第18話 跪いて、触手を振れ その肆

 病院の地下にエレベーターで下りると、何もない通路の奥に重厚な扉が見える。

 エレベーターから生体反応承認システムが搭載されていて、鋼の触手で通過できたが融合者の結では反応が無かった。

 人間では階下に降りることすら不可能な作り。

 下りた先の廊下も分厚いアクリルの扉で幾度か仕切られており、その度に鋼の承認を必要とした。

 そして、ドアが開くたびにプシューッと気圧の変わる音。

 これは完全密封の状態にして同族でも侵入ができないようにするため。隙間が無ければ彼らはどんなに変形してもそこから出ることはできない。

「あんたたちが咎を被ることが無ければいいんだが……」

「今更でしょ」

 監視カメラがあるわけではないが、鋼の触手で承認をクリアしている以上言い逃れはできない。

 しかし、何故、鋼の触手で承認が通るのか?

 ここを陸を封じるつもりなら、鋼が一番最初にロックされるべきアカウントだろうに。

「鋼が承認されるのは矢野原の最後の温情かもね」

「あいつに?」

「本当に怒るとヤバいけど、ああ見えてもいい奴なんだよ」

 傷ついた鋼を見て、同族同士の戦いではここまでダメージを与えられるのかと驚いた。

 確かに同族同士の争いは死に直結するようなことになり、それだけの威力を持っている。

 矢野原が容赦なく処分しようと思えば、陸も篠宮も一溜りもなかっただろう。

 矢野原はここまでの状態になってもそれをしなかった。

「もちろん、自信もあるんだろうけどね。ここから逃げ出しても何とかできるって」

 最後の扉の前で結は立ち止まると、改めて後ろについていた篠宮の方を振り返って言った。

「それでも陸と一緒に居られるの?」

 厳しい表情。

 揺らぎ続けて、陸を振り回した篠宮。

 一度は陸を突き放した篠宮。

 結が篠宮を信用していないのはわかる。

 矢野原もそうだ。

 中途半端な気持ちで事態をここまでにしたのだから。

「ああ」

 篠宮は短く答える。

 言葉を尽くしても何も信じてはもらえない。

 今はもうするべきことをするだけなのだ。

「……遅いよ」

 軽いため息と呆れたような笑みを返し、結は鋼の触手を巻き付かせた手をセンサーにかざす。

 扉は何の呪文の必要もなく、ガチャンとロックの外れる音がした。


 窓のない地下の病室は予想に反して光に満ちていた。

 室内は白で統一され、壁と天井には照明パネルが並び、陽の光のように影も薄らぐほど明るく照らし尽している。

 部屋の中央には培養液の満たされた大きなアクリルの水槽。

 鋼のいた病室に比べて、生き物の生きる気配のない簡素で整えられた環境はどこか実験室のようなものを思わせた。

「陸……か?」

 一瞬、水族館で見るような艶やかな熱帯魚の水槽かと思った。

 培養液の中には赤く美しい揺らめきが踊り、いつまでも眺めていたいような気持ちにさせる。

『ご主人様……』

 篠宮が水槽に触れるとピリピリとした細かな振動と共に陸の声が響いた。

「お前、本当に人間じゃないんだな……」

 篠宮の口から出たのは今更な台詞。

 外装を脱いだ姿は幾度も見ていたのに、あの真珠色の白い姿はどこか仮のもののような気がして実感が無かった。

 何と言うか、人間ではない卵から生まれる何かの卵をずっと見ていたような気持ち。

 今、目の前に居るこの美しい揺らめきは生きている事を強く感じさせて、明らかに自分と違う生き物であることを感じさせる。

「色が変わったんだな……気がつかなかった」

 銃弾に倒れた陸は人間の外装を被ったままだった。被弾した傷跡も黒く穴が開いているだけだった。

「綺麗だ……」

 生きてる。陸が生きている。

 水中で赤く揺らめくこの生き物は確かに陸で、生きて手の届くところに居る。

 篠宮は腰の高さほどにある水槽の縁に手をかけると、躊躇いもせずそれを乗り越え培養液の中へ飛び込んだ。

