毒姫ライラは今日も生きている

木崎

第1話 腐っていても王女らしい


 毒姫ライラ。私はそう呼ばれている。


 どうしてそう呼ばれるようになったのかは、正直心当たりが多すぎてわからない。


 新しい毒を作りたくて、城壁を越えようとして捕らえられたせいかもしれない。

 私の暮らす森に迷いこんだ男の子が、ハス草の毒で痺れていたので中和するために別の毒を投与したせいかもしれない。

 試作品だった毒を、王様の使いだという人が持っていったので、それが他の人の目に留まったのかもしれない。


 あるいは、私の存在そのものを指しているのかもしれない。


 私はエイシュケル国の第二王女だ。ずいぶんと大層な立場を持ってはいるけど、私を第二王女として扱う人はいなかった。

 それというのも、私の母は一介の侍女で、王様の奥さん――王妃様はほかにいた。しかも、王様と王妃様はとても仲がよく、側室を持とうともしていなかったほどだ。

 だけど、王妃様と喧嘩した王様がうっかり侍女に手を出してしまい、私ができてしまった。


 そのせいで王様と王妃様の仲は一時期とても険悪で、あわや離婚の危機にまで達しかけたのだとか。


 順風満帆だった王夫妻の間に垂れた一滴の毒――それが、私という存在だ。


 とはいっても、私がそれを知ったのはほんの数日前。

 私が王様の衝動による行動でできたことや、お母さまが侍女だったことは知ってはいても、私が毒姫と呼ばれていることも、王様と王妃様が離婚の危機に陥っていたことも知らなかった。

 それというのも、私が暮らすのは城の片隅にある小さな森だからだ。


 王妃様のご機嫌取りか、あるいは王様自身が自らの汚点を見たくないからか、私とお母さまに与えられたのは、城の片隅――人も寄り付かないほど隅っこにある森の中の小屋だった。

 森から出ることは許されず、食料を王様の使いが持ってくる以外は人と会うこともない。しかもそれも、気づけば置かれているので、顔を合わせたのはほんの一、二回だけ。

 徹底的に避けられてきた私だけど、なぜか今は、王様の前で跪き、首を垂れている。


「お前は腐っても、この国の王女だ」


 王様と会うのはこれが初めてで、耳を打つ低い声を聞くのもこれが初めて。

 王様たちが暮らす城に足を踏み入れたのも、数日前が初めてだ。

 そんな私でも、王女ではあるらしい。腐ってはいるそうだけど。


「アドフィル帝国との争いが終わったことはお前も知っているだろう」


 この数日の間で学んだことを思い出す。

 アドフィル帝国は、元はアドフィル王国という。二十年以上前に家臣の一人が謀反を起こし、当時のアドフィル王を殺し、周辺国を攻め入った末に支配下に置き、帝国だと名乗るようになった国だ。


 アドフィル帝国と私の暮らすエイシュケル王国の間には二つも国があったのに、どちらも落とされ、今はアドフィル帝国の傘下に加わっている。そしてエイシュケル王国にまで攻め入るようになったのが、今から十三年前。


 ほかの国が数年ともたず落とされたことを思えば、エイシュケル王国はずいぶんとねばったほうだろう。そして粘り勝ちとでも言えばいいのか、今から三年前に、アドフィル帝国の王が代わった。

 そして和平の使者が送られてきて、戦争は終結した。


「新たに王となった男は領土の返還の代わりに、王女をよこすように言ってきた」


 長きに渡る戦いはエイシュケル王国を蝕み、王都に続く領地のいくつかは取られてしまい、陥落するのも時間の問題、だったそうだ。

 そんな状況で和平を結ぼうと提案してくれた、アドフィル帝国の皇帝には感謝してもしきれない――のが普通だと思うけど、王様の口振りはとても苦々しい。


「銀の髪に妖精眼を宿している姫を求めているそうだが、それが誰であるかは指定されていない」


 思い出すのは、私の姉にあたるらしいお姫様。王妃様譲りの銀髪と王様譲りの妖精眼――見る角度によって色の変わる瞳を持つ、誰からも愛される生粋のお姫様。

 髪の色まで指定されているのなら、それは間違いなくお姫様のことだろう。


「血塗られた王のもとにアルテシラを嫁がせるつもりはない。お前の髪色でも、銀と言い張れば通るだろう」


 さすがにそれは無理がある。

 私の顔を横を流れる髪は、どう見てもくすんだ灰色。お母さま譲りの色なので不満はないし、陽の光の下で見れば銀と錯覚してしまうこともあるかもしれないけど、さすがに銀色だと言うのは無理がありすぎる。


