ふたりだけの宇宙創造記

ジュッコウザル

【プロローグ】潜水鐘

 手首を縛る縄は肉に食い込んで、骨が折れそうなくらいきつい。

 顎と右側の頬がズキズキと痛み、腫れているのがわかる。


 ――暗い。

 ――――何が起こったのか、記憶がない。


 隣の部屋で人の気配がする。何人かの男が喋っているが、意識が朦朧としていて話の内容に集中できない。どうせ碌な話ではないだろう。


 あいつは一体どこだ。無事なのかな。

 

 ここにいてくれたらこんな薄汚いところなんか、すぐに出られるのに。マンモスの群れでもくらわせてな。いや、のもっとやばい獣でもいいんだ。こういう時は。

 立ち上がろうとしても、腰が椅子にくっついていてどうにもならない。


 暗闇の中で唯一見えるのは、扉の細長い隙間から漏れてくる光。

 その隙間の光は今、乱れている。人が近づいてくるのか。

「カミサマよ、出番だぞぉ」

 知らない中年男性のかすれた声が聞こえてくるのと同時に目の前の扉が荒々しく開かれる。

 眩しい。思わず目を閉じる。

 両足の脛あたりをいじられて、縄が解かれているのがわかる。

 ごつい手が僕の腕の付け根を強く掴み 、力ずくで僕の身体が持ち上げられる。

「歩けよ」

 前とは違う男の声が言い捨てる。聞いたことのある声だけど、誰なのか覚えてはいない。もう人間が多すぎて把握しきれてないんだ。自業自得と言われたら、その通りなのだが。

 半分引きずられながら、どんどん歩かされる。

「カミサマのくせに弱弱しい野郎だな。へっ!」

 頭の後ろをたたかれる。おじさんたちが笑う。3人、いや4人か。

 頑張って目を開けてみる。

 

 廊下を歩いているのだ。真っ白な壁が緩やかなカーブを作って少し内側に傾いている。扉はすべてアーチ形で、その表面に青銅(と、僕にみえる金属)の糸で結ばれた細かい波模様が複雑に交差する。


 ――ここは、ではないようだ。

 ということは、の月面基地みたいなやつなんだ。なるほど。ここは新スケベニンゲンだと思っていたが、違うのか。


 一体どこまで運ばれたんだろう。


 廊下の壁に小さな半円形の窓が沢山開いている。横で僕を連行している男の顔越しに、その窓を覗いてみると、瑠璃色一面だ。一瞬、広い空をかける小鳥の群れがちらりと見えては消える。

 隣の男がこっちの視線に反応してこちらを見る。

「なんだ。俺に言いたいことでもあるのか。」と男が言う。確か、大学の準教授人だと思い出す。

「スレイはどこだ?」

 僕の問いに男は鼻で笑う。

「お嬢さんならすぐにお目にかかるさ。二人とも大人しく指示に従えばすべて丸く収まるから、西藤さんの話をよーく聞けよ。」

「西藤って……ヒコが仕切ってるっていうのか。」

「――ほら、着いたぞ。」

 

 大きな丸い部屋に入る。不思議な建物の中心部に当たる空間だ。

 ドーム状の天井が高く、すべての方向に窓が三列になって、沢山の青い半月みたいに光っている。

 男女含めて10人ぐらいの人間が僕たちを待ち受けていた。視線は全部僕に集中する。中に包丁や槍を構えている人を見かける。所々に系のランタンが外の青い光をオレンジ色の照明で補う。見覚えのあるのテーブルと、見覚えのない木箱や樽が積まれている。――自作か。

 部屋の真ん中に椅子が2つだけ、背中合わせに置いてある。そしてその椅子の一つに女の子が座っている。

 僕はついに立ち止まってしまう。


 あいつだ。

 の人間にして、僕の一番の味方。彼女も捕まっていたのか。

 

 その華奢な手首が身体の前で縛られていて、もう一つの縄が彼女を椅子に固く拘束している。

 意識がないか、寝ているか。顎が胸につくほど頭は前に垂れ、顔はその異様に長い髪で遮られ、よく見えない。

 