「陸っ……」

 培養液の中で泳ぐ赤い触手を掴む。するりと抜けそうになるそれをぎゅっと抱きしめるように引き寄せた。

『ご主人様……』

 その腕に恐る恐る他の触手が触れる。

 その先で触れて、篠宮が拒まないのを確かめて、そっと添うように絡みつく。

『ごしゅじんさま……』

 ぎゅっと絡みつき、震える。

 触れている篠宮から今までにない感情を感じる。

 それは篠宮の奥にいつもチラチラと見えていたのに、決して陸の前に晒してはもらえなかったもの。

 陸が心から欲して、ずっと望んでいたもの。

「感動の再会はそこまでだよ。あんまり長くは居られないって鋼が言ってる」

 結の声にハッと我に返る。

「陸、怪我は大丈夫なのか?」

『大丈夫です』

 それを聞いて篠宮はぎゅっと目を閉じ、もう一度強く陸を抱きしめた。

「俺と来い」

 篠宮の言葉と同時にビリッと電気が走ったかのように陸が震える。

『はい』

 陸の返事に迷いはなかった。

 陸は素早く水槽から這い出すと、同じく水槽から出た篠宮の腰に触手を巻き付かせた。

『おれ、外装が無いんで姿を消してついて行きます』

 そう言ってから色が空気に散り消えるように不可視なレベルまで透明度を上げると、篠宮の腰に巻き付けている触手でぐっと抱き寄せた。

『見えなくても必ず側に居ます』

「わかった」

 篠宮は自分の腰に巻き付く触手をそっと撫でる。

 見えないけれど懐かしい感触。柔らかい生物の優しい温もり。

 幾度も感じたものだったのに、それを改めて感じた。それは篠宮の中に在ったものが変化した証だと実感する。

「出るよ」

 部屋を後にして、最後に結が扉を閉じた時に鍵がかかる音はしなかった。

 何もかも見透かされて、誰かの手のひらの上に居るような気がしたが、今はそれにこだわってチャンスを逃す場合ではない。

 ずっと陸が側に居るのを感じながら、篠宮は病院の出口へと急いだ。


「じゃ、これは俺からの餞別」

 病院前からタクシーを拾って、大きなターミナル駅まで結に送ってもらった。

 その別れ際に結が渡してきたのはコインロッカーのキーだった。

 キーについた小さなプレートを見ると、送ってくれた駅のすぐ側にあるロッカーのものらしかった。

「とりあえず、これを開けるか」

 小声で陸に話しかけると、腰に巻き付いた触手にきゅっと力が入る。

 感触だけなら存在感のあるベルトをしている程度なのに、どうしてかこれが陸だと思うと人前で肩を抱き寄せられているような気恥しさがある。

『ご主人様?』

 不思議そうに問う声が頭に響く。

「何でもない」

 篠宮はぶっきらぼうにそう答えると腰に巻き付く触手を再び握り締め、ロッカーの方へと歩きはじめた。

 駅の案内図などを見るまでもなく、目的のロッカーはすぐに見つかった。

 プレートにあるナンバーのロッカーを見ると超過料金が発生している。

 どうやら中身は何日か前に預けられたもののようだ。

 篠宮は不足分の小銭を投入するとロッカーを開けた。

 大型ロッカーの中にはアルミ製らしいアタッシュケースが入っていた。

 幅が50センチほどのケースはやや大きめだったが、持ち上げると思いのほか軽い。

 ケースの側面には養生テープでアタッシュの鍵が張り付けられていた。

 篠宮は鍵をはがしてポケットに入れると、ケースを取り出しロッカーから離れる。

 当面の隠れ家は事件の後すぐに用意してある。

 ホテル暮らしも考えたが、これからを考えると不特定多数の人間の目に触れるのは危険だと考え、人付き合いの希薄なセレブマンションの一室を確保した。

 そのマンションには指定暴力団の幹部クラスなども入っていて、セキュリティはしっかりしているが管理人は余計なことに口を挟まない賢さがあり、その分家賃も最高級クラスだが、運よく篠宮は金に困っているタイプではなかった。

