一家移住計画
@eikyusf
第1話 仮オフィス
宇宙連合の仮オフィスは非常に混雑していた。
『駅のホームみたいに混んでるわ。』と美香は思った。
そしてすぐに思い返した。
『いや、駅ビルだって日中からこんなに人が溢れかえってるなんて、ない。』
駅のホームだって正午前のこんな時間にまるで通勤時間帯のように人が溢れかえることなどないだろう。
今、美香がいるのは県庁である。
無意識にそっと周囲を見回してしまう。自然に首が動いてしまうのだ。
なにしろ周囲は日本語ではない言葉で充満していて、うるさいことこの上ない。
いつからこんなに外国人だらけになったんだろう、と思いながら、美香は、大声で受け付けの細長い男の子に食ってかかる中年のアジア人女性を見やった。
その男の子は達者な英語で応対していた。美香自身は堪能というほどでは無いが、若い頃オーストラリアに留学したことがあるので、彼の英語が聞き取れたし、かなりのレベルだというのも分かる。
女性も英語だが、発音に非常に強いクセがあり、時に何語で話しているのかわからないほどだった。
とにかく声が大きいので、いやでも何を訴えているのか聞こえてしまう。どうしてここで手続きが出来ないのか、とか、すぐに何かを貰えないのはおかしい、などと言っていて、言い出しのホワイという力のこもった単語が何度も響き渡った。
彼女の後ろにはまだ大勢の人が順番を待っていた。
彼らはみんな、宇宙への移住申請をしに来ていた。その多くが外国人だった。故国では宇宙移住が認められていないので、日本へ観光入国して、日本のオフィスから移住申請しようというのだ。
ネットの情報が無かったら、こんなにたくさんの外国人が県庁で何をやっているのか理解できなかっただろう。
宇宙連合と日本政府の間に協約が成立して以来、宇宙連合の出先機関が各地に開設され、その大部分は地方自治体の施設を借りていることは、美香も知っていた。
なぜそんなことを知っているかといえば、美香もまた宇宙へ移住するつもりで色々と検索を繰り返しているからだ。
自分だけでなく家族も一緒に移住する予定だ。
そう、もう予定になっている。
家族との話し合いは済み、全員の意思が移住で一致している。
家族に「移住を考えている。」と初めて話したのは三年近く前だ。
最初は娘しか賛成してくれなかった。
同居している両親は今住んでいる家と土地を手放す気が無かったし、年金も二人合わせれば十分、老後の資金も何とか用意出来ているから今さら見知らぬ土地へ移住はしたくない、と言った。
しかし、その後事情が変わり、様々な特典のある宇宙移住を両親にも勧め、一緒に移住するように説得した。夫は離婚したので部外者である。
移住を考え始めた時から、美香は関連情報を片端から集めた。
宇宙連合の協定の内容を全て読み、協定に関するメディアの情報を次から次へと視聴した。
移住している人達がごく稀にメディアに出ているので、彼等の情報やインタビューなどもネットの隅々まで探した。彼らの著作も購入したし、彼等の内の何人かはネットで何らかの発信をしているので、それもフォローした。
そうやって幾千もの情報を一年近くにわたって毎日体に染み込ませるように摂取した。その情報量は両親を説得する時にも役に立った。
一般に宇宙連合が敬遠されるのは、大手メディアがまともな報道をしないからだ。
政府はホームページで十分すぎるほど情報を提供してくれるが、誰でもアクセスできるネット上のそのサイトを見に行く人は少ない。
やはり食事をしながら気楽に見れるストリーミングや、他の事をしながら聞き流せるラジオで何度か流す手法の方が広めやすいのだろう。
美香の両親も、世代としてはネットを使いこなすのに不自由のない世代だが、いくらデジタル世代と言っても年を取れば老眼になるし、肩も凝るから若い頃のように集中できない。勢いストリーミングで垂れ流されるどうでもいい情報を選ぶようになり、宇宙移住の事は美香に訊くまでほとんど知らなかった。
最も大事なのは、実際に移住してみてどのような変化があったのか、という情報だ。
これに関しては移住経験者の経験談が十分にあるので心配していない。
地球人は宇宙連合の目には希少な、保護すべき種族と映っていて、地球の他の生物も同様に大事に保護されていた。
地球とは違う環境の星を改造して地球に似せるという、テラフォーミングによって作られた惑星も一つ二つではなく、数百の銀河に万単位で存在している。
つまりそれだけ宇宙連合の惑星改造は技術が確立しているということだ。
そして美香は今、最終段階に進んでいる。いよいよ申請をするのである。
手続きの細かい所や、どこへ申請するのか、申請に必要な書類などは何か等々は一年も前から調べ尽くしていた。
申請は、どの地域でも市町村役場で行うようだった。市の窓口が受け付けるのではなく、庁舎や他の公的施設の中に宇宙連合の窓口が設けられている。つまり市町村は場所を貸すだけで、受付事務は宇宙連合と外務省が共同で当たっていた。