「スレイ!」


 僕が叫んだ途端に彼女がビクッと顔を上げる。その視線は真っすぐで青みがかった銀髪の間から僕を捉える。目は一瞬だけ大きく開き、すぐに冷静な表情に戻る。きっと、いつも通り強がるつもりだろう。

 両脇の男たちはまた僕を肩から引っ張る。

「黙れっ! 歩くんだ!」

 

 僕たちの後ろで誰かが扉を閉める音が聞こえる。


 乱暴な力で彼女の後ろにある、空いている方の椅子まで導かれる。椅子と椅子の間に2メートル程の距離だ。

 その間に背の高い青年が日本刀を握って立っているのに初めて気づく。

 

 よく知っている顔だ。西藤忠彦という、僕の高校時代の親友。いや、西藤忠彦と同一人物と言った方が正しいかもしれない。今になっては、その心は僕には全く読めないのだ。

 

 僕は西藤に話しかける。

「ヒコ、なぜお前がここにいる? 助けてくれよ。」

 青年はため息をついて僕を見つめる。やっぱり、の西藤忠彦は最初から僕のことが嫌いだったみたいだ。

 男どもが僕をスレイと西藤に背を向かわせ、椅子に縛り付ける。

「おい、きついだろうが!」

 僕は異議を立てるが、男は耳を貸してはくれない。

 

 部屋のざわめきが徐々に沈黙に変わる。


「ヒコ。俺たちがお前らに一体何をしたというんだ。」

 彼から返事はないが、僕の後ろで足音がする。それと同時に、スレイの鼻唄が聞こえてくる。

 ――あいつ、自分が置かれている状況がわかっていないのか。

 これは聞いたことのあるメロディーだ。確か、「偉大なるナントカ様の航海」みたいなタイトルの、の讃美歌だったはず。英雄が海の下の帝国に降りて行って、巨大なフックでその首都を地上に引き上げたという、相変わらずぶっ飛んだ話だっけ。初めてその歌詞を聞いた時、いくら伝説でも人間が水中で呼吸できるわけがないとつっこんでみて、スレイを怒らせた覚えがある。潜水鐘せんすいしょうを使ったに決まってるだろ、と。それは、空気をためて水の中でも息ができるようにする大きな鐘みたいなものだそうだ。僕の日常には存在しない道具を当たり前のように言われてもたまらない。


 西藤忠彦は僕の椅子を回り込んで、正面に現れる。いつも通り、真剣で悲しげな表情でこっちを見る。手に持っている刃物に周りのランタンや突っ立っている人たちの姿がちらっと映る。

「協力してもらおう。」

 彼は僕を見下ろしながらそう言う。

「らしくないぜ。俺が知ってたヒコは優しい奴だったよ。」と僕は言う。「人を縛ったり、刀なんかで脅かしたりするような人じゃなかったし。こっちはずっと平和な世界を目指してきたのに、なんだってこんな事をされなきゃいけないんだ?」

「章さんたちが何を目指していようが、こちらはこちらの事情があります。すべてが、あなたたちの所有物と思わないでください。」

 敬語を使って、僕の名前に「さん」を付ける西藤に違和感を感じる。


 スレイの鼻唄がずっと続いている。


 僕は答える。

「それはそうだろうけどさ、普通にホームベースで会って話し合えばいいじゃないか。」

「残念ですが、もう話し合えることなんてないんです。あなたたちが拒むから、こんなことをしなければならないのです。」

「拒む?」

 一瞬、何の話かわからないが、ふと最後の面会のことを思い出す。1年以上前のことか。

「まさか、まだ武器のことにこだわっていないよね。」

 西藤はズボンの後ろポケットから四つ折りの紙を一枚引き出して広げて、僕の顔の前にかざす。

 巧みな筆遣いで書かれたリストを黙読する。


 これはまずい。

 