 ただそこもあくまでも仮の住処だと思っている。

 今後の身の振り方によっては、そのマンションですら危険な場合もあり得る。

 陸を連れ出せた今、一刻も早く今の状態にけりをつけたい。

 すべてはそれからだ。


『おれの外装!』

 マンションの部屋に戻り、アタッシュケースを開けるとその中にはシリコンのような緩衝材に保護されて肌色の何かが折りたたまれていた。

『傷も治してある』

 触手は器用に折りたたまれた肌色を持ち上げる。

 もぞもぞと探るようにしていたのは僅かで、次の瞬間には風船でも膨らむようにするりと人の形の布が人間に変化した。

 篠宮より10センチほど高い目線、すらりと伸びた四肢は適度に筋肉がつき細く見えるが逞しい。そして、最初に篠宮の前に現れた時と変わらず人懐っこい笑みの顔、変わったのは茶髪だった髪の色は濃い色に変わり光の加減で真紅にも見える。瞳も同じく普通にしていれば黒いが、ふとした加減で赤く見える。

「おれに色が出た時に、外装と融合しちゃったんです」

 陸たちの外装は特殊な素材で作られており一部生体素材も使われている。

 そういう変化する部分に陸の組織が反応して変色してしまったようだ。

「本当はもっと子供の頃に色が出るから、大人の外装に変わる時に色を調整したりするんですけどね」

「髪を染めたりできるのか?」

「できますよ。放って置けば伸びもします。美容院でカットした時に残した髪を調べられると困るので、髪は人間の髪と同じ組織で合成成長するように出来てるんです」

「聞けば聞くほどSFみたいな話だな」

 篠宮が陸の髪に触れながらそう言うと、陸は少し拗ねたように唇を尖らせ、前に立っている篠宮の肩を抱き寄せた。

「フィクションじゃないです。おれは、ここに居て、本物です」

「……そうだな」

 陸に抱き寄せられても篠宮はもう拒みはしない。

 篠宮の覚悟は決まっている。

「俺はもう逃げない。お前の側に一緒に居る」

 その言葉に陸は体を竦ませた。

 自分より大きな男なのに随分と頼りない気配がする。

「それは、俺がご主人様の所為で怪我をしたからですか?」

 その責任を感じて、責任感で陸に自分を投げ出そうというのだろうか?

「過去の傷が癒えた代わりに、新しい罪悪感の為に俺を選ぶんですか?」

 陸が一番恐れている事は、篠宮が新たな逃げ先として陸という枷を選ぶことだった。

 それでは何も変わらない。

 枷に囚われている限り、篠宮はまたいつか疲れ果て、今度は陸も出し抜いて、一人で手の届かないところに行ってしまうかもしれない。

 そうなってしまってはすべてが無駄になってしまう。

「……陸、俺はお前が俺を解放してくれたのを知っているよ」

「ご主人様?」

「俺はあの銃で自分を殺すつもりだった。だが、撃ったのは大島だった。いや、大島だけじゃない。大島の撃った沙英子も親父も俺がお前に引き金を引かせたんだ」

「ご主人様っ!」

 陸の声が悲鳴のように聞こえる。

 実際、叫び出す寸前をぐっと堪えた。

「射撃訓練も受けてない人間が、あんなに簡単に眉間や胸を撃ち抜けない。まぐれでも奇跡的だ。実際に俺も引き金を引いているが、冷静になれば最初の4発が現実だよ。最後の一撃は奇跡だった」

