第2話 唯奈のことなら何でも知ってる
「おかえり」
3日後、予定通り退院した私を待っていたのは、暗くて冷たい我が家ではなくて、暖房のかかって暖かい家とあいつ——雪乃の姿だった。
「……なんでいるの」
「だって退院の日だし」
「いやそういうことじゃなくて」
どうやって入って来たの、そう尋ねようとして、病室に急に現れたことを思い出して口を噤んだ。きっと雪乃にとったら鍵なんて意味のないものなんだ。そう納得しかけて、彼女が人ではないということを受け入れかけている自分に驚く。
「とりあえず座りなよ。ご飯出来てるから」
「……死神なのに、人間のご飯が作れるの?」
「失礼だなあ。これでも昔は唯奈と同じ人間だったんだからさ」
「本当に?」
「そうだよ。まあもう何十年も前の話だけど」
やっぱり非現実的なことを言う。それでも何故かすんなりと信じてしまっている自分がいた。これも死神の力なんだろうか。促されるまま椅子に座って、テーブルの上に並べられた料理を見て思わず口が開いた。
「うわ、すごい豪華……こんなのうちのキッチンで作れたんだ」
「私が言うのもなんだけどさ、唯奈ってこれまでまともなご飯食べて生きてきたの?本当に冷蔵庫の中に何も無かったんだけど」
「コンビニ弁当とかスーパーの総菜とか、たまに外食したりとか」
「それでよく今まで生きてこられたね」
まあもうすぐ死ぬからどうでもいいけどさ。彼女は余計な一言を呟いて、呆れ顔で笑った。
「じゃあ……いただきます」
「はい召し上がれ」
手を合わせて箸を持つと、向かい側に腰を下ろした雪乃はにこにこしながら私を見てきた。食べる様子はない。
「食べないの?」
「だって死神だし」
「そういうもの?」
「まあ気にしないでよ。ほら冷める前に早く食べなって」
「……分かった」
諦めて食事に手をつけると、味は思ったよりもずっと美味しくて驚いた。というかむしろ、すごく私の好みの味付けだった。
「どう?おいしい?」
「うん、普通に」
「そこは素直においしかったって言ってよ」
「なんか……お母さんの味って感じ」
そりゃあ唯奈のことならなんでも知ってるからね。雪乃は得意げに笑ってそう言った。彼女のことだから、それは誇張じゃなくて本当に全部知っているのかもしれない、と背筋が寒くなる。
「なんでもって……」
「池田唯奈、2000年5月15日生まれ。親は中学生の時に死んでて、今は受け継いだ花屋をやってる。周りにはバイセクだって言ってるけど、生粋のレズビアンで3年前から彼女無し……どう?」
「どうって言われても」
「あとはそうだな、」
「もういい、やめて」
聞きたくない、と首を振ると、彼女は意外にもあっさり引き下がってくれた。これ以上過去のことを話されるのは嫌だったから。それ以降は何か話しかけられるわけでもなく、久しぶりに手作りの味がする美味しいご飯を食べる時間が流れた。その間も何が面白いのか雪乃はじっと私を見つめ続けていたから、少し落ち着かなかったけれど。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。洗っとくからお風呂入ってきなよ」
「いや流石に申し訳ない……ってか、まさか泊まってくつもりなの?」
「当たり前じゃん」
「いや帰ってよ」
「いーやーだ。唯奈が私のこと好きになってくれるまで帰らない」
「……はあ?」
彼女はそう言いながら立ち上がると、テーブルを回って私の方までやって来た。そのまま膝の上に座ると、ぎゅっと抱きついてくる。初対面に近しい人に、こんなパーソナルスペースに入られるなんてという気持ちもあったけれど、不思議と不快感はない。それよりもこんなにも整った顔立ちの女の子が、唇が触れてしまいそうな距離にいるという事実に、不本意にも心臓が跳ねてしまってそんな考えは頭の隅に追いやられた。
「ずっと見てた……好きだよ、唯奈」
「なんで私なの……」
「人を好きになるのに理由なんてないでしょ?一目惚れだよ、一目惚れ」
そう言いながら雪乃は私のおでこ、鼻とキスを落としていく。しばらくすると彼女の視線が唇に注がれているのに気付いて、一気に体温が上がった。輪郭をなぞられ、鋭い瞳に見つめられて逃げようにも動けない。結局避けられないまま、唇が触れ合う。
「……今日はここまでにしといてあげる」
私の膝から退いた雪乃はお皿を片付けながら、動けないでいる私を見てふっと笑うと、早く温まってきな、と優しく言い残してキッチンに消えて行った。
「なんなの、ほんと……調子狂う」
馬鹿にしてきたり怖いことを言ったり、かと思えば優しくしたり。彼女が人ならざる者であることは信じるしかない状況に追い込まれたけれど、それにしても雪乃という人が分からない。ずっと見てた?私が死なせるんです、って本当に私は殺されるの?鼻歌なんて歌いながら洗い物をしている彼女の後姿をじっと見ながら、雪乃の言葉を反芻する。
結果的に病院で久しぶりにゆっくり出来たのに、頭の中は分からないことだらけでちっとも休まりはしなかった。ただ一つだけ、今確実に分かっていることがある。
彼女にキスされても嫌じゃなかったということだ。
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