闇のざわめき



 満天の星と昇って間もない残月が山の峰々を照らす。


 長年の友であるクライヴの領地へ滞在して十日余り過ぎたが、これほど騒がしい夜は初めてだ。

 獣も妖もざわめき、闇も月も星々もなにかを訴えてかけてくる。


 王都からの『客人』たちはクライヴが猛禽を使役しつつ精鋭部隊を率いて探索中で、ウーゴは単身、見晴らしの良い山まで馬で登った。


『アオ――――――、オオウ――』

『オ――――ン、オオオ――ン』


 狼たちが峰々から吠え合っている。

 来るぞ、来るぞと彼らが騒いでいるのは、いったい……


 ふと空を見上げてウーゴは眉をひそめた。


 濃い青の薄衣を何枚も重ねて作られた闇に、粗塩を投げてできたような星々。

 そんな夜空に何かが潜む。


 目を閉じて耳を澄まし、全身の感覚で探る。

 ふいに、ただならぬ気配を感じて目を開いた。


「魔を、引き寄せたか」


 ウーゴの居場所から二峰先の山がざわざわと蠢いている。

 幸運なことにちょうど見える位置でそれは起きていた。


 一番騒がしいのは中腹あたりだが、そこから更に山頂へ向かって動きがあり、おおよそそれらが二手、いや、三手に分かれているようだ。


 追われるものと追いかけるもの。

 そして、血と肉を求める魔物たち。


 隙をついて逃げ出した公女が山頂を目指し、騎士たちがそれを追いかけ、さらに追跡をかけているクライヴと騎士団。

 それぞれが全速力で登り続けている。

 遠くて肉眼ではわからないが、おそらくあそこは今、祭りのような様相を呈しているに違いない。

 何人か、魔物の餌になり果てた気配がする。

 王都の連中は魔除けすら装着せずにこの地へ入ったのか。


「ちっ……。まずいな」


 あの山は急こう配の上に複雑な地形で中腹から馬が使えない。

 さらに躁状態になっている魔物たちと多少は戦いながら登るとすれば、クライヴたちをもってしても時間がかかる。

 そして、意外なことに公女は誰よりも効率よく山を攻略し、頂上まであとわずかのように感じた。


「跳ぶしかない」


 首に下げている角笛を引っ張り出して唇に当て強く吹いた。


【――――――――――――】


 ごう、と風が吹き、白い獣が現れた。


 狼ほどの大きさで、瞳が残月のように薄い金色に光る。


 ウーゴは馬から降りて尋ねた。


「スノウ。彼女はあの山にいるのだな」


『クウ…』


 短く答えた後、フェンリルはじっとウーゴを見つめかえす。


【おとこたち 魔寄せ つけている

 あの山が 騒がしいのは そのせい】


 スノウは念話で報告を始めた。


「なるほど。たいそうな数の捨て駒だな」


 生きて帰られては困る者をまとめて送り込み、公女もろとも一気に始末するつもりか。


【主よ 時間が ない

 空からも 魔物が 来る】


「そのようだな。すまぬが乗せてくれるか」


【是】


 スノウはついと鼻先を天に向けふるりと実を震わせる。

 すると、白い光を放ちながら馬の二倍近い大きさに変幻した。


「フルー、先に屋敷へ戻ってくれ」


 この山まで登ってくれた黒馬の肩をぽんと叩く。

 馬具に魔除けを装着しているが、念のため手のひらからフルーに魔力を注ぎ、道中何にも襲われないよう阻害の術をかけた。


「ブルル」


 自領から連れてきた相棒は、スノウの出現もウーゴの指示にも慣れた様子で馬首をめぐらせ悠々と山を下り始める。

 それを少し見届け、ウーゴはスノウの前に立つ。


「騎乗鎖、装着」


 唱えて天に手を差し伸べると、太くて長い金の鎖が光を放ちながら現れる。

 指先をくいっと曲げるとそれらはまたたくまにスノウの身体にまとわりつき、しっかりと固定された。

 両肩から伸びている鎖を手に取り、ウーゴはひらりとフェンリルにまたがる。


「彼女を目指してくれ」


【承知】


 ウーゴをのせたスノウはふわりと跳び上がると、山から崖を一気に駆け下りた。

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