第5話 この人は叔父ではありません!
舗装された石畳の道にカツカツとヒールの音が響く。
道行く人たちが何事かとこちらを振り返ったけれど、そんなの気にしている余裕なんかない。
ぼろぼろと流れる涙が止まらない。
大人になれば、ブライト様だってわたくしのことを異性として意識してくれるはずだと思っていたのに……。
わたくしは彼にとっていつまで経っても【友達の子供】でしかなかった。
大人になったところでニ十歳という年齢差が埋まることはないのだと思い知らされた。
慣れない高いヒールに足が悲鳴を上げたけれど、痛みが気にならないくらい心が痛かった。
息が上がって苦しい。
運動不足の体は少し走っただけで限界を迎えた。
足がもつれて体がバランスを失う。
しまっ……!
衝撃に備えて目をぎゅっとつぶったわたくしは、ドンという衝撃に「キャッ!」と声を上げ、続けてくる痛みに歯を食いしばった。
けれど、いつまで経っても痛みがこない。
「…………?」
恐る恐る薄目を開けてみると、目の前に薄水色のシャツが飛び込んできた。
それが地面ではなく人だと思い至った瞬間に、わたくしは大慌てで謝罪の言葉を口にした。
「す、すみません!」
「いえ、大丈夫でしたか?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、声をかけてくれた青年のほうもわたくしを見て驚いたように目を見開いた。
「セシリア嬢……」
少し癖のある金髪を後ろで束ねた青年――――わたくしを抱きとめてくれたのは、学園で同じクラスのアベル様だった。
転びそうになったところを抱きとめてくれたアベル様は、わたくしの頬に手を添えて眉間にしわを寄せた。
「泣いていたのか?」
指摘されてはっと我に返ったわたくしは、慌てて涙を拭って立ち上がった。
よりにもよってこんな恥ずかしい姿を知り合いに見られるなんて……。
恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
カーッと顔が熱くなって、「何でもありませんわ」と両手で顔を隠す。
どうやって誤魔化そうかと思っていると、すぐ背後からブライト様の声が聞こえてきた。
「セシリア!」
ビクリと体を震わせると、わたくしの様子がおかしいことに気がついたアベル様が、背後にかばうようにしてブライト様との間に立ってくれた。
ブライト様は「やっと追いついた」と息を切らせながら駆け寄ると、間に立つアベル様を見て眉を顰めた。
「ええと……?」
「彼女を泣かせたのはお前か!?」
状況が呑み込めていないらしいブライト様にアベル様が詰め寄る。
違う、そうじゃない。きっかけを作ったのはブライト様だけど、勝手に泣いたのはわたくし自身だ。
違いますの、とアベル様に弁解しようとしたところで、ブライト様が困ったような顔で肯定した。
「そうなんだ。僕が選んだ服がお気に召さなかったみたいでね……ごめん、セシリア。僕の配慮が欠けてたよ。君はもう立派なレディになっていたのに、いつまでも子供扱いされたら嫌だよね」
謝罪の言葉を聞いて、こそっとアベル様の肩越しにブライト様の様子を見てみる。
急いで追いかけてきてくれたらしく、襟足の長い黒髪は大いに乱れていた。
不意にアベル様から視線を向けられ、「この人は?」と問いかけられる。
「ええと……」
なんて答えたらいいのかしら。
まだ婚約者ではないし、かといって親戚でもない…………両親の友達?
わたくしが上手く答えられずにいると、ブライト様が先にその問いに答えた。
「えっと……僕はセシリアのおじ、みたいなものかな?」
「!?」
「セシリア嬢の親戚の方でしたか! そうとは知らず大変失礼しました」
ブライト様がおじみたいなものと言ったせいで、アベル様はブライト様のことをわたくしの親戚だと勘違いしてしまったようだ。アベル様は口調を丁寧なものに改めると、軽く頭を下げて先ほどの非礼を詫びた。
「いやいや、こちらこそセシリアを引き留めてくれて助かったよ」
「僕はアベル・カーラインと申します。彼女とは学園で同じクラスで、よくダンスのパートナーを務めさせてもらっています」
「それはそれは……セシリアがいつもお世話になっているね。お転婆で大変じゃないかい?」
「とんでもない! 優しく気遣いができると、セシリア嬢に求婚したいと思っている人が後を絶たないくらいですよ――――
なんか今、寝耳に水な話が聞こえた気がする。
求婚したいと思ってる? アベル様が?
なんの冗談だろうとアベル様を見上げる。
そもそもわたくしとペアを組むようになったのは、結婚する気のない者同士の利益が一致した結果であって、そこに男女の情なんてありはしないと思っていたのに。
にこやかな笑顔でブライト様と話しをするアベル様の意図はわからない。
おそらくはただのリップサービスだろう。
でも、だとしてもブライト様の前でそんなことを言うのはやめてほしい。変に誤解されたら目も当てられませんもの。
「ちょっと、アベル様。『僕含めて』だなんて冗談、笑えませんわよ?」
「冗談を言ったつもりはないんだけどな」
「え……?」
「本当に罪造りな人だ……貴女はもう少し自分の魅力を自覚したほうがいい。おじさんもそう思うでしょう?」
「まぁ、贔屓目に見てもセシリアは可愛いからね――――アベル君はセシリアと結婚したいの?」
ブライト様がわずかに目を細めて見定めるような視線をアベル様に向ける。
視線を受けたアベル様は背中に隠していたわたくしの肩を掴んで引き寄せると、うすら寒い笑みを浮かべた。
「もちろんです。おじさんからもバートル伯爵に口利きしてもらえませんか?」
「うーん…………セシリアはどう思ってる?」
ブライト様は困ったように視線を彷徨わせると、わたくしを見て静かに問いかけた。
ガンッと頭を殴られたような衝撃を受けた。
どう思ってる、ですって!?
