第12話
「お隣さんに布団あればいいんだけど……」
このアパートは一階と二階含めて部屋が六つしか無いのだ。俺の部屋を除いて五部屋。隣は確か……女の人が住んでいたよな?名前は#明智__あけち__#さんだっけか……あんまり話したことが無いし挨拶すらもまともにしていなかった記憶がある。
俺は隣の部屋の前に立ちドアノブを捻る。この一週間で隣には明らかに人の気配がしていなかったため遠慮なくドアを開けようとする。簡単にドアは開く、逃げた後か又は……
「まぁそうだわな……」
俺の目の前には一人の人間が立っていた。その姿は俺が知っているお隣の明智さんであった。
その明智さんは壁際で立ち尽くしたまま天井を見ていた。俺が部屋に入ってきたのに俺に気付く素振りを見せない、つまりは人間の体をした虚ろの状態、完全にゾンビであった。
「鍵が開いている状態で部屋に入られたか……」
鍵が閉まっていないのはそういうことだろう。そして外に出ることも無くずっと天井を眺める。
(うろつかないゾンビもいるんだな……)
ゾンビはうろつく習性があると思っていただけにこれは意外だった。呻き声も出していないためこれはこれで暗い所に潜んでいたら危険だと思った。
「ねぇ聞き忘れて……」
後ろから奏の声がして俺は反射的に声を挙げる。
「バカ!来るな!」
「え?」
「ヴォォォォ!」
人間の声を聞き取り俺の目の前にいたゾンビは真っ先に獲物に飛びつこうとする。俺は咄嗟にそのゾンビの首を両腕で巻き付けるように拘束する。しかしそれでも獲物が目の前にいるためにその勢いは収まらない。
「ご、ごめんなさいまさかいると思わなくて……」
俺は奏の迂闊な行動に怒りが込み上げたが、部屋の中に居ろと俺が言ったわけではないし勝手に部屋から出ていいというニュアンスの発言もしていたため、俺にも悪い所があったのだ。
だから俺は怒りをグッと抑え込むことにした。
(長らく人と話していなかったから忘れていたけど、言わなくても伝わる訳ないよな)
俺はしっかりと反省し、ベランダの窓を開けてはそこにゾンビを蹴りで突き飛ばして窓を閉める。
ゾンビは外から窓を叩くだけでこちらのテリトリーに侵入することは出来なかった。
そして先生に怒られた生徒のように俯きながら落ち込んでいる奏に声を掛ける。
「落ち込むな、別に奏は悪くない。ゾンビの呻き声も聞こえなかったし仕方ない部分はある」
「……怒らないの?」
「俺も悪いしな。まぁ反省すべき点は外ではもう少し警戒心を持てってとこだな」
「……分かった、気を付ける」
「そうしろ」
(随分と素直だな。段々と扱いやすくなってて最初会った時とはまるで別人だな)
「そういえば何か用あったんだろ?」
「え、ええ。貴方のことを何て呼ぼうか迷っていて……」
そんなことのために俺を探しに来たのか。確かに俺は奏の名前を知っているのに、奏は俺の名前を知らないなんておかしな関係だよな。
しかし……果たして名前を言う必要があるのかを疑問に思う。別に「貴方」で十分だと思った。
「貴方のままでいいだろそんなの」
「嫌よ不公平じゃない私だけ名前を知られているなんて」
「いやそうなんだけどな……短い付き合いだしな」
実はただ単に名前で呼ばれることに抵抗感があったからだ。人の名前は簡単に呼べるのに人に名前を呼ばれるのは妙な抵抗があった。
それは俺が友人作りに失敗していた時の話が原因である。
俺が友達と思っていた奴を名前で呼んでいたのに、相手は俺の名前を忘れていたのだ。
それで気付く、友人だと思っていたのは俺だけだったのだと。それからかな、自分の名前をあまり言わなくなったのは。
……朝美さんだっけか?ちゃんと名前を言ったのは、でもあれは俺の名前を知ってもらう必要性があったからだ。
名前を知られるのはそこまで抵抗は無い、しかし名前を呼ばれていていつしか忘れられるのが嫌なのだ。
だから名前を教えない。たとえ教えたとしてもそれは呼ばせない条件でだ。
「いいから教えなさい」
「はぁ……いいけど名前で呼ぶなよ俺のこと。名前で呼べって言われたから俺は奏って呼んでいるだけで俺は呼ばれたくはない。慣れ合うつもりはないんだ、分かったか?」
「何か面倒くさいわね、まぁいいけど……」
面倒くさいか……俺も実際めっちゃそう思う。けど名前で呼ばれてしまうと期待しちまうんだよな……また名前で呼ばれることに。
大学生にもなって俺は一体何を考えているのだろうか……。
「黒藤冬夜だ、二度は言わねーぞ」
「冬夜ね」
「は?」
「ん?」
俺はあまりに自然とその二文字を口にされて困惑する。今なんて言ったんだこいつは……?まさか名前で呼ばなかったか?