仙台市内では常設の申請窓口は県庁の建物の中にあった。
宇宙連合との協約では、地球外への移住の他に、医療の提供、特に救急医療への協力という項目があり、こちらのほうは日本の医療現場との相互協力になっていた。
日本のように医療制度が整っている国では、宇宙連合の医療技術や医療機器を受け入れたり、治療法や機器の共同開発をすることが可能だ。
しかし、政治的に不安定な国や、民主主義が機能していない国では、協約が成立しなかったり、協約を交わしておきながら医療行為を行う宇宙連合の医師を妨害するなど、信じがたい状況になっていた。
信じがたい、というのは、宇宙連合の医療提供は、政府が協約に同意さえすれば無償で行われたからだ。
協約の条件として宇宙船の領空侵入許可や、連合の人員が入国する許可など、国家安全保障に多少関わる事柄があるので、独裁的な国では拒絶されがちだった。
独裁国家でなくても、国内が不安定で反社会的な組織などが暗躍しているような国では、せっかく政府が協約を結んでも、宇宙連合の拠点などが攻撃されてしまう。
多少ともまともな国々では、協約を交わすだけでなく、それらを遵守している。
宇宙人の提示してきた協約の内容は、素人にも利益の方が圧倒的に大きいことが分かるものだった。国民みんなが助かるのだから良いことだ、という民主主義の基本を理解している国でならば、そんな協約を結ばないわけがない。
中にはもともと貧困だった自国の医療制度や医療保険を、宇宙連合を利用して国家予算を節約しながら劇的に改善するという、はっきり言ってタダ乗りをやっている国さえあるが、国民全体の利益を確保するという点ではタダ乗り国家の方が正しい在り方だ。
ただし、医療では宇宙連合と調和的な関係にある国々でも、移住協約には調印しないこともある。
国民が地球外へ移住する自由を認めてしまうと、今までより豊かな、あるいはより自由な国へ移住したくても出来なかった人々が大挙して宇宙へ逃げて行ってしまうと危惧している。
日本は医療にも移住にも調印しているし、ポーズだけ調印して実質は協力しないということもない。日本人はラッキーだと美香は思う。
『ここは日本のオフィスなのに』と美香は乾いた気持ちで考えた。
『観光だと言って入国して来て、本来は日本人の移住のために設けられた窓口を占領するって、マナー違反じゃないの。』
美香はそんな、普段は感ずることのない腹立たしさを抱えて、外国人の列のずっと後ろの方に並んでいた。
ネット上の噂では、観光入国だけではないらしい。不法入国者も、太陽系外移住の申請を受け付けてもらえるという。
これは日本だけのことではなく、世界中で問題になっていた。
宇宙連合は各国と個別に移住に関する協定を結んでいるにもかかわらず、自国の協定に従わずに条件のゆるい他国を経由して脱出する人々を受け入れてしまうので、隣国同士でトラブルになるケースが増えている。日本の場合も入国者数の多い近隣諸国との間で多少問題になっていた。
そういう情報は、表のメディアではあまり報道されない。
内部事情を知る人間がネットに流したり、もう少し信憑性のあるところでは、政治的な団体が動画を作って情報を提供していたりする。
時には元公務員、とりわけ元官僚が内情を説明する。
「日本としては、観光目的だと主張する入国者を拒否するわけにもいかず…」
「宇宙連合のオフィスは他国の大使館や領事館と同等の扱いになるので、日本側がオフィスへの出入りを監視したり制限したりは出来ない」等々。
不法入国についても、以前から取り締まりは必要な程度に行っているので、特に太陽系外移住目的が増えたからという理由で強化することはないそうだ。
日本では、公的機関は常に法や規則の根拠が無ければ権力を行使してはいけないから、特定の対象者を取り締まる時には、その旨の法規を議会で通してからでないと取り締まりが出来ない。
民主主義国家の体制が完成していて、成熟している日本では、云々。
『そう、役人って、やっちゃいけないことが色々あるんだよね。』と、自らも公務員である美香はぼんやりと考えた。
『でも、余分な仕事をやりたくないだけのような気もする。』
美香の順番が来たのは、正午近くになってからだった。それでも早いほうだ。あの人数から考えて何時間も待たされると思っていたが、二時間も待たなかった。
カウンターに必要書類を出して見せる。パスポートがまだ有効なので、記入済みの申請書にそれ一つを添付するだけで済む。
そして、宇宙連合の移住申請は確定申告等と違って一回で済むという噂は本当だった。申請書の記入を一個一個読み上げて確認したけれど、全部やるのに5分もかからないし、足りない書類を後から送るとか、証明書が不足してるから出直してくれ等も無かった。。