わたくしの気持ちをわかりきっているはずなのに、どうしてブライト様は今そんなことを聞きますの?
ずっと伝えてきたはずの気持ちを無下にされたような気がして、わたくしはスカートの裾を握りしめて怒りにわなわなと震えた。
わたくしの想いは全然全くこれっぽっちも伝わっていなかったということですのね!?
そもそも親戚のおじさんだと誤解されたのに、否定すらしないブライト様の態度に腹が立った。
「どうもこうもありませんわ! どうしてわたくしがそれを望んでいると思いますの!?」
わたくしはキッとブライト様を睨みつけると、斜め後方に立つアベル様を見上げて、肩に置かれたままだった彼の手を払った。
突然の行動にびっくりしたのか、驚いたような表情のアベル様と目が合う。
「セシリア嬢……?」
「アベル様、わたくし貴方と結婚するつもりはこれっぽっちもありません! 学園でペアを組んでいるのだって、貴方が誰とも結婚するつもりはないと言っていたからですもの――――それから、この方はわたくしの叔父ではありません。未来の旦那様です!」
わたくしは『未来の旦那様』を強調して言い放つと、正面に立つブライト様の手を取って早足で歩きだした。
いろいろなことが無性に腹立たしい。
頭の中がぐちゃぐちゃで、一度は止まったはずの涙が再び溢れた。
悪目立ちしているようで通り過ぎる人たちの視線を感じる。
それに気づいたブライト様が、今度はわたくしの手を引いて人けのない場所まで連れて行ってくれた。
大通りから二本ほど入った通りは人通りがなく、しんと静まり返っていた。
足を止めたブライト様からハンカチを差し出され、それを無言で受け取って目に押しつける。
けれども涙は次から次に溢れて止まらない。
「セシリア」と気遣うような声をきっかけに、今まで抑え込んでいた言葉が啖呵を切って溢れだした。
「どうして親戚のおじ様だと言われて違うって言ってくれませんでしたの!? どうしてお父様に口利きしてほしいと言われて断ってくださいませんでしたの!? どうしてわたくしの気持ちを無下になさいますの!?」
「――――ッ! それは違うよ! セシリアの気持ちを無下にしたつもりはない!」
「嘘! だって、ブライト様はわたくしと結婚する気なんてないのでしょう!?」
勢いで、怖くて聞けなかったことを聞いてしまった。ブライト様はひどく傷ついたような顔をして、「それは……」と言い淀んだ。
その反応を見て、聞くんじゃなかったと後悔が押し寄せる。
これ以上は聞きたくないと思うのに、ブライト様は深くため息をついて諭すように言葉を紡いだ。
「セシリア、僕たちは結婚するには歳が離れすぎていると思うんだ。君は十七、僕は三十七――傍から見たら、僕たちは叔父と姪のように見えるんだよ」
明確に年齢のことを言われてズキンと胸が痛んだ。
「セシリアは若い。そんな君に僕みたいなおじさんは釣り合わないよ」
そんなことないと心の中で反論する。
「子供の頃の約束にこだわる必要なんかない。セシリアは自由に誰かを好きになっていいんだ」
約束だからとこだわっているつもりはなかった。ちゃんとブライト様のことが好きだから結婚したいのに。
どうしてそれをわかってくれませんの?
「わたくし、ちゃんとブライト様のことが好きです。それでも結婚できないとおっしゃるのですか!?」
まっすぐにブライト様の目を見て問いかける。
彼はわたくしの視線を受けると、悲しそうに微笑んだ。
「ごめんね。僕なんかと結婚したら君が不幸になってしまうよ……セシリアのためなんだ。今は好きって気持ちが大きいけど、いつかきっと後悔する日がくると思――」
パンッ! と乾いた音が響く。
気づけば、わたくしはブライト様の頬をひっぱたいていた。
ジンジンと痛む手をもう片方の手でぎゅっと握りこんで、わたくしは声を荒らげた。
「不幸になるなんて勝手に決めつけないで! わたくしのためとか言いながら、結局はブライト様が結婚したくないだけでしょう!? もういいですわ、今日は帰ります!!」
思うがままに言葉をぶつけて踵を返す。
一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
それなのに、ブライト様は駆け出そうとしたわたくしの腕を掴んできた。
力任せに振り払おうとしたのに、まったくもってビクリともしない。
「離して! 一人で帰れます!」
「ダメだよ――――僕は今日、君のことを任されてるんだ。君を家まで送り届ける責任がある」
困ったように眉尻を下げるブライト様の顔を見たら何も言い返せなくなってしまって、わたくしは大人しく屋敷まで送られることになった。
行きと同じように馬車に揺られて帰途に就く。
向かい合って座るものの会話はない。
重苦しいほどの沈黙に満たされた車内で、わたくしは終始ブライト様の顔を見ることができなかった。
彼はどこまでも大人で、自分はどんなに背伸びをしても子供だった。
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