どもの頃から密かに慕い続けていた。

 ロンズデールと親しい王太子は当然知っているが、ジュヌヴィエーヴ可愛さに道を外し続けている両親の耳にわざわざ入れる義理はない。


 そして未来の賢王と宰相、そして国の行く末を憂う者たちは策を張り巡らせ始めた。


 愚か者たちを破滅に導くために。




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