いやいやまさかそんな訳無いか……。
俺の聞き間違い……
「じゃあ冬夜、私部屋戻っているから」
「おおいっ!?」
俺は聞き間違いで無かったことを確信し、やや大きな声で呼び止める。
「何ようるさいわね。どうかしたの冬夜?」
「いや……どうかしたのかって、名前で呼ぶなって……」
「名前?冬夜のこと?黒藤の方が良かった?」
「いやどっちも良くねぇよ!名前で呼ばない条件だったよな!?」
俺は絶対わざととぼけているといると思い、理由を問い詰める。
「そんなの嘘に決まってるじゃない」
「嘘だと……?」
「貴方が妙に名前で呼ばれるのを嫌がってたからつい」
「ついってお前……」
全然反省する気ねーじゃねーか。さっきまでの態度はどこ行ったんだよ?しかも女王様がM男を苛めている時のような悪い笑みを浮かべやがって……こいつにそんな素質があったとはな……。
「冬夜可愛いわね」
「は?どこがだよ?」
「だってちょっと嬉しそうなんだもん」
「……そんな訳無いだろ」
俺は名前を忘れられることに若干のトラウマがあるんだ。だから名前で呼ばれて嬉しい訳が……
「本当はね最初名前を呼んだ時に機嫌悪くしていたらすぐに止めて謝ろうかと思ってたの。でも機嫌を悪くするどころか頬を赤く染めて嬉しそうにしていたから」
「まじかよ……」
「まじまじ」
俺は奏が嘘をついていないと直感でそう感じた。まぁさっきは普通に嘘つかれて裏切られたんだけど……これはなんとなく本当な気がした。
それに俺も確かに嬉しいと思った節がある。俺は忘れられるのが怖いだけで、名前で呼ばれること自体は嫌では無いのだ。
それでもあれ以来呼ばせることが無かったため忘れていたのだ。だから久しぶりに呼ばれて嬉しかった。
しかしまた名前を忘れられる恐れもあった。
(忘れられる前に別れたらいいか……)
呼ばれたものは仕方ない、そう思うことにした。
「あ、冬夜って漢字は何て書くの?」
「冬に夜だけど……」
「冬に夜ね……私好きよ冬夜の名前」
「!?……そんなんで好きになるなんて案外チョロいのか?」
俺は名前を好きと言われて、照れを隠すために少しやり返そうとする。名前を呼ばれるのが久方ぶりすぎて破壊力が強すぎるな……。
「名前が好きなだけよ、貴方のことは好きだなんて思っていないわ」
「はっ、俺が嫌われてるなんて知ってるよそんなことは」
俺らはただ互いに利用し合うためだけの関係だからな。そう思っていると奏が小さく何かを呟いた。
「……別に嫌いでもないけど」
「声小せーよ」
「独り言よ……」
「そうかい」
そして俺はそのまま奏と別れ部屋に布団が無いかを調べる。
「無いな、次だ」
次はさらに隣の部屋だ。ドアはここも開いている。中はもぬけの殻だ。
「ここもねーな……じいさんはベッドで寝ないイメージなんだけどな……」
次は下の階。
一つ目……
「無い」
二つ目……
「無いな……」
雲行きが怪しくなっていく。そして三つ目……
「な、無い……どこにも無いっ!?」
時間帯は分からないが、外の明るさ的にもう少しで18時を回る頃だろうか……。暗い時間帯に外へ出歩いて奏を一人で待たせるのは絶対何かしら苦情を言われると思った。
しかし布団が無いことにはさすがに寝れないため、俺は自分の部屋に戻り奏に布団を探しに行く旨を伝えた。
帰ってきた答えは勿論……
「嫌よ、冬夜は女の子を一人でこの部屋に待たせる気?」
だよな……はぁ頑張って床で寝るか。すると奏は開きかけた口を閉め、閉めたと思ったらまた口を開きかける動きをする。何かを言いたそうにして躊躇っている様子であった。
「何だよ……?」
「い……一緒のベッドで寝ればいいじゃない」
一緒のベッドで……寝る?
いっしょのべっど?
イッショノ……
「はぁ?」
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