第4章

2008/04/03 15:50 桜花ホテルパーティー会場


 「糸瀬さん、凩さん。」


 悠は、その2人に話しかけた。


 「悠、こっちに居ていいの?」


 「はい、お祖父様にそう言われました。」


 緋彩の問に応える悠の顔は冴えない。


 「なにがあった?」


 「…いえ、なんか。わからないけど、お祖父様と話したのが最後になる気がして…。」


 2人は動揺した。


 「これ、見てください。」


 悠は俊蔵に渡された紙を糸瀬に渡した。


 「…ごめん、ひいちゃんお願いしていい?」


 「はい、『悠へ。いい人たちと出会えたようでよかった。これで安心できる。すぐに彼らの元へ行きなさい。そして、このパーティーが終わったら、金庫に預けてあるものを受け取りなさい。金庫の場所と暗証番号は以下の通り、その中のものは全て悠のものだ。達者で。瀬川俊蔵。』」


 緋彩は周りに聞こえないように小さな声で読み上げた。


 「読む前から、そんな気はしていました。でも…。」


 その先は言葉にならなかった。


 「最初から、そのつもりだったのでしょうか。」


 緋彩はポツリとこぼして、糸瀬を見上げた。


 糸瀬は膝をかがめて、悠と目線を合わせた。


 「ゆうくん、読み上げてしまったことを詫びます。すみません。周りには聞こえないように、口元も気をつけましたが、不快だったならお詫びします。だからひとつ、僕のことを聞いてくれますか?」


 悠は静かに頷いた。


 「…僕はね、視力がないんです。先ほども、何回かひいちゃんに文字を読み上げてもらいました。文字が読めないからです。生まれつきね、だから人の美醜も、桜の色も、光の眩しさも、なにもわからないんです。」


 悠は驚いたように目を見開いた。


 「僕は生まれつき、みんなが持っているような視力を持たなかった。でも、代わりに別の眼をもらっていたんです。だから、ある一定年齢になるまで視力がないことは気づかれなかったし、今も言わなければ気づかれません。ひいちゃんがついていてくれるから、困ることも少ないですし。」


 緋彩は照れたように頬をかいた。


 「秘密は交換するもの、そうでなければフェアじゃないでしょう?」


 糸瀬はニコッと笑った。


 「ある人は言うんだよ、人生はプラマイゼロで出来てるんだって。才能を与えられれば、その分だけ何かが奪われる。そうやって出来てるんだって。どんなものにもプラスとマイナスの側面がある、表裏一体ってやつだ。だからね、ゆうくんがなにかに苦手意識を持っていたとしても、なにかが苦手でもそれでいいんだ。ゆうくんは他の人にはない才能を持ってる。無理なときは誰かに助けて貰えばいいんだよ。人間、というか世界は1人じゃ成り立たないからね。」


 言葉がすとんと胸に落ちた。


 「……うん。」


 胸が温かくなる、優しい気持ちになる。

 こんな気持ちを感じたのは祖父以来だ。


 悠は嬉しくなった。



 緋彩は腕時計を見て、ステージを見た。


 「…そろそろね。まぁ、仕事はもう始まってたけど。」

 

 開演前のブザーが鳴る。

 会場は暗くなり、ステージだけがライトで照らされる。


 視線誘導、人々の意識はステージに吸い寄せられた。


 (こういうときこそ、他で何かが起きてる。私じゃ暗くて見えないけど…和馬さんなら)


 糸瀬に周辺を任せて、緋彩はステージ上に集中した。


 「会場にお集まりの皆様、本日は我が社のパーティーにご足労いただきありがとうございます。お時間になりましたので、プログラムを始めさせていただきます。本日進行役を務める、桜花ホテルの白川と申します。」


 ステージ横で静かに一礼した。


 「まず初めに、当グループの社長である瀬川俊蔵よりご挨拶申し上げます。」


 進行役はもう一度一礼してから後ろへ下がった。


 壇上には1本のマイク。

 赤と白のリボンで花が造られ、両サイドには大きな花瓶に芸術的な花が飾られた。


 悠の祖父、瀬川俊蔵が壇上へ上がる。


 騒がしかった周囲がシンと静寂に包まれる。


 「本日はお集まりいただきありがとうございます。瀬川グループ社長の瀬川俊蔵と申します。」


 静かにはしているのだろうが、それでも明るいシャッターとその音は途切れることはない。


 「事前に通達しておりましたとおり、本日は次期社長を発表したく存じます。そして、本日より瀬川グループの社長として、グループを引っ張っていってもらいたいと思っております。私も還暦を迎えました。次世代にバトンを手渡し、新たなグループをぜひともみたいと思っております。従って、私は会長職などに就くつもりはございません。」