「これは王命だ。王女としての責務を果たせ」


 だけど、王様は決定を覆す気はないらしい。

 新しい皇帝は自分の父親を殺し、兄弟姉妹を殺し、臣下も殺して玉座に座ったらしい。気に食わなければ首を刎ね、楯突くことも粗相を働くことすらも許さない男だそうだ。

 そんな危なっかしい相手に大切なお姫様をやりたくない、という気持ちもわからなくはない。私もお母さまをそんな相手のもとに送れと言われたら、断固拒否する。

 だけどさすがに、灰色を銀と言い張るのはどうかと思う。


「お前の母親についてはこちらで引き受けよう。それが報酬だ」


 その言葉を最後に、直答する許可も、顔を上げる許可も、声を出す許可すらもなく、王様との謁見は終わった。


 謁見室から追い出された私は、ふへぇと息を吐く。堅苦しい場には慣れていない。

 それに敷かれていた赤い絨毯はふわふわで、寝そべりたい衝動と戦うのが大変だった。


「ライラ、聞いたわよ」


 気を抜きかけた私の耳に、鈴の鳴るような声が届く。

 慌てて気を引き締めて声のしたほうに顔を向けると、銀色の髪をきらめかせたお姫様が、赤と紫を混ぜたような朝焼け色の妖精眼を潤ませて立っていた。


 お姫様を一方的に見たことはあっても、話したことはない。少なくとも、ライラと呼ばれるような付き合いをした記憶はかけらもない。

 しかも何かを聞いたらしい。いったい何を聞いたのだろう。もしかして、お姫様の花壇から花を一輪拝借したのがバレたのかもしれない。


「……アドフィルに嫁ぐのですってね」


 拝借とはいっても返すあてがなかったので冷や冷やしていたら、お姫様は憂うようにため息を落とした。


「どうしてあなたなのかしら……」


 長いまつげに縁どられた瞳が床に視線を落とす。

 王様に愛されているからですよ、と言ってもいいのか悩む。お姫様はこの城、どころか国中から愛されている人だ。

 薬姫と呼ばれる彼女が救った命は数知れず、民からも親しまれ、彼女のためなら命を賭してもいいと騎士が行列を成すほど。

 そんな人に、愛されているからだなんてしごく当たり前のことを言っても、ちゃんと伝わるのだろうか。


「どうしても無理だと思ったら、帰ってきてもいいのよ」


 胸元で手を組み、気遣うようなまなざしを向けてくるお姫様に、私は曖昧な笑みを返す。

 王様はお母さまの面倒をみてくれると言っていた。その報酬を投げ捨てるのは、あまりにももったいない。


「……実はね、ここだけの話にしてほしいのだけれど……」


 内緒話をするように顔を寄せてきてささやくお姫様。きらきらとかがやく銀の髪が窓から吹きこむ風に揺れ、私の頬をかすめた。


「私ね、アドフィル国の王様を見たことがあるの。和平を結ぶための会合で来たときに……こっそり、ね」


 お姫様の妖精眼がきらりと煌めく。まるで悪戯をした子供のように。

 だけど白い頬は朱色に染まっていて、どこかちぐはぐな印象を受けた。


「……すごく、かっこいい人だったわ」


 ほう、と憂いげなため息を吐いた。

 親の心子知らずとはこのことを言うのかもしれない。あるいは、子の心親知らず。


「だから……どうしてもいやだったら、代わってあげるわ」


 親子で話し合う必要がある気がするけど、私が口出しするようなことではない。

 それに、私が何をすればいいのかもこれではっきりした。


「わかりました」


 こくんと頷くと、お姫様の瞳が先ほどとは違う輝きに満ちる。

 王様はお姫様を危ない男に嫁がせたくなくて、お姫様は危ない男に嫁ぎたい。


 なら私がすることは、一つしかない。


「頑張って死んでまいります!」


 正面からとらえた朝焼け色の妖精眼の中には、意気揚々と宣言する私が映っていた。

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