「……だから、銃とか駄目に決まってるじゃないか。手榴弾だって? 何だこのリスト。本気で戦争しようとしてるのかよ。笑わせるなよ、ヒコ。」

 彼は顔をしかめて、刀の先を僕の顔に近づかせる。

「本当はここまでやりたくなかったんですが、やっぱり仕方がないみたいですね。」

 

 彼の目を見て、ぞっとする。昔からのお馴染みの顔をしながら、まるで知らない人だ。


「おい、スレイ。こいつら、また武器を作れって言ってるんだよ。」と自分の後ろで一人でハミングコンサートを展開している女の子に話しかける。

『作っちゃえば?』

 靴ひもを結ぶ話でもしているかのように、自分の言語で淡々と答えてくる。

「……いや、だから、そんな物騒な世の中は作らないって決めただろ。」

『そうだっけ。』

 僕はため息をつく。西藤は喋る。

「今からお二人をくっつけます。そしたら、このリストを声に出して読んでください。それで魔法が働くでしょう? それ以外のことを喋ったら、この剣であなたの喉を切ります。」

 彼は近くにいる中年男性に向かって、「スレイさんの口を塞いでくれ」と命令する。男は風呂敷みたいな布(そんなものも自分たちで作ったのか?)を持って、僕の視野から出ていく。スレイの抗議が聞こえてくる。

『何すんだよこの…… クホオッハウ。ウッコホウケハウ!』

 彼女は途中で猿轡さるぐつわを噛ませられ、訳の分からない声を出す。


「大丈夫です。」と西藤忠彦が僕を慰めてくる。「作業が終わったら二人を開放しますので。誰も傷つく必要はないです。彼女にも伝えてください。」

 僕はただ彼を睨みつけるだけ。翻訳するつもりがないことをみて、彼は聞く。

「それじゃ、始めても良いですか? 何か質問でも?」

 西藤のリストをもう一度読む。機関銃200挺とか、狙撃銃50挺とか――思い出せる限り書きやがったな。無反動砲ってなんなんだ? もう、目に見えている。こいつらに武器を渡せば、この世界は終わりだ。ただでさえ弱肉強食で散々手こずってるというのに。

「狩りとか、自衛だけに使うと約束できる?」と僕が聞いてみる。

「自分の立場を考えてください。交渉をする立場ではないでしょう。」

 確かに、耳の近くで浮いている刀の刃先はとても切れ味がよさそうだ。

 

 西藤と周りの人たちは全員、僕の次の一言を待っている。

 後ろから、口のきけなくなったスレイがまたもや鼻唄を愉しんでいるようだ。

 

「……わかったよ。困ったやつらだな、本当に。」と僕がため息をつく。

 西藤のしかめっ面が幾分緩むのが見える。

「では、さっそく始めましょう。すぐに終わることです。」

 彼は周りの男どもに顎で合図をして、また僕に向かって喋る。


「いいですか、リストの内容を全部読んで、それ以外は一言も喋らないんです。冗談じゃないですよ。」

 氷のように冷たい刀の側面が僕の頬を軽く撫でる。

「わかった、わかったよ、ったく。」

 男たち二人は僕の両側にしゃがんで、僕を乗せたまま椅子を持ち上げる。ゆらゆらと後ろの方に運ばれていく。一旦とまって、西藤の指示を待つ――


「……くっつけてくれ。」と彼が命じる。

 

 男たちが僕の椅子を地面に戻した時、僕の後頭部がスレイの後頭部にゴツンとぶつかる。痛い。

『イッハイ!!』彼女はくぐもった声を上げる。

 衝撃の反動が収まると、僕は頭の後ろをスレイのそれにそっと密着させる。彼女の小さな肩も軽く接触している。


 身震いをする。


 彼女の身体に触るときによくあることだ。


 鼻唄はもう、聞こえてこない。


 やるべきことは二人ともわかっている。喋れなくても、僕にはわかるのだ。たぶん。


 西藤忠彦は片手に刀を、もう片手に紙を持ち上げながら僕に近づいてくる。


 僕は2、3回大きく呼吸をする。


「さて、作り始めてください。」と彼が要請する。

 

