第17話 跪いて、触手を振れ その参

「やってくれたね」

 矢野原が大きな水槽に向かって、苦々しく呟いた。

 水槽には何本もの管やケーブルが繋がれ、中にはと金魚の鰭のように美しく赤いものが揺らめいている。

 人間の外装を脱いだ陸の本体だ。

 ここは矢野原たちが傷ついたときに治療を受けることができる病院だった。

 医師は人間社会できちんと資格を有した上で、同族の者たちも診ることができる者たちで構成されている。もちろん看護師も同族の者かそれに連なる者たちばかりだった。

 表向きは人間も診るが、施設の一部では一族の治療を行う。

 もっとも彼らは殆ど怪我や病気をすることはないので、人間相手の方が多いのだが。

 陸も銃弾を受けて外装は破損したものの、大した怪我ではなかった。

 本来なら上手くやれば傷つくことすら無いのだが、敢えて陸は弾を受けた。

『ご主人様は?』

「鋼の病室に居る」

 陸より、陸に攻撃された鋼の方が余程怪我は酷かった。

 同族を傷つけられるのは同族だけ。陸は本気で鋼を排除する為に鋼を襲っていた。

「結が居て助かったな。同族殺しの汚名は免れた」

 鋼と融合の進んだ結がいたおかげで、鋼の怪我は比較的良好な回復を見せている。

 滅多に怪我などが無いため、パートナーとの組織適合などの状態を医者たちがこぞって観察に来ているくらいだ。

「だが、同族殺しは免れても、しばらくここに居てもらうからな」

 今、人間社会では大手企業のスキャンダル殺人で話題は持ちきりになっている。

 クリーンなイメージで財界でも著名だった企業社長とその娘と関連会社社長が殺されるという事件を発端に、次々とスキャンダルが明らかになってきたのだ。

 横領、収賄、情報偽装や海外での違法操業など、あらゆる違法行為の状況とその証拠がマスコミ各社に送りつけられた。表沙汰になっているのはマスコミのみだが、警察、税務、各省庁などの動きの素早さを見ても、彼らのところにも同じものが送りつけられているだろうことは明らかだった。

 情報メールの差出人は殺された大島孝明。検分の結果、実の娘と関連会社社長を殺害したのは大島だとされている。しかし、大島は実の娘たちを殺した後、誰かに殺されている。大島を殺した犯人は大島のデスクから情報を送信した後に逃走、いまだ行方不明のままだ。

 ビル内の監視カメラは全て壊されており、社長室への案内をしていた秘書は侵入した男に襲われ頭部に損傷を負ったため事件当時の記憶を失っている。

 頭の傷はもちろんカモフラージュで、陸が組織の一部を秘書の体内に侵入させ、記憶を操作したために情報を失ったのだ。

「全部、陸が仕組んだことか?」

 大島の会社のスキャンダルを作り上げ、その証拠を捏造した。

 その結果、会社は解体に追い込まれるほどの損失を受け、近い内に大島の会社も四之宮の会社も他企業へ吸収されることだろう。

『ご主人様の犠牲の上に成り立ってたのを返してもらっただけです』

 陸は悪びれることなく言う。

 陸にとって大島の会社も四之宮の会社も篠宮という犠牲の上に立っている城だった。

 篠宮をそこから解放するためには何もかもすべてを破壊する必要があった。

 跡形も残さないほどに。

「……射撃素人の大島が、至近距離とは言え一撃ずつで二人も殺せたな」

『……』

「篠宮の撃った弾は5発、その内3発は外れていて、1発が腹をかすり、最後の1発が眉間を抜いていた。致命傷はその最後の一撃だ」

 矢野原は警察発表の資料を見た時にすぐに違和感に気づいた。

 致命傷が的確過ぎる。

 沙英子は頭、篠宮は胸に被弾してほぼ即死だった。

 大島も当然慌てて逃げようとしただろう。弾は殆ど外れ、最後の一撃で止めを刺されている。

「射撃訓練も受けていない人間では銃弾の発射された時の衝撃で体勢を崩す。射撃にはそれに見合った姿勢があり、それができるのはきちんとレクチャーを受けた人間だ。篠宮は途中チンピラから弾と銃を受け取っていてそれまで射撃訓練を受けた痕跡はない」

