世界を廻る

のどか

はじまりの終焉

 世界は危機に瀕している。

 朝の女神と夜の男神によって世界が作られたその日より、雪のように静かに降り積もった人々の負の感情が意思を持ち始めたのはもう何百年も前のことだ。

 人々はそれを魔と呼び、光と生を司る朝の女神に助けを乞うた。

 朝の女神はそれに応え、魔を浄化する力を持つ魂を世界に送り出した。

浄化の力を持つ娘――――聖女の登場により世界にしばしの安寧が訪れる。

 しかし、いつの頃からか人々は、魔が潜む闇を恐れるようになった。同じようにそれまで恐れ敬ってきた闇と死を司る夜の男神を忌むようになった。信仰を失った夜の男神は人々を見放し、世界から姿を消した。光と闇のバランスの崩れた世界で魔は一層力を増し、いつしか魔を統べる者が現れた。それを魔王と人々は呼んだ。

 世界は魔王の登場により急速に滅びへと近づいた。人々は祈った。慈悲深い朝の女神に助力を乞うた。

 女神は魔王を倒すためだけに生み出した魂を世界に送り出した。

 魔を倒す者――――勇者が世界の希望となることを祈りながら。








「ユリアリア様、もっとお話して!」

「ユリアリア様、お歌うたって!」

「ユリアリア様!」


 遊んで遊んでと自分を囲む子どもたちにユリアリアは微笑みながら小さな頭を撫でた。

 子どもたちはきゃらきゃら笑いながらもっと撫でてて! と白魚のような手に自分の頭を押し付ける。

 あらあらと笑いながらユリアリアは丁寧に優しく子どもたちの頭を撫でてやった。


「おい、ガキ共。聖女様を困らせてんじゃねぇよ」

「ジークだ!」

「ジーク、剣の稽古つけてよ!」


 和やかな空間に割って入ってきた低い声に子どもたちは瞳を輝かせて振り返った。

 ユリアリアを囲んでいた子どもたち――――特に少年たちが今度は彼を取り囲んで楽しそうに声をあげる。


「あ?なんで俺がお前らの相手をしなきゃなんねぇんだよ」

「優しくない! ユリアリア様! ジークって本当に勇者様なの?」


 男の対応にぶすりと頬を膨らませた子どもたちがユリアリアを振り返る。

 面倒くさそうに子どもたちをあしらう姿にユリアリアはくすりと笑いながら柔らかく答えた。


「ええ。ジークハルト様はとっても頼りになる勇者様ですよ。

 さぁ、みんなそろそろお家にお帰りなさい。ご家族が心配しますよ」

「えー!」

「やだやだ」

「もっとユリアリア様といるー!」

「いい加減にしろよ。ガキ共」


 駄々を捏ねる子どもたちにジークハルトが凄むと、子どもたちはキャーと楽しそうに悲鳴を上げて逃げていく。


「不良勇者が怒ったーー!」

「ユリアリア様、また明日ねー!」

「ジークもバイバイ!」


 笑顔で手を振る子どもたちを見送る。何度も振り返りながら手を振る子どもたちの姿が完全に見えなくなると少しだけ寂しい気持ちになった。


「聖女様」


 頭の上から響いたジークハルトの声にユリアリアは顔をあげる。

 まっすぐに見つめた先で黄金の瞳が躊躇うように揺らいだ。


「……出立が決まった。明日の朝だ」

「そうですか」

「聖女様、あんた本当に」

「勇者様」

「あんたは光だ。失う訳にはいかねぇ存在だ」

「それは勇者様も同じです。どうか、一緒に戦わせてくださいませ」


 あなたひとりで戦わせたりなんてしない。その荷物を半分、わたくしに分けてくださいな。

 まだ口に出来ない言葉を飲み込んで真直ぐにジークハルトの瞳を見る。

 根負けしたように瞳を閉じたジークハルトが大きく息を吐いた。


「俺は、勇者なんて器じゃない。正直なところ世界が滅びようがどうでもいいしな」


 零された本音をユリアリアは黙って聞いていた。


「けど、聖女様。あんたがいる世界は別だ。

 ……上手く言えないがあんたがいる世界は、悪くないと思う。

 あんたが笑って生きる世界の為の戦いなら、俺は負けない」


 ジークハルトがその場に跪いた。


「俺の剣をあんたに捧げる。この身命を賭して何者からも守ると誓う」

「ゆうしゃ、さま」


 突然行われた騎士の誓いにユリアリアは目を見開いて固まった。

 驚きに掠れた声にジークハルトは微苦笑をひとつ零して、ユリアリアを見上げた。


「……だから、俺が戦う理由になってくれ。聖女様」

「は、い。はい! 勇者様」


 跪いたままのジークハルトの前に同じように膝をつき、ユリアリアは最大で最上の祝福を贈る。誰も見ていない二人だけの誓いと祝福。

 これから魔王を倒す旅に出るというのに、体を駆け巡るのは多幸感。

 彼が、勇者様が一緒なら何も怖くない。どんな壮絶な旅路であったとしても、歩き切ってみせよう。その先に、勇者様と生きる明日があるのだから。


「行くか」

「はい」


 差し出された大きな手に手を重ねて一歩踏み出した。










 幸せだった。とても。

 こんな気持ちは間違っていると思うのに、それでも、どうしようもなく幸福だった。

 どれほど過酷な旅路でも。どれほど凄惨な光景を目の当たりにしても。それでも、仲間たちと――――勇者様と歩いていけることが、言葉で表せないほどに尊くて、泣きたくなるほどに幸せだと思った。

 だから、罰があたったのかもしれない。

 聖女なのに。誰よりも人々に寄り添い、癒すのが役割なのに。

 国の為に、世界の為に生きるのが聖女わたくしの存在意義なのに。

 朝の女神と夜の男神に身命を捧げてお仕えするのが、聖女わたくしなのに。

 こんな感情を抱いてしまった。

 きっと、罰が当たったのだ。


「ごめんなさい」


 小さく呟いた懺悔は誰に向けたものかユリアリア自身も分からない。

 朝の女神から神託が降りた時から違和感はあった。

 ユリアリアが幸福を感じれば感じるほどに、小さな違和感は悪い予感として膨れ上がっていった。そして、今、魔王を目前にそれは確信となった。

 彼は、勇者様は、まさしく魔王を倒す為だけにこの世界に送り込まれた魂なのだと。

 この扉の先には魔王が待っている。

 そして、きっと、勇者様は魔王を倒すだろう。

 人々が望んだとおり。朝の女神が定めた通り。彼はその役目を果たすだろう。


「聖女様、大丈夫か?」

「はい」


 ユリアリアはいつものように微笑んだ。

 悲鳴を上げる心に気付かないふりをしながら。

 ジークハルトは何か言いたそうな顔をしたが、仲間たちに声をかけられて小さく息を吐いた。

 そしていつかのようにユリアリアに手を差し出す。


「行くか」

「はい」


 いつかと同じように大きな手に手を重ねて一歩踏み出した。

 終わりが近づく。とても容認できない終わりが。

 その時が訪れてしまったら、一体自分はどうするのだろう。

 答えは、決まっている。

 しっかりと顔をあげて、そっと大きな手を離した。

 世界は、神々は、きっとユリアリアの選択を許しはしないだろう。

 咎は全てこの身に引き受けます。だから、どうか一歩先を行く大きな背中に末永く幸せが降り注ぎますように。

 愛しい人たちが生きてゆくこの世界の夜明けに祝福を。

 そして、許されるのなら――――――巡る世界の果てでもう一度、あなたに会いたい。


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