チャプター06
的場と2人で警察庁を出て西新橋交差点に向かって歩いた。そこからJR新橋駅を左手に見て、しばらく歩くと指定された店は見つかった。
先日藤崎と3人で入った店とは違い、間口も店の広さも遥かに大きかった。
団結式は定刻通り始まった。藤崎統制官の挨拶の後、青山司令官の乾杯の音頭、そして簡単なチームの自己紹介をして1時間が過ぎた頃、沼田司令官が立ち上がり中締めをすると、さっと上席3人は先に引き揚げて行った。引き揚げる際、沼田司令官が、6名で話もあるだろうから遠慮なく飲んで行ってくれ、支払いは済ませておくから、と言って
残された者は無言で顔を見合わせ、誰からともなく立ち上がり店の前で簡単な挨拶を交わしてからそれぞれに引き揚げて行った。
矢上は的場と2人で取り敢えずJR新橋駅に向かって歩き出した。
金曜日の午後7時過ぎ、人通りは多かった。
矢上は聞いた。
「ちょっと気になっていたんで聞くんだけど、ここに来た最初の日に統制官から、君のことを知っていたのか、と聞かれたので、知りません、と回答したら、そうか、と言われたんだよね」
的場が少し笑顔を見せた気がした。
「実は矢上さんを知っている人から矢上さんのことを教えてもらったんです」
矢上は思わず的場の顔を覗き込んでしまった。
「矢上さん達が異動する前、統制官から、リーダーとなる3人の簡単なプロフィールの資料を見せてもらって、これから組む相手は君が決めなさいと言われたんです。少し時間をいただいて考えたいので、資料をお借りしても良いですかと許可をもらって自宅に持って帰りました。その頃、たまたま母がこちらに来ていて、その話をしたら資料を見せてと言うので見せたら
「お母さんが?」
「はい」
「お母さんが僕のことを知ってるって?」
「そうです。良く知っている人だって」
「勿論、『的場さん』だよね?」
的場は笑って頷いた。
「母ですから名字は一緒です」
良く知っている人?一体、誰なんだろうと考えても思考はぐるぐると回るだけで見当が付かなかった。
的場は続けた。
「以前、高校の国語の先生をされてましたよね?」
「えっ!的場先生の!」
「娘です」
矢上は目の前にいる的場を見つめた。
最初からこちらのことを知っていて、今までの
機会を伺って、的場本人の口から本音を聞かせてもらいたい、と矢上は思った。
的場は母親から矢上が高校を退職した
遅刻をした上にバイクで爆音を鳴らして校庭内を走り回っている1人の男子生徒がいた。その生徒は矢上のクラスの生徒だった。1階の職員室内は耳を
その時、矢上先生が教室から校庭に駆け出し、走り回っていた生徒を何度も注意をしたが、その生徒は無視してエンジン音を鳴らし続けた。無視し続ける生徒に業を煮やし、矢上先生は隙をみてバイクの後から飛び付き、生徒をバイクから引きずり下した。その後、生徒に怪我をさせた責任を取って学校を辞めて行った。
矢上先生は校長室で教頭や他の教員から叱責されている間、一言の言い訳もしなかった。もう覚悟しているようだったと目撃した同僚の先生から聞いた。彼の堂々とした態度が爽やかだったとも言っていた。
退職していく日、矢上先生は職員室と校長室とでそれぞれ短い挨拶をして正門から出て行った。
「校舎から正門へ歩いて行く矢上さんの後ろ姿は、本当ならば段々と小さくなっていくはずなのに、職員室の窓から見送った母には何故か大きいままの姿で目に焼き付いて離れなかったと、言ってました」
その出来事の後で、校長は矢上のことをぼそっと話し、
母はまた、その時の校長先生は、母の高校の時の担任だったと言っていた。
的場は、母が信頼していた校長先生の矢上に対する評価を聞き、矢上を指導員として選ぶことを躊躇なく決定した。
的場は母から聞かせてもらったこと全てを矢上に話すつもりはなかった。自分が知っているのは、矢上と母が同じ高校にいたという事実だけだと矢上に思われているだけで充分だった。母から聞かされた残りのエピソードは自分の胸の中に仕舞っておけば良いと。
矢上は忘れ去っていたはずの過去の空間が、突然こんな形となって蘇って来るなどとは想像もしていなかった。
JR新橋駅で的場と別れ電車に乗った。混んだ車内で、的場から聞いた話を
母親があの時の的場先生だったとは正直驚いたが、的場の母親は過去の自分が世話になった人、その娘の的場はこれからの仕事仲間として白紙の状態で適宜判断し、決して私情を挟まずにケースバイケースで対応していこう、と矢上は自分に言い聞かせた。
自宅最寄り駅に着いた。改札口を出た後、自宅に電話をした。弘美が電話に出た。
「駅に着いた。これから帰るから」
弘美は、
「明日、休みだよね?バーベキュー大丈夫だよね?」
と矢継ぎ早に質問した。
「明日も明後日も休みだよ。バーベキュー楽しみだね」
「よっしゃ」
弘美がそう言って、電話の向こうでガッツポーズをしている姿が目に浮かんだ。
帰る道すがら、帰ったら3人で乾杯をして、今日は2人の話を聞いてやろうと思った。この2日間はとことん2人の話し相手になってやろうと決めていた。
寝静まった時刻、ベッドの奈津子が淡々として水の流れのように話した。
『弘美のことだけが心残りで』と涙で頬を濡した。奈津子の無念さに胸が締め付けられ思わず抱き締めていた。臨終2日前のことだった。
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