もちろん、この5分だけで太陽系外宇宙への移住という壮大な件が全て片付くわけではない。海外移住と同様、前もって準備する時間が相当に必要になるのは当然のことだ。
しかし、数週間から数か月に及ぶ準備期間が必要になるのは、移住希望者自身の都合によるものである。
例えば退職願を出すとか、賃貸契約を解除する手続きなどはもっと前から進めておかなくてはならないし、申請を出した後にも日本の役所が税金や持ち出し物等の審査を行う時間を取られる。
それも、「前もって片づけておきたい。」と当人が思っていれば、の話だ。
実は日本からも宇宙へ夜逃げする人達がいるらしく、手近の荷物だけまとめて申請所へ駆け込み、今日にでも日本脱出したいと言うと、宇宙連合はその通りにしてくれる。
つまり、その場で車に乗せられて宇宙ステーション行きの便が出ている空港へ連れて行かれ、その日のうちに宇宙船に乗ることが出来るという。
宇宙連合が移住希望者を受け入れるか否かを決定するのは、あくまで当人の意思があるか否かであり、その意思の確認は彼らが用意するA4用紙一枚だけの申請書の項目にイエスと答えたかどうか、であった。
罪を犯して警察に追われて逃げるために受け付けオフィスに駆け込んだ人物でさえ受け入れられてしまうのだ。
宇宙連合との協約には問題が多いと言われるのはこの一点に、である。
当人の意思が最優先、という一点に。
受付の男の子は「DNA情報を登録することに同意するか」の項目を読む時、少しゆっくりと念を押すようにしたが、美香は軽く「はい」と答えた。それよりも「配偶者無し」と確認が続いた時のほうが、何とも言えない気分になった。
確認が終わると、細長い男の子は美香の書類を持って素早い足取りで端末の背後に回り、スキャンをした。
「お返しします」と丁寧に両手でパスポートと提出済み印を押した書類を差しだされ、美香はその男の子に改めて好感を持った。
先ほどあんなに大声で詰め寄られた後とは思えないほどにこやかな顔で応対してくれ、礼儀正しい。国の職員だろうか。それとも宇宙連合の職員なのだろうか。見た目はごく普通の日本人だが。
「これで受け付けが完了いたしました。後ほど連絡させて頂きます。」
「どれくらいで連絡が来ますか。」
「1週間から10日ほど、お待ちいただいております。移住のご準備等については、ホームページの方に詳しく記載されておりますので、そちらでご確認ください。」
丁寧に深くお辞儀をされ、美香も軽く頭を下げて、カウンターから離れた。
相変わらず外国人がたくさんたむろしていた。しかし先ほどと比べるとそれほどうるさくない。
極東の顔立ちばかりでなく、彫の深い顔の外国人も順番待ちをしていた。
用事はすべて終わってしまったが、美香はすぐに出ていく気になれず、フラフラと冷房のきいたロビーを歩き回った。
大きなディスプレイパネルがあり、告知が3っつだけ表示されていた。
よくある役所のパネル掲示板は、沢山のお知らせが表示されては消えていくので読みづらい。時には紙の掲示も貼りつけられたりして雑然としている。
が、ここのパネルは画像が流れないし、すっきりしていて読みやすかった。
左側には、必要書類についての詳しい説明。真ん中は、宇宙連合のイメージ広告のような映像。右側は、このオフィスを含む全国のオフィスの住所と連絡先の一覧だった。
このオフィス一覧を見た時、美香はある噂のことを思い出した。
ここにあるアドレスの他に、どこにも記載されていない「宇宙への入口」があるというのだった。
山奥の林道などを車で走っていると、ギラギラ光る立方体が建っていて、その前で車から降りて近付くと、宇宙船が迎えに来る、というのだ。
この話は昨年ネット上に現れ、いろいろなサイトやメディアに拡散している。
ネットは匿名だから、好き勝手なことを書ける。
嘘などつき放題だ。
匿名だから現実では口に出せないことも書けるし、他人の経験談を自分に都合よく作り変えて書いたってわからない。
違法性を帯びた書き込みの場合には監視機構が対処するが、ただ単に嘘の情報を流すだけでは罪にならないので、誰も止める者がいない。
この数年、移住に関する情報を検索している時にも美香は何度もこういったフェイクに悩まされた。
この、宇宙人の基地のようなものの話も、作り話だろう。
しかし、不快な気分にさせられたわけではない。たとえ信じてしまい、後から騙されたとわかっても、怒るよりも、たぶん笑ってしまうだろう。
論破と称して罵倒や揚げ足取りなどの醜い争いを見せられるよりはずっといい。
宇宙人の話に限らず、リアルに作りこんだ嘘の経験談を書き込む人たちがいるが、文章が上手かったり、あまりに良い話だったりすると、つい信じたくなる。
そんな嘘なら、現実を見せられて不快になるよりも上等ではないだろうか。
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