第2話 やだなあ
「ねえねえ、夜野ちゃんはなに食べたい?」
「……別になんでもいいよ」
「じゃあさ、なにか苦手なものはある?」
「特にない」
「えー、そんな人いるの?」
「いるでしょ……普通に」
「そっかあ」
私の素っ気ない返答にも関わらず、鎌倉さんはなんだか楽しそうにしている。その理由はよくわからない。
しかし仮にも相手に悪意がなくて、しかも彼女に奢ってもらうという立場の(別に頼んだわけではないけど)私としては、もうちょっと楽しそうに振る舞ったり、会話を盛り上げるように努力をするべきなのかもしれない。
だけどそれはできそうにない。
なぜならば、私はちょっと緊張しているのだ。
「ねえ、鎌倉さん」
「なに?」
「本当にここで食べるの?」
「そうだけど?」
「……」
あっさり言ってくれるなあ、と思う。
私たちが今いるのは、とある駅ビルの八階にあるレストラン階。
例えばお寿司屋さんとか、ステーキ屋さんとか、そういうお店が並んでいるフロアだ。
普通高校生だけで食事に行くなんて時は、ファミレスとかバーガーショップとか、そういう所に行くものではないのだろうか(いやまあ、同級生とご飯に行ったことなんてないから詳しいことはわからないんだけど)。
「……」
周りを見渡しても、私たちと同じように制服を着ている学生の姿は見当たらない。もっと落ち着いた様子のおじさまとかマダムとか、スーツを着た社会人の方とかが見当たる。
まあ、要するに。そんな空間に私たちの姿は浮いてしまっているのだ。
そしてそもそも外食するのが何年かぶりの私が、こんな場所で緊張するな、というのが無理な話なのだ。
それでも鎌倉さんは普段の教室にいるときと変わらない様子――具体的には、次の授業の移動教室のために立ち上がって、あ、ついでにトイレにも寄っておこうかな、とでも考えているような気楽さ――で、フロア中を歩き回っている。
「ねえねえ、ケーキは好き?」
そんなことを言って、ガラスケースの中にあるサンプルのショートケーキに釘付けになっている。
私は思わず「けえき?」と聞き返した。
声が裏返って頓狂な調子になってしまう。
「……ケーキって、特別なときに食べるものじゃないの?誕生日とか、クリスマスとか」
「えー、別にいつ食べてもいいんだよ?」
「……」
そんな風に答える鎌倉さんの姿を見て、そう言えば彼女の家は裕福だという噂を聞いたことがあったのを思い出した。いつ聞いたのだったか。確か教室内で、彼女のいないときに誰かが話していたのだったと思う。
――あいつの家金持ちだからさ、とか。
――親ガチャSSR、とか。
そういう会話がどこからか断片的に聞こえてきて、他人事ながら嫌な気分になったのを覚えている。
「よし、ここにしよー」
そう言って鎌倉さんはケーキの飾られていた赤い看板のお店に入っていこうとする。
ここにしよー、なんて気軽に言ってるけど、本当に食べるつもりなんだろうか。ケーキを。
だって別に特別なお祝い事があるわけでもないし、そもそも甘いものはそんなに好きじゃないし(いつも菓子パンを食べているのは、ただ単に安いからだ)、それに、彼女に奢ってもらう理由もないというのに。
「……」
どうしてこんなことになったんだろう、と思う。
今日はなんの変哲もない普通の放課後だったはずで、今ごろ私は家に帰って冷蔵庫を開けて、昨日残しておいた食パンに板チョコでも挟んで噛っていたはずなのに。
「どしたの?」
早く入ろうよ、と鎌倉さんは店の前で尻込みしている私のことを促してくる。
私はもう一度、彼女はどういうつもりで私のことを誘ったんだろう、と考えてみる。
「……」
私の悪い癖として、物事を卑屈な感じに考えてしまうというものがある(中学の担任の先生に『もうちょっと前向きになってみたらどうだ』というありがたいお墨付きをもらったこともある)。
そんな思考に基づいて考えるのであれば、お金持ちの鎌倉さんが、いつも百円ぽっちの(しかもそれに安売りのシールが貼られていることもある)菓子パンをボソボソと噛っている私のことを哀れんで食事に誘ってくれたとか、そうすることで自分が恵まれている立場にある、ということを実感したいのかな、とか。思い付いてしまう。
あとはやっぱり、ただ単にからかっているだけとか。
「……」
「夜野ちゃん?」
でもなあ、そういう感じでもないんだよなあ、とも思う。
目の前で首をかしげている鎌倉さんの様子はからは、なんというか、悪意を感じない。
物事を卑屈な感じに考えてしまう私は、その副作用として他人の悪意にも敏感なのだ。でもその敏感なはずのレーダーにちっとも反応がない。
放課後の校門で、帰ってしまおうとする私を呼び止めた彼女は本当に焦っているように見えたし、ここでお店を物色しているときの彼女は本当に楽しそうに見えたし、ショートケーキに釘付けになっている彼女の目は、本当にきらきらして見えた。
そして今、お店の前で尻込みしている私を見る彼女は、なんだかそわそわしている。その様子はまるで、私がやっぱり気を変えて帰ってしまうんじゃないかということを心配しているみたいで、それはつまり、鎌倉さんは本当に私と一緒に食事がしたいのだ――ということになる。
「……」
「あ、あの、やっぱり他のお店がよかった?」
「……いや」
ここでいいよ、と私は答える。
他のお店――暖簾の奥が見えないお寿司屋さんとか、分厚い牛肉の絵がでかでかと描かれているステーキハウスとか――に比べれば、まだカジュアルな雰囲気のあるこのお店の方が入りやすいと思ったし、そもそも奢ってもらう立場の私に選ぶ権利なんてないのだ。
と、そういう意味を込めた「ここでいいよ」という台詞だったけど、それでも鎌倉さんはあからさまにほっとして、あからさまに嬉しそうな顔を私に見せてきた。
「……」
やだなあ、
困るなあ、
だってこれではまるで、本当に、私が彼女に興味を持たれたり、ましてや好かれたり、しているみたいじゃない。
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