なんやかんやでお泊まりすることになった二人

【南城矢萩視点】サプライズお泊まり①

 お泊まりである。

 俺の部屋に、夜宵やよいがいる。

 なんやかんやでサプライズお泊まり会が実現してしまったのだ。


 とはいえ、俺と夜宵は幼馴染み。お泊まりなんて何度も経験している。俺ん家のこともあったし、夜宵ん家のこともある。だけれども、それは大抵の場合夏休みとか冬休みに開催されて、どちらの家にも家族がいて、寝る場所も客間だったりして、お泊りセットなんかもちゃんと用意してあって、ゲームも良いけど宿題もちゃんとやるのよーなんて良きタイミングでお茶とお菓子を差し入れてくる母親がいたりするやつだったのだ。


 が。

 いま、この家には、親も、四つ上の兄貴もいない。みんな仕事だ。数年前に脱サラした父さんがパーソナルジムを始めて、母さんと兄貴もそこのパーソナルトレーナーとして働いている。そのジムは車で二十分くらいのところにある。


「帰り道でまさかゲリラ豪雨に当たるなんてね」


 俺のシャツとジャージを着た夜宵が、首からかけたタオルで髪を拭きながら、へにょ、と眉を下げる。雨はそれからも止みそうになく、おまけにさっきから、ひっきりなしに雷まで鳴っている。


「いやー、油断してたな。さらに夜宵ん家の風呂が壊れた上におじさんもおばさんも弥栄やえさんまでいないとは」


 弥栄さんというのは、夜宵の五つ上のお姉さんだ。


「しかも炊飯器とレンジとエアコンとIHコンロと洗濯機まで同時に壊れるなんてね。とりあえず、萩ちゃん家に避難してるって連絡したら、なんかそのままお泊まりすることになっちゃって……ごめんね」

「いや、気にすんなって。明日土曜休みだしさ」


 というわけなのだ。

 こんなにいきなり電化製品がイカれることってある!? もう神様的な何かの仕業じゃない? ていうかこれら一気に買い替えんの!? 夜宵ん家大丈夫かよ!


 夜宵のご両親は二人共医者だ。今日はおじさんの方が夜勤で、おばさんが学会のための出張。そんで看護師の弥栄さんも夜勤と来たもんだ。

 

 そんな医者系の一家なので、家電を一気に買い替える経済力の方はまぁ大丈夫だろう。大丈夫だろうけども。でも普通にショックじゃない? 俺なら呪いの可能性を疑うね。


「服まで借りちゃって、ほんとごめん。洗濯の途中で壊れたみたいで」


 あの、ちゃんと後で洗って返すから、と肩の余るシャツの袖を軽く擦って、恥ずかしそうに笑う。


 いや彼シャツ――!!!

 これは彼シャツ――!!!


 クッソ、おい、夜宵お前、背は俺よりでけぇ癖に華奢だな! 知ってたけどさ! お前何!? 普段着てるのサイズ何!? 俺のそれMなんだけど!? あっ、でもちょっと大きめの作りのやつではあるけども! ていうか、腕も腰もっせぇなぁ! 男に対してこんなこと言っちゃ駄目なんだろうけど、可愛い! え、嘘、可愛いんだが!


「……あんまり見ないでよ。貧相だって言いたいんでしょ。どうせ僕は勉強だけが取り柄のガリ勉野郎だよ。萩ちゃんみたいにお腹も割れてないしさ」


 カッコ良いよねぇ萩ちゃんはさ、と言いながら、チラ、と裾をめくって己の腹を恨めしそうに見つめる。確かにバキバキに割れているわけではない。ただ、うっすらと線はある。夜宵だって決して運動が全く出来ないというわけではない。瞬発力には欠けるけど、案外持久力はあるのだ。校内のマラソン大会では割と上位の方にいる。


 そのささやかな、控えめな凹凸が作り出す影に触れたい。親友のだからと、なんの躊躇いもなく俺のシャツに袖を通すその無防備な肌に、爪を立ててやりたい。少し伸びて緩くなっている襟元から覗く、華奢な鎖骨を噛んで、俺のものだと刻みつけてやりたい。そしたらきっと夜宵だって俺のこと、意識してくれるだろう。


 ――って、あっぶねぇ! いま俺何考えてた!?


 おい! しまえ! いますぐ腹をしまえ! お前、俺がいま、そのお前の身体に対してどんな感情を抱いているか知ってるか!?


「ねぇ、萩ちゃんの腹筋見せてよ」


 ――はぁぁぁぁぁぁあっ!?

 なんて!?

 いまなんて言った!?