 篠宮は言外に何もかも知っているのだと匂わせた。

「……ごめんなさい」

「何故、謝る?」

「おれが全て殺したんです。おれが照準を合わせて身体を支えて引き金を引かせた」

「大島は銃を取った時から沙英子と親父を殺すつもりだった」

「それでもっ! ……おれが支えなければ弾は外れ、命は助かった。それに、引き金を引かせずに銃を取り上げることもおれにはできた」

「でも、お前はそれをしなかった」

 人間の顔の陸が目の前で俯いている。

 肩を震わせて、髪に隠れて見えない顔からはぽたぽたと雫が落ちている。

 篠宮はよくできた外装だなと思う。

 でも、触手の陸は涙は流さないが、よくこうして震えていた。

 嬉しい時も、悲しい時も、篠宮に縋りついて震えていた。

「おれは、ご主人様の側に居たい。どんな手を使っても、どんなことでも」

「それだけお前が俺を望んだってことだよな」

 篠宮は陸の肩を抱くと、自分の方へと引き寄せた。

 濡れた頬がふれあい、篠宮は陸の肩に額をつける。

「俺はお前を前にして迷うばかりだった。どんなに好意を示されても、どんなに望まれても、その根幹を信じられずに、手にすることで再び失う恐怖からお前から逃げた」

 篠宮の傷は失った事。

 大島に陥れられて、それまでの何もかもを奪われた。

 その恐ろしさは篠宮を深く苛んだ。手に入れて築き上げても、一瞬で転覆する世界の危うさ。

 しかもそれは事実に基づく必要すらない。悪意の一辺が何もかもを奪い尽くす。

 そんな恐怖に疲れ切った篠宮に、再び希望を与えたのは陸だ。

 篠宮の手はしっかりと陸の背に回され、指先すら離れるのが惜しいをぎゅっと力を入れて抱きしめる。

 陸が篠宮を求めてその触手で身体を拘束してくる時のように。

「お前はその迷いを払拭する為に、俺の手を引いて泥の底へ堕ちてくれた。確かに本当の救済とか綺麗ごとを言ったら、お前がしたことは真逆のことかもしれない。でも、それでもいいんだ。お前が俺を強く望んで、どこにも逃げられないところへ一緒に来てくれた。お前が俺を逃がさないだけじゃない。俺もお前を逃がさないところまで」

 篠宮を切り捨てた世界に背を向け、その理から外れたとしても、二人一緒にあるために陸はひとの手が届かないところまで篠宮を連れて堕ちた。

 俯いたままの陸の耳朶に篠宮の唇が触れる。

 食むようにすると陸の身体がビクンと震えた。

 わかりやすい陸。嘘のつけない陸。憐れで可愛い陸。

 たっぷりと毒を含んで甘い囁きを篠宮は流し込んだ。

「お前は犬か?」

「おれは……ご主人様の犬です」

「犬は飼い主を裏切らないな?」

「ご主人様が、飼い主の責任を果たしてくれる限り」

 その陸の言い草に、篠宮の唇に笑みが浮かぶ。

 盲目の忠誠ではなく、対価の忠誠。

 それは望むだけ与えれば、決して側を離れないという事。

 不安定な見えないものに縋らずとも、そこに在るものを捕まえ続ければいいという事。

「いい子だ、陸」

 篠宮はゆっくりと身体を離して、待てというように陸の顔の前に手のひらをかざした。

 陸は促されるまま大人しくその場に立つ。

 外装を装着して全裸のままであることも気にせず、信頼する主人の前で自分の忠誠を見せるために。

「そこで跪いて、俺に誓え」

「はい。ご主人様」

「俺と共に更なる底へ堕ちても悔いはないか?」

 さらに酷いところへ行くとしても後悔はないか?

 その問いに陸は瞳を輝かせて答えた。

「おれは必ずご主人様と一緒に!」

 陸の返事に満足そうな笑みを見せた途端、篠宮は陸の腕と触手に一斉に抱きしめられたのだった。



―― 続

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