第12話(1) 来訪者



「お嬢様、お客様がお着きになりました」


 ある日の午後、シドが客間へ一人の客を案内して来た。


 ほのかに香の漂う広々とした室内には、中央に黒光りするオーク製のティーテーブルが置かれ、煌びやかなアフタヌーンティー用のトレーと紅茶の茶器がすでに準備されている。


 フィリアが少しめかしこまれた姿で椅子に腰掛け待っていると、入り口からシドを押しのけて長身の男が入室してきた。

 透き通るような色白の肌と少し垂れ気味で印象的なダークブラウンの瞳、右目の下に涙ボクロがあって顔は覚えやすい。短くばらけた髪の色はアッシュグレーだ。


「フィリア様、ごきげん麗しゅう。いかがお過ごしでしたか、お会いしたかった! 相変わらず見目麗しい……」

「まあ、ブリュリーズ様……お久しぶりですわね」


 その人は何度も願い続けて来た目通りがやっと叶ってか、満面の笑顔で登場した。

 マーナル伯爵家次男、ブリュリーズ・オランヴィス。

 周囲から白サギの貴公子と呼ばれるだけあってマナーも美しく、騎士団の証である紅い軍服と白い乗馬パンツの取り合わも細身で長身な体や秀麗な顔によく似合っている。

 手にしたバラの花束が禍々しい赤色を放ってさえいなければ、ここまで憂鬱な気分になることもなかっただろう。


 マーナル伯の次男なら、一人娘しかいないオリーズ家の跡取りとしては丁度良いと両親は考えているようだ。迷惑な話である。なんとか事を荒立てずにさっさと帰ってもらおう、とフィリアは心の中で息巻いていた。


 つかつかと入室した客は、うやうやしく左手を胸にあてて花束をフィリアに差し出した。微笑してそれを受け取ると、すぐに傍らのミーナへ流す。


 窓から差し込む日差しでよく見えないが、彼の後ろにいるシドの表情はなぜか翳りを帯びているような気がした。

 ブリュリーズはテーブルを挟んだ向かいの席に腰掛け、この日はミーナとシドが二人揃って真横の壁際に姿勢正しく控えてくれた。

 じっくり見る訳にもいかないからはっきりとは確認できないが、初めて出会った日に感じた暗くて強い鷹の目にじっと見つめられている気がして首筋がきゅっとなってしまう。


 ブリュリーズがテーブルに片肘を付き、長い足を組んでフィリアを見つめた。表情はとても自信ありげだ。


「やっと会っていただけた。長かったなぁ」

「ごめんなさい。先約が多かったもので……」


 フィリアが謝罪すると、ブリュリーズは満足気に口角を上げた。


「本当に長かった。私がどれだけあなたのことを想い続けていたかご存じないでしょう。私はね、初めてお会いした時から分かっていたんです。これが運命なのだとね。あの日以来、一日たりとて風に揺れるデイジーのようなあなたを想わない日はなかったですよ」


 さっそく男貴族の常套句が始まった。

 この数年間で、一体何人から似たようなフレーズを聞いたことか。軽々しく「運命」といった言葉を出してくる人間には気をつけるべきと、大昔の大占星術師ボッサロ卿の本にすら書いてあるのに。


 占いの香が、いつもより妙に臭い。


「あの夜のことを覚えておいでだろうか。あの淡い夢のような舞踏会の夜のことを。私がダンスを申し込むと、貴女はそれこそ妖精のように微笑み返して下さった。あの時から私の時間は止まったまま。どう責任を取ってくださるのか。ああ、その美貌と妖精の囁きのような声色……私は貴女ほど魂が響きあう女性にお逢いしたことがないのです」


 ブリュリーズは饒舌な男だった。

 華々しくも儚い恋の叙事詩のような言葉の数々は適当に聞き流せれば心地がよいのだが、フィリアは舞踏会でいつも仮病を使ってダンスの誘いを断って来たから、微笑み返したことなど一度たりともないし、こっちの魂は響いていない。

 つくづく性格が合わないと感じるのである。


 一通りの愛の告白が終わると、次に『自慢話』が始まった。

 王都で開かれた演劇に招待されて有名な俳優と知り合いになったとか、最近王都の飲み屋街で有名画家と知り合って飲み明かしたとか……聞いてもいないのに、自分の話をつらつらと語っていく。


「そうなんですか、良かったですわね」

「ええ、それに私は仕事で国外へ出ることもありますから、人脈もその辺の騎士よりはあるのですよ。例えば、同盟国のチャバ国やルシアール公国、サミデル国など、様々な国へ出かけました。いや、外国といっても大したものはありません。人の暮らしはどこへ行っても変わらず、働いて食事をして寝る、それだけです。まあ、こんなに外国経験の多い人間も珍しいですから、私は飽きてしまっているんだろうな。あっはっ」


 シドと似たような内容なのに、なぜこうも違うのか。

 結婚後は外国へ連れて行ってくれるとか、そういう話をするならフィリアだって体裁だけでも聞く耳を持ったろうに、自分のことしか語らないとは失礼な。フィリアにとっては全てが遠い世界の『自慢話』だ。


 この人はお断りしたいと、心底から思う。シドはどんな表情でこちらを見ているのだろう。早く二人で書庫へ行きたい。


 フィリアはそっぽを向いた。


「あの、ごめんなさい。今日はちょっと気分がすぐれませんの。申し訳ありませんけれど、そろそろお茶を終わらせたいと思いますわ」

「おお、大丈夫ですか。私が貴女の薬となりますよ。次は愛についての話をしませんか」


 喧嘩でも売っているのか。

 その誘いをも断り、早々にお開きにしようと提案した時、ブリュリーズがやれやれといった調子で肩をすくめた。


「せっかくお会いできたのにこれは残念だ。ならば最後に、人払いをして貴女と二人きりでお話がしたい」


 フィリアが「絶対に嫌だ」の丁寧語を探すより先に、ブリュリーズはテーブルの上に身を乗り出して顔を近付けてきた。目の動きだけでちらっとシドの方を示す。そして小声で囁いた。


「あなたに至急お教えしたいことがある。とても大事な話です」


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