 息を肺いっぱい吸い込んでため込む。そして、想像する。


 いつかドバイで見た巨大アクアリウムの水。

 その微かに濁った青緑色と、湿気と、重さを。

 

 シャーー。


 滝みたいな音がする。西藤がその方向に振り向く。その瞬間、僕とスレイの頭上から何かが落ちてきて、膝のところに重く落ち着く。

 

 足に痛みが走るのと同時に、周りの部屋が歪んで見える。落ちてきた物体はガラスの壁を作って、僕の上半身を囲んでいるのだ。


 これは、やっぱり……

 

 まるで堰を切ったように、部屋の四方の壁から大量の水が凄まじい勢いで流れ込んでくる。

 僕は落ちてきた物体の縁を縛られた両手でしっかりと掴む。

 滝の音がますます大きくなって、爆音となる。同時に部屋中のテーブルや家具が波動にひっくり返され、流され、近くの人たちに投げつけられるのを見る。さっきまで僕を見ていた男女たちも西藤もその室内津波の勢いによって足場をなくして転んで、天井に向かって、手を投げてあがこうとしている光景も束の間、部屋の真ん中にいる僕たちまで波が届く。

 巨人のこぶしに握られるかのように、荒波がすべての方向から僕たちを叩きつけ、押し倒そうとする。僕は目を閉じると、全身を猛烈な圧力が駆け上り、顔を覆いつくす。


 ……

 …………騒音が落ち着く。

 椅子と身体が水中に浮いているのがわかる。口の中の水は、しょっぱい。


 目を開けると、周りは薄暗い空間に変わっている。


 足先と、椅子の脚が、ふわっと床に舞い降り、着地するのを感じる。

 

 大きな部屋が海水で満たされているのに、それでも僕はまだ息ができる。 

 僕が一生懸命に掴んでいるガラスの物体は、大きなバケツのような形をして、逆さになって空気が溜まっているからだ。

 いや、僕だけではない。スレイの頭と肩の感触もまだ後ろにある。あいつもバケツの下にいるのだ。


 周りの人は見当たらない。壊れた木箱や裏返ったテーブル、そして一本の刀が無造作に床に転がっている。光の灯っていない青いランタンや白いシーツ、迷子になった靴が、宙に浮いているかのようにゆっくりと僕の周りで大きな渦巻を描いている。


 何かの動きに気づいて上を見上げると、そこに人がいた。ドーム状の天辺のところに、20本ぐらいの脚が蹴ったり泳いだりしている。誰が誰だかわからない。みんな、ほんの少しだけ残されている空気を吸おうとしているのだろう。いずれにしても、こちらを気にしている人は一人もいないようだ。

 

「おい、大丈夫か。」

 自分の後ろに座っている人に声をかけると、不思議な反響音がする。

『ハイホーウハワ』と、陽気で意味不明な言葉が返ってくる。

 きつい縄を引っ張りながら上半身を捻り、バケツの端っこを掴んだ手指と床に触れる足先を使い、向きを変えようとする。何回も頭をガラスにぶつけながらも、椅子の方向をやっと90度ほど変えることに成功する。

 スレイも頑張ってこっちを向けようとしていたから、結果的にほぼ横並びになる。首を限界まで横に向けると目線を合わせることができる。スレイのずぶぬれの髪がべったりと頬っぺたに張り付いていて、目がほとんど見えないが、それでも僕には彼女の表情が容易にわかる。

 

 こいつはニヤリと笑っているのだ。

 一緒なら怖いことなんてないと、わかっている。


「危なかったぜ。どっちが海で、どっちが潜水鐘か最後まで迷ってたよ。」

『イーハン。ウアフイッハハワ。』

 何を言っているかさっぱりわからない。まあ、その方がいいのかもしれない。

「……帰ろっか。」

 猿轡の厚い布をかじる白い歯を大きく剝きながら、スレイこと、カセマヤ・カイカイトマンダ・スレイは激しくうなずいている。

「ウン!」

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