ノアの方舟

@manju70

第1話 オーナーとの出会い

  肇の手のひらには硬貨が何枚か乗っている。

「563円か……弁当は買えるな…だけど何処にも泊まれない…」

4ヶ月前までは 小さな旅行会社だったが、ちゃんと働いていた。仕事でミスをして会社に多大な損失を与えてしまい首になってしまった。4年間のサラリーマン生活だったが、貯金はあまりなく生活を切りつめても月8万の家賃は痛かった。とうとう

1ヶ月前に借りていたアパートを出ることになった。

就職活動も毎日ハローワークに通い 何社か面接を受けたが採用には至らなかった。

アパートを出てからは マンガ喫茶やネットカフェで過ごしていたが、もうそれも

無理な状況になってしまった。今夜は野宿だ。

「明日は日雇いで働く所に行ってみるか…何か厳しそうで敬遠していたが仕方がない

僕…強面のおっちゃん達にいじめられるタイプなんだよなあ…」

肇は公園のベンチに腰をかけ、近くのコンビニで買った小さな弁当を食べ始めた。

どうしても温かい飲み物が欲しかったので 弁当は少し安いものにした。11月に入って夜は少々寒い、温かい飲み物は欠かせないのだ。水道の水ではあまりに味気ない。

「これ、子供用の弁当かなあ、明日日雇いの仕事が決まれば何も食べずに働かないといけないんだよなあ。この弁当だけで明日働けるのだろうか…」

小さくため息をつき、明日のために体力を温存しておかなければと、早々に休む事に

した。まだ7時を少し過ぎた頃だ。今日もある会社に面接に行ったので 今スーツを

着ている。11月だが、寝る時はその上にダウンコートを着ることにした。布団代わりだ。荷物を詰めた大きなリュックは枕代わりにする。

肇という男は、こんな究極に最悪な状況でもどこか呑気で もうホームレスなのに自覚はないようだ。しかもベンチがベッドという悪条件でも すぐに眠ってしまった。

 肇が寝ている5メートルくらいの所を 親子連れが歩いて来た。低学年の女児と母親のようだ。

「お母さん、あの人あそこで寝ているの?」

「酔っ払いでしょ、近づいたらダメよ。」

何処かに出かけて行って、この公園を通り道にして自宅へ帰るのだろう。幸せそうな

親子にはこんな所で寝ている人は酔っ払いにしか思えないのだ。

その時、公園のそばに黒塗りの高級車が止まった。

「何ですか?オーナー、こんな所で止めてだなんて、何かあるんですか?」

「あのベンチに人が寝ているの、何か気になるじゃない…」

「どうせ酔っ払いでしょ、温かそうな物を着ているし、まだ凍死するほどの寒さじゃないですよ。ほっときましょう。」

「でも気になるのよ。私のねイケメンセンサーが凄く鳴っているの。ピンポンピンポンってうるさいくらい…」

「もう、相変わらず酔狂ですね。なんにでも関わっていると、碌な事がないですよ」

「なに言ってるのよ、店の前でチンピラと喧嘩しているあんたを助けて うちのお抱え運転手として雇ってあげたのも 私の酔狂じゃないの。」

「そうでしたね。」

「あんたの時もイケメンセンサーが鳴ったのよ。」

「はい、ありがとうございます。」

「チョット行って来るわね。」

この50歳くらいのなかなか恰幅がいいのにおねえ言葉を使う紳士は ホストクラブを一軒とゲイバーを一軒経営しているやり手のオーナーだ。

つかつかと肇が寝ているベンチまで行き、ジッと顔を覗き込んだ。

「あら、いいじゃない 私の好みだわ。背丈も結構あるみたい、うーん、切れ長の目もいいわあ。」

声のボリュームは眠っている肇が起きるには充分な音量だった。肇が目を開けると

覗き込んでいる中年の男と目が合った。

「わっ!ビックリした!だっ、誰?」

その質問には答えずオーナーは肇に言った。

「ねえ、どうしてこんな所で寝ているの?酒臭くはないみたいねぇ…」

「ほっといて下さい。金がないからここで寝ているんですよ。」

「そう、お金ないのぉ、じゃあ雇ってあげるから、一緒にいらっしゃいよ。あなたなら良いホストになれると思うわ。」

「えっ?ホスト?」

「お酒飲める?」

「まあ、少々は……」

「じゃあ、合格。良いホストになりそう…」

「ちょ、ちょっと待ってください。僕、ホストとか無理ですから…」

「あら、どうして?」

「女性の機嫌を取るなんて僕には無理です。」

「機嫌なんて取らなくていいのよ。一緒に楽しめばいいの、それとも他に仕事のあてでもあるの?住まいも用意してあげるから、おいで、」

「住まい……」

「そうよ、うちで働いている子達のために寮があるの。まだ空き部屋があったと思うから入れてあげる。寮母がいて2食付きよ、うちは福利厚生が行き届いているのよ」

「はあ…… なんか夢みたいだなあ……」

オーナーは肇のほっぺたをつまんだ。

「いて―― 痛いですよ……」

「ね、夢じゃないでしょ。さっ、車を待たせているから早くいきましょ。」

「はい……」

肇には、このおじさんが自分を竜宮城へ連れていってくれる亀の様に見えた。後で何か変な事が起こらないか心配ではあるが 取りあえず寝る所と食事は確保できる様なのでついて行く事にした。



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