 その内容に会場がざわめく。


 「では発表いたします。」


 ゴクリと会場にいる誰もが唾を飲んだだろう。


 緋彩がチラリと隣を見ると、悠は泣きそうな顔をしていた。

 なにかを感じているのだろう。

 論理や根拠に基づき行動することは大事だが、直感も馬鹿に出来ない。


 「瀬川義博ー」


 俊蔵は次期後継者の名前を言い終えた瞬間に糸が切れたように崩れ落ちた。


 緋彩と糸瀬はすぐに駆け出し、壇上に飛び乗った。


 そして、数秒遅れてから悲鳴がその場を支配した。


♦︎♢♦︎


 緋彩と糸瀬以外の人は即座に動くことができなかった。


 否、彼ら以外にも動いた人はいた。

 龍崎美琴だ。


 龍崎は崩れ落ちた瞬間に自分の式(術を遣って自由に操ることができるもの)を飛ばして、記者たちのカメラを止めた。そのうち幾つかはコードを切ったが、次期後継者に関する証拠映像が消えないように配慮し、いくつかは撮影を止めるにとどめた。


♦︎♢♦︎



 「和馬さん、なにか見えました?」


 駆け、壇上に跳び乗りながら緋彩は問う。


 「何も…。外から物理的な影響は皆無だった。断言していい。」

 

 緋彩は頷いていつから持っていたのか、道具が入ったエスニックな模様の入ったおしゃれなアタッシュケースを壇上で開いた。


 意思の確認、呼吸、脈、全てを確認してから死亡を判定する。


 外的要因がないとするのであれば、あと疑うべきは毒などである。

 緋彩は医者だ。

 検死など大したことではなく、よくある仕事のひとつである。


 「末期の病気の線は一旦排除で検証してみる。」


 緋彩は念の為、アタッシュケースから腕輪を取り出して装着した。


 (能力発動させたら塵になっちゃうしね。)


 手袋をつけて、試験管を準備していると、隣で和馬がスタッフに説明をしていた。


 「ひいちゃんも僕も雇われた警備員なんです。で、ひいちゃんはお医者さんで…」


 「はぁ?女だし若すぎるだろ!!医学部は6年、早くても24歳以上だろ?」


 「でも、本当ですし…。あ、そうだ。疑われたらこれを見せろって社長に言われていたんだったね…。」


 緋彩は流し聞きしながら、大丈夫だと確信した。


 そして、もう一度遺体を診て驚いた。


 「嘘…」


 驚きのあまり、もう一度手首に腕輪がついていることを確認した。


 (大丈夫よね…、というか私はまだ一度も触れてないし。)


 なら、理由は別のところにある。


 ーーあまりに遺体の腐食が速すぎる。


 このままでは5分と経たないうちに半年後の状態になってしまう。

 腐臭も半端じゃないだろう。


 (…不気味なんだけど、それは今なすべきことじゃないわね。)


 理由なんて考えている場合じゃないと、作業を最速で進めていく。


 普通、検死の中でも薬品の反応を待つようなものは時間がかかる。


 しかし、そんな常識が通用しない、それこそ緋彩であった。


 (とにかく、短縮!!)


 必要なサンプルを取り終えた後は、腕輪を外して、作業を短縮していく。



 「『いたいのいたいのとんでいけ』」


 試験官にサンプルと試薬を入れてから、小さな声でそう唱えた。


 すると、ありえない速さで反応が進んで、1秒とかからずに結果が現れた。


 (やっぱりね…。半年前の毒で間違いない。)


♦︎♢♦︎


 緋彩もまた異能力者だった。


 緋彩は能力が見込まれて医者としての修行をつみ、警護社にいる。

 そして、能力で怪我人を瞬時に治していくー。


 従って、治癒能力者と思われがちだ。


 しかし、本来の能力は『触れたものの時間の流れを早める』こと。


 対象範囲が生物に限らないのに加えて、モノによっては病状を悪化させる。ものだって劣化させる。


♦︎♢♦︎


 異能力を封じる腕輪が手放せなかった彼女も、異能力の制御を覚えた今は『いたいのいたいのとんでいけ』という自分の中の引き金トリガーを引かなければ発動しないようにしている。



 瞬間、緋彩は鳥肌がたった。


 肌が泡立つ、悪寒。


 なにか重大なことを見落としてないかー?



 《あはははっ!!》



 幼い少女のような声が聞こえた気がした。



 (…こういうのって私に関わりないと思ってたけど。偶然、波長があったのかそれとも…)


 ーそれほど強大なものなのか。



 桜の香が吹き抜けた。


 《ー契約完了。約束は果たしたよ?》



 俊蔵の遺体が一瞬で塵となり、巻き上がって、人の形になった。


 桜色の長い髪に小さな白い着物、桜の花びらが瞳に浮かぶ幼い少女。


 《はははっ!またねっ!》


 強烈な花の香りが鼻をくすぐる。



 突如としてそこから消えた。



♦︎♢♦︎



 緋彩も流石に呆然としてしまった。


 (あまりに専門外よ。そうだと分かっていれば私や和馬さんじゃなくて、別の人を担当に…。)



 「一度撤退だ。」


 糸瀬の声に即座に応じて、壇上を跳び退いた。


 「悠は?」


 「連れていく。あいつしか分からないこともあるだろう。それに…」


 家族のことくらい知っておきたいだろうと、言った気がした。



 後から考えれば、視野狭窄だったことは明らかだ。

 しかし、そのときは何故か見えなかった。

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