『ご主人様は自殺するつもりだった。訓練もせずに銃で間違いなく殺すことができる唯一の人間は自分だ。自分は逃げないし、口に咥えて銃口を引けば頭を確実に撃ち抜ける』

 陸はゆらりと体を起こす。

 培養液の中から赤い触手が手を伸ばすように伸び上がる。

『大島に銃を拾わせ、1発でも撃たせればご主人様はそれで良かった。銃を大島に渡したとき、ご主人様は自分が撃たれることを覚悟していた。撃たれて油断させて銃を取り戻し、その銃で自殺する。大島の元に硝煙反応のついた手と指紋のついた銃が残ればそれでいい。銃の入手に関してはご主人様ではなく、大島が手に入れたことになっている』

 黙って陸を見ている矢野原の方へ触手が伸びる。

 濡れた触手は陽の光に透けて美しい。

「素人が銃を的確に撃つことが難しくても、優秀なサポート装置があれば別だ。瞬時に状況と体勢を判断し、全身の筋肉を支え、照準を合わせて固定する。それを目に見えず、当人にも気がつかれずに行う」

『おれなら、それが可能だ』

「引き金を引いたのは本人だが……」

 赤い触手がゆるゆると矢野原の首にかかる。

 ヒヤリとした冷たい感触が、矢野原の顔を歪ませる。

『おれが撃たれれば、ご主人様は引き金を引く』

 ほんの少し力を入れて、一度、大島を撃てば後はすべて繋がって行く。

 弾が外れ、死なない大島を見て、篠宮はより激しく激昂したことだろう。

 そのくらい、陸が大事に思われている自身はあった。

 だから、陸は撃たれた。

 抵抗せず銃弾を受け傷ついた。

「お前のように危険な存在を、外に出すわけにはいかない」

 矢野原は首にかかる触手をぐっと強く掴むと言った。

「篠宮にも合わせるわけにはいかない。お前は彼を殺人者にしたんだ」

『そのことをご主人様に言うつもり?』

 ジュウゥと何かが焼けるような音。

 陸の触手を掴んだ矢野原の手がじんわりと焦げて行く。

 外装が剥け、中の触手へも浸食するように。

「それを篠宮に告げれば、彼はもっと苦しむだろう。自分が殺人者に仕立て上げられたよりもっと」

 手の先を失った矢野原は掴んでいた陸の触手を水槽の中へと投げ捨てた。

 ぼちゃんと中に落ちた触手は力なく水中で揺れている。

「篠宮の為にここまで落ちたお前を知れば、篠宮はここまで落とした自分を許せまいよ」

 矢野原はそれだけ告げると病室から立ち去った。

 ドアを出るとすぐにガチャンと鍵のかかる音がする。

 閉じ込められなくとも陸は外装もない今、この病室から出るつもりはなかったが、最後に見たのが篠宮の泣き顔だったことだけが残念でならなかった。


「陸に会わせろ」

 矢野原は特殊病棟から出ようとして、そのエントランスで篠宮に捕まった。

「面会謝絶だ」

「じゃあ、いつになったら面会できる?」

「わからない。それを決めるのは僕じゃない」

「それを決める奴のところへ連れていけ」

「キミは関係者じゃない」

 矢野原は篠宮の手を振り払う。

「キミは陸を解雇したと聞いている。その所為で陸は相当勝手なことをしてくれたが、それに関してはこっちの問題だ。これ以上、話をややこしくしないためにも陸にはかかわらないでもらえないか?」

「……」

「今回は本当に危ない橋だったんだ。人間が死ぬのは知った事じゃないが、騒ぎが大きくなって僕たちが回収に駆けつける前に陸が人間の手に落ちていたらどうなっていた? 怪我を負った鋼が回収に駆けつけたから間に合ったものの、間に合わなければ陸は警察に引き取られ、病院に運ばれ人間ではないことがばれていただろう。陸がきっかけで、再び魔女狩りの時代が来るわけだ」

