第6話(1) 執事の苦笑
何日か過ぎ、フィリアは再び夕刻にシドを連れて書庫へ赴いていた。
今回は地味なラベンダー色のドレスだ。髪はフィリアの希望でおろしている。
どう転んでも、シドはただの使用人……。
ならば、本当は毎日でも書庫へ行って早く自分を助けてくれた例の騎士の所在を確かめたいのだが、シドと二人きりでは自分の心を制御できるか不安だし、噂になってしまうかもしれないし、執事は忙しい仕事だから一度に取れる時間は限られている。無理を言えば他の使用人同様文句も言わずに時間を割いてくれるだろうが、それは彼女の本懐ではなかった。
書庫は相変わらず真っ暗で耳鳴りがしそうなほど静まり返っていた。
未だ彼女は闇に慣れておらず、片手にランタンを持ち、もう片方の手でシドの黒服の袖を抓んで共に歩き始めた。
深く行けば行くほど闇は色濃く、もしもランタンの火が消えてしまったなら、助けが来るまで帰ることさえ困難かもしれない。そんな特別な空間へ潜って行く。好きになってはいけない執事と二人で。
「ねぇシド、前回の書庫でのこと、ごめんなさい」
歩きながらまず、ずっと悔やんでいたことが口をついて出た。
その気弱気な声にシドは足を止め、振り返って不思議そうな表情を向けて来る。
ランタンを掲げ、フィリアの表情をじっと確認して二回瞬きをする。炎に照らされて紫色に見える綺麗な瞳が僅かに泳いでいた。
「……何が……でございましょう?」
困惑気味のシドに対し、彼女は真っ直ぐに彼を見つめて懺悔を始めた。こちらは罪悪感に覆われた瞳がほんのりオレンジ色に揺れている。
「この間、夢を簡単に諦めてはだめだと言ったでしょう? でも、あの時の私は、世の中には叶わない夢があるってことを忘れていたの」
「…………」
「シドの夢ってバゼルがいなくては叶わない物だったんじゃないの? それなのに私……私のせいでバゼルはあんなことになってしまったのに」
「お嬢様……」
シドは眉を神妙に寄せて首を横に振り「それは違います」と一言発してからフィリアの顔をまじまじと見つめ、そして少し吹き出し気味に優しく笑った。
「お嬢様、大丈夫です、私の夢は確かに叶いそうもありませんが、祖父に関する物ではございません」
「……本当?」
「ええ、ですから貴女は何も間違ったことはおっしゃっていませんよ。むしろ心温まったほどです。どうぞお気になさらずに」
「じゃあ、シドの夢って何?」
「……、それは秘密です」
そう言って悪戯っぽく微笑み、シドは白手袋の人差し指を自分の唇に当てた。
その仕草が可愛かった。今までで一番表情に人間らしさがあって、フィリアのなけなしの理性をふっ飛ばしてくる威力で可愛かった。
「ずるいわ、気になるじゃない」
「行きましょうお嬢様、前回見つけた海外文献の書棚はあちらでございますよ」
シドが誤魔化すように歩き出した。その態度もなんだか可愛かった。その袖を掴みながら食い下がる。
「ねぇ、どういうこと。私にも言えないこと?」
「ええ、そうです」
「いつか……いつか時が来たら教えてくれる?」
「…………さあ、それは分かりません。個人的なことですから」
個人的なこと……凄く気になる。
しつこく斜め後ろから顔を覗きこむと、シドは僅かに切なさを感じさせる微笑を返して来た。
また、あの表情――――しまったと思った。夢が叶わなくてシドが傷ついていることを分かっていたはずなのになんて無神経なことを言ってるんだろう。
これ以上首を突っ込んではいけないと、咄嗟に気付いてフィリアは押し黙り、心の中でごめんなさいと呟いた。
いつか、教えてくれるだろうか。もっと仲良くなれたら。
二人は目的の棚へ到着すると、前回と同様にシドが本を一冊取って開き、フィリアはランタンを掲げて横から覗いた。
彼はフィリアに見やすいように少し屈んでくれ、疲れてしまうからそんなことはしなくて良いと言っても、やめることはなかった。顔も少し近いから静寂の中ではお互いの息遣いも聞こえるほどの距離だ。
やっぱりまずいなと、フィリアは思う。
二十六歳だそうだからフィリアよりずっと年上だけれども、さっきシドを可愛いと感じてから色々可愛く見えてきた。
まず、彼はときどきだが、言葉に詰まると何気なく襟足の髪を触ってしまう癖がある。そこが可愛い。本人が気付いていないらしいのがとても良い。それから、目が合うとなぜか一瞬視線を逸らしてしまう癖も可愛い。すぐにこちらを見てくれるから無意識なのだと思う。さらに可愛いのが表情だ。普段は少し翳りのある硬い表情をしているくせに、書庫で会話をしている時は通常時より目元と口元が綻んでいる。暗いから見えていないと思っているのだろうけれど、フィリアはちゃんと見ているのだ。
人との会話は好きなのだろうか。いつも忙しい時間を過ごしているから、もしかして書庫にいる時間は楽しんでくれているのかもしれない。そう思うだけで心が浮き立ってくる。
このままシドを好きになって行ったらその先にどんな未来が待っているのか想像もできなかった。考えてみたら怖いことだ。執事を好きになるなんて……。
本が一冊終わり、パタンと閉じられてフィリアは物思いから目を覚ました。
シドがそれを棚へ戻し、新たに言語学の本を手に取って開いた。彼女も気を取り直してそちらを見遣る。そこには弓弦が踊ったような文字が書かれていた。
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