第6話(3) 執事の苦笑




「……いえ、その……出会えたとして、二人は幸せになれるのでしょうか」

「なれるに決まってるわ。二人は愛し合っているんだもの」

「…………」


 シドは人の話を聞いていなかったのだろうか。イギレティオーナは運命に打ち勝ってソラージュオレスに会いに行くのだ。その先に幸せが待っているのは当然なのに。


 何を言っているの、と眉をひそめた瞬間、体が固まった。

 顔をあげて視線を送ってきた執事が、誤魔化し紛れに見た事もないほど苦笑していたからだ。


「失礼、そうでしたね。二人は愛し合っていたのでした」

「そ、そうよ、人と言うのはね、出会うべくして出会っているの。そこに愛があるならなんだってできるわ。素敵な教訓でしょう?」

「確かに……運命とは不思議なものですね。私もこうしてお嬢様にお会いすることができて、良いお話も聞けて、運が良かった」


 そうしてまた苦笑した破壊級の可愛さと、胸熱くさせるいじらしい言葉に、フィリアも泣いてしまいそうになりながら頬を緩ませた。


「ええ、私もよ、私もシドに会えて良かったわ。嬉しいことを言ってくれて、どうもありがとう」



 二人はその後、文献探索へ戻り、シドが目ぼしい国の文字体系を解説しながら可能性を一つ一つ消していった。


 羊皮紙に書かれていた文字は見たことのない字形なので何が書かれているのかさっぱり予想もできない。仮に、謎を解くことのできる文献が見つかったとしても、書簡の内容を自分で解読に至るには相当の時間を費やすことになるだろう。


 シドには星座神話の教訓を教える手前、人は出会うべくして出会っているなどと偉そうなことを言ってしまったが、正直なところ、街で出会った黒髪の騎士の正体を割り出して知り合って両想いになって……という絵本のようなシナリオが、半年後の誕生日までに展開される可能性には半信半疑になりつつあった。


――出会えたとして、二人は幸せになれるのでしょうか――


 そんなこと、考えたこともなかった。

 運命で結ばれた二人は必ず幸せになれると思っていたから。

 でも、本当にそうだろうか。そんな風に出会っていきなり結婚するということは、一目見て両想いになるレベルでないと間に合わないはずだ。それは確かに運命的な出会いだけれど、その愛は冷めないのだろうか。

 もしかして運命の人に出会って結ばれても、その後幸せが続くとは限らないのでは……。

 両親に結婚相手を勝手に決められるのと大差ない気がしてきた。


 シドが革張りの本をパラパラとめくって行く。フィリアに見えるように少し屈んでくれている。一国ごとに丁寧に解説してくれる。

 この人が本当に黒髪の騎士だったら完璧だったのにと、何度目か分からない悔しさに唇を噛んだ。



「なかなか見つからないものね。すぐに分かるかと思ったのに」

「そうでございますね……先ほどの国の近隣諸国も探したのですが」

「よっぽど珍しい国の文字なんだわ」

「いっそ世界地図を見てみましょうか。確かこの辺にあったと」


 シドは持っていた本を元の場所へ戻して棚を見渡した。


「あら、それならここにあるわ」


 目の前に『ニーア王国周辺域世界図』と書かれた分厚くて古めかしい本があった。縁がボロボロで白い埃をかぶっている。


 それを取ろうとした時、同時にシドもそこへ腕を延ばしてきた。あっという間に白手袋の大きな手が一回り小さな手に触れ、包み込む。フィリアの手にじわりとぬくもりが広がった。


 ベタベタな展開に心臓がドクンと跳ねる。そのままドキドキが止まらない。なにせ長い。彼はすぐには手を放さなかったから。


 動揺して顔を見上げると、彼は物言わぬ鷹のような目でフィリアを見ていた。口元も緩んでいない。そんなはずはないのに、ランタンの炎のせいで紫色の瞳の奥が燃えているように見える。


 一瞬、時が止まったように感じた。


「失礼……これは私が。地図は重いですから」


 そう言い終えてから、シドはフィリアの手を解放してそれを抜き出し、またパラパラと開き始める。まるで何事もなかったかのように再び新しいページの解説が始まった。

 フィリアも何でもないフリをしてそれを眺めていたが、頭の中では今のシーンを再生することに全力が注がれた。


 アクシデント……だったと思う。思い込みは捨てるべきだ。妙な勘違いをするとそろそろストーカーじみて来るし、執事のシドが、あんなことを故意にするはずがないのだから。


 今のは気のせい。きっと気のせい。


 そう思いつつも、気にしないのは無理であった。

 それ以降、地図本にどんな国が出てきたか覚えていない。ただ解説の為にシドが目を合わせようとする度、フィリアは顔が熱くなってしまうのを抑えることができなかった。


 気付いた時にはシドが懐中時計を見ていて、二人きりの時間の終わりを告げていた。


「さあ、お時間です。お部屋へ参りましょう、お嬢様」

「シド……また今度、探索に付き合ってくれる?」

「ええ、もちろん、お嬢様の為ならどこへでもお供致しますよ」


 シドはまた最後に左手を腹へ当て一礼した。するりと落ちた前髪の下に、勘違いしてしまいそうなほど優しい笑みを添えて。


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