 矢野原は篠宮の襟をつかむ。

「僕は警告したはずだ。中途半端な態度で近づくなと。それがこの結果だ。二度と我々に近付くな。キミが人間であっても僕は容赦しない」

 そう言って、突き飛ばすようにして手を離す。

 矢野原は陸にも篠宮にも腹を立てていた。

 彼らは同族を脅かすに十分なことをやらかしている。

 陸が自ら弾丸に身を晒し負傷した後、鋼が怪我をおしても救出に行かなければシナリオは最悪の方向に進んでいた。

 陸1人で済む問題ではない。

 陸という確かな異形の生体が人間の手に渡れば、人間はもっと仲間がいることを突き止めるだろう。人間に擬態した異形を駆り出すために、沢山の人間を犠牲にしたとしても。

 それは同族とそれに連なる者たちの平穏な生活の破壊だ。

 鋼が良い見本だ。

 彼は人間のコミュニティの中で暮らすために仕事を得て、人間との関係もある程度築いている。正体を知るのは皆善良でそれを受け入れてくれる者たちばかりだ。

 陸と直接関係があるわけでもなく、完全に巻き込まれて大怪我まで負った。

 その大怪我のおかげで今回は事なきを得たが、それが無ければ人間と良好な関係を保って生きているにも関わらず、人間に捉えられ、異形として人に捕まっただろう。抵抗はできるが、抵抗したところで逃げ場はない。人間のパートナーが逃げ切れず捕まれば、どんなに超人的な力を持った鋼でもそこが最後なのだから。

 陸の犯した罪は重い。

 その危険な思想を矯正することは難しいと判断され、彼は怪我が治り次第凍結される。

 そして、危険思想のキーである篠宮がその寿命を終えた後に、彼は解放される事になる。

 冷静になるためにも隔絶と時間は必要だ。

「二度と会うことが無い事を祈るよ」

 返す言葉もなく立ち尽くす篠宮を置いて、今度こそ矢野原は病院を出て行った。

「篠宮さん……」

 矢野原と入れ替わりで、篠宮に声をかけて来たのは結だった。

 鋼が負傷してからずっと病院に詰めて、鋼の治療のために組織提供を行っている。

 そして、時間さえあればずっと鋼に付き添い、その体に触れ、活性を促していた。

 さっき、篠宮が病室へ行った時も、培養液の水槽に寄り添いずっとその手を青い触手に絡めていた。

 穏やかな慈しみと深い絆をその姿を見ているだけでも感じた。

 その姿を思い出し、巻き込んでしまった申し訳なさも蘇り、篠宮は深く頭を下げた。

 謝って済むことではないが、そうせずにはいられなかった。自分がしたことで何の罪のない人間を傷つけた事実は重い。

「陸には会えた?」

 篠宮は黙って肯く。

「じゃあ、このまま帰る?」

 結の質問に肯くべきだと篠宮にもわかっている。

 矢野原の言う通り、もう二度と関わらないことが彼らの為なのだろう。

 だが、それでは何も解決しない。

 これだけの人間を巻き込んで、これだけの犠牲を出して、叶ったのは篠宮の願いだけだ。

 そんな終わり方では終わらせられない。

「陸を置いては帰れん」

「陸に会いたい?」

「どんな手を使っても」

 今日会えなくても、どんなに時間がかかっても陸に会って、陸の願いを叶えてやらなくてはならない。

「ここという情報を得た以上、俺は陸を追い続ける」

 たとえ陸がどんな拘束を受けていても必ず会って話をするつもりだった。

「じゃあ、俺と鋼はあなたに脅されたってことで」

「え?」

 結がすっと手を伸ばすと袖の中からしゅるっと青い触手が伸びた。

「その触手は……」

「俺と一緒だと切り捨てなくて済むんでね」

 青い触手は指先に絡み、蛇のように首を擡げている。

「じゃあ、病室へ行こう」

「いいのか?」

 結の申し出は有難いが、これ以上彼らを巻き込む事は出来ない。

 しかし、この機を逃したら、次いつ陸に会えるかもわからない。

「今を逃したら、陸は凍結されて隔離される。どんなに望んでも会えなくなるよ」

「っ!」

「……鋼に言われたんだ。この人だと決めた人と引き離される事ほど辛い事はないんだって」

 結は鋼に出会った時に、結を守るために死を決意していた鋼の事を思い出していた。

 この超越した能力を持つ触手たちが死ぬときは3つだけ。

 同族同士で殺し合った時と寿命が来て命尽きる時と自分が決めて死ぬとき。

 心が死を決意した時、それはただ思うだけではなく、組織の生存活動を止め、死へとつながる。

 パートナーと引き離される辛さは耐え難いもので、殆どの個体が死を望む。

 だから陸も篠宮から引き離されたら、凍結という処置で死を強制的に回避するのだ。

「こんなスーパー宇宙人なのに、死のうと思うだけで死んじゃうんだよね」

 結は指先に絡む触手にそっと頬擦りをした。

「もう、陸を捨てたりしないでよね」

「ああ」

 結の言葉に眼の奥が痛くなる。

 陸の元へ行って、やらなくてはならないことがある。

 陸の願いを叶えるために。



―― 続

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