 見せ、見せろって!? 俺の腹を!? 俺の腹に何か御用でもございましてぇぇぇぇぇっ!?


「良いなぁ、萩ちゃん。僕、体質もあるみたいで、どんなに食べても全然太れないし、筋肉もあんまりつかないんだよね」


 四つん這いで近付いて、つい、と俺のシャツを引っ張る。


「去年の水泳の授業の時、みんな萩ちゃんの腹筋がすごいって言ってたよね。やっぱり鍛えてるの? プロテインとかも飲んでる?」

「き、きききき鍛えてるわけでは! とっ、特に! 休みの日に兄貴と身体動かす程度っていうか! ぷ、プロテインも兄貴が買ってくるのをちょっともらう感じで」

椰潮やしおさんもジムのトレーナーさんだもんね。遺伝もあるのかなぁ。萩ちゃん家、スポーツ一家だしさ。僕んトコ、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも皆痩せ型だし」


 そんなことを言いながら、えいっ、とシャツを捲くられ、腹に触れられる。不意をつかれて「うわぁっ」とおかしな声が出てしまったが、これくらいの接触は別に初めてではない。何せ俺達は家が隣同士の幼馴染み。家族ぐるみの付き合いってやつで、一緒に温泉に行ったこともあるし、プールもある。小学生の頃なんかはカンチョーなんて危険な遊びもしたものだ。いま考えたらとんでもないことしてんな。


「うわ、やっぱりすごいや。良いなぁ、萩ちゃんは。男らしくて」


 その言葉で、胸がチクリとする。


 そうだ。

 俺は男なんだ。

 夜宵の恋愛対象じゃない。だからこそコイツは、俺のシャツだってなんの躊躇いもなく着るし、腹を見せたり、触ってきたりするのだ。俺のことがそういう意味で好きだったら、きっとこんなことはしてこない。


 俺だって、別に男が好きなわけじゃない。男子アイドルとか、俳優とかを見て、夜宵に抱くような感情が芽生えたりなんてこともない。俺は、夜宵だから好きなんだ。


 やがて気が済んだのか、俺の腹から手を離し、きちんと座り直した夜宵が、困ったような顔をして上目遣いに俺を見た。


「萩ちゃん、あの……」


 その言葉から一拍置いて訪れた沈黙に、ドォン、と一際大きな音が鳴った。雷が近くに落ちたらしい。


 ほぼ同時に部屋の灯りが、ふ、と消える。


 さぁっと血の気が引た。小さい頃、何らかの手違いで物置に閉じ込められて以来、暗いところは大の苦手だ。


 とはいえここは俺の部屋。文字通りホームである。手を伸ばせばどこに何があるのかだってちゃんとわかる。怖くない。大丈夫だ。


 いや、


「大丈夫だよ、萩ちゃん」


 手なんか伸ばさずともすぐ近くに夜宵がいる。それこそ、息のかかる距離に。


「僕がいるから、怖くないよ」

「べ、別に全然怖くなんかねぇし!」


 精一杯強がってみる。だってカッコ悪いじゃん。けれども。


「や、夜宵?」


 まるで幼い子どもにそうするかのように、俺の頭を抱えるようにしてぎゅうと抱きしめられた。


「じゃあ、僕が怖いってことにして? だから、落ち着くまでこうしてて良い?」

「……夜宵が怖いなら、仕方ねぇな」

「うん、ごめんね」


 どう考えたって、怖がっているやつの行動ではない。どこの世界に怖くて他人の頭を胸に抱くやつがいる。けれどももしかしたら、あながち嘘でもないのかもしれない。夜宵の心臓は、俺に負けず劣らずの速さで脈打っているのである。


 なぁ夜宵。

 お前の胸の高鳴りは、雷のせいなのか? この暗闇のせいなのか?


 俺のシャツを着て、その薄い布越しに押し当てられる肌の温かさにまどろみそうになる。シャツから香ってくるのは、ウチで使ってる柔軟剤だ。だけど馴染んだ香りだから落ち着くんじゃない、そこに夜宵の体温があるからだ。


 カーテンの隙間から漏れる閃光に、耳をつんざく雷鳴。それが止むわずかな時間はかすかな光すらない闇の中、いつもなら震えながら布団を被るような状況で、図らずも心地よさを覚えてしまう。だけれども、きゅう、と詰まった胸が苦しい。ここに詰まっている想いを吐き出してしまいたい。


 言ってしまおうか、好きだって。

 もしかしたら、うまいこと雷の音が消してくれるかもしれない。卑怯だと思う。だけど、仕方ないじゃないか、俺ら男同士なんだから。


「夜宵」

「どうしたの萩ちゃん」

「あのさ、俺――」

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