第3話   広がる夢

 56-03

「じ、時価一億!」声が裏返る京極専務。

二人は何もかも桁違いの会社だと、ド肝を抜かれてモーリスの本社を後にした。

「赤城課長!商談は上手く出来たのだよな?!」

「はい、上手く出来たと思いますよ!柏餅とちまきのセットの見積もり依頼を貰ったと思います」

「そうだよな!支払いも三十日って聞いたよな?!」

「はい、一億程は売れるって聞きました!」

「五千円のセットが二万個だ!製造出来るか?」

「専務この様な大量の注文なら、値段も格段に安いのだと思います」

「そうだな!見積価格が問題だろう?」

二人は嬉しさと怖さとが半々だったが、嬉しさの方が勝っていった。

ホテルに向って新大阪駅に戻る道すがら夢を見ていた。

「ホテルで一服したら飲みに行こう!明日は午後に小諸物産に挨拶に行くだけだ!今宵は前祝いだ!」意気揚々とホテルに向っていた。


その頃モーリスでは庄司に村井課長が「どうだった?千歳製菓は?」

「ド肝を抜かれて帰って行きました!」

「取引が始まってからが本当の勝負だ!今はまき餌の段階だから、魚が寄ってくるのを待つのだ」

「はい。村井課長分かっています!」

「第四課は先日の果物屋で失敗したから、今回は許されない!」

「はい、安田さんの様には私は失敗しません!」

「我社で失敗は営業職を去る事を意味している!安田は倉庫の管理に配置転換されたが、結局は退社するざまだ」

「優秀な営業で係長をされていた方ですよね?」

「そうだったが、果樹園の娘に惚れ温情を出してしまった。庄司君はその様な事の無い様に、この千歳製菓の案件は必ず成果をだす様に頑張ってくれたまえ」

「はい、分かりました!我社は年棒制で、成果が直ぐに報酬として現われるのが魅力で入社しましたから」

村井課長の二課は食品中心で冷蔵、冷凍食品部門。冷凍の和菓子は勿論解凍した状態で送る事もあるが、基本的には冷凍の状態でお客様に送られる。解凍してしまうと三課の管轄になる。

今、村井課長が名前を出したのは、四課で青果の担当をしていた安田俊幸の事だった。

今年の前半までは、辣腕で二七歳の若さでありながら社内では出世頭として後輩達の注目の的だった人物だ。

モーリスは一課が貴金属、二課が食品(冷凍、冷蔵品)、三課が加工食品と酒、四課が青果、生鮮、五課が家庭用品雑貨、六課が園芸品その他と分担されている。

全国的な折り込み、地域限定の折り込み、雑誌専用、インターネット専用と販売方法も様々だ。

今回は季節企画の商品になるので、西日本、東日本に別けて一週間の差を設けて販売される予定になっている。

送料込みで五千五百円での販売、東西の販売量は各一万セットを予定しているのだ。

昨年の実績を元に、庄司も簡単に販売量を提示出来る。昨年販売実績のあった製造工場は早々に断っているところもあるので、今年は新たな製造工場が必要だった。

そんな中千歳製菓が商談に来たので即商談を行ったが、まだ確定はしていない。


夕方の居酒屋で「生産能力は無理すれば、大丈夫だと思いますがパートの増強が必要でしょうね」と納品する事を前提に、京極専務と打ち合わせを始める赤城課長。

「だが今後頒布会に納入するには、商品の整理、得意先の整理が必要になるな!」

「そうですね、専務!モーリスと本格的な取引が始まると、我社の設備では限界になる事も想定出来ますね」

二人はどんどん仮定の話しを進めて行き、上機嫌で酒を浴びる程飲んでしまった。

元々専務はお酒好き、女性好き、夜の遊びが大好きな男。

赤城も酒は大好きで、再三自宅で妻と娘に酒臭いと敬遠される事も屡々ある。酔っ払うと美沙に抱きついて頬にキスをするので、美沙は小学生の時から逃げ回る事が多々あった。

妻の妙子もその様子を普段は微笑ましく見ているのだが、赤城の度が過ぎると怒る事もあった。

赤城は、千歳製菓は小さい会社ではあるが、経営が安定しているので満足している。

親子三人が平和に暮らせて、やがて娘の美沙に彼氏が出来て嫁に行けば、老後は夫婦で豪華客船の旅をしようと夢を見ている。それだけで充分満足なほど幸せなのだ。


深酒をした二人がホテルに戻ったのは午前一時を過ぎていた。

部屋に入るとそのままベッドに倒れ込んだ赤城。目覚めたのは翌朝九時を大幅に過ぎてからだった。

時計をみて驚いた赤城は、専務に詫びようと慌てて電話をしたが、京極専務はまだ夢の中だった。

何度目かのコールで専務が電話に出た。

「頭が痛い!二日酔いだ!」

「専務、そろそろ準備をしなければ小諸物産に行けませんが?」

「断ろうか?小さな会社だろう?」

「取引は少ないですが、卸問屋としてはそこそこですよ!」

「でも頭が痛い、小諸物産までは一時間程度か?」

「神戸の郊外で西区ですから、一時間半は・・・」

「神戸駅からタクシーで行こう!もう少し眠らせてくれ!」と電話が切れた。

飲み過ぎだよな!最後の店の女の子を気に入って連れ出すから、困った酒飲みだ!と考えながら胸ポケットから名刺を数枚出して昨晩のことを思い出していた。


結局ホテルを出たのが十一時だった。新大阪駅にタクシーで行って、そこから新快速電車で神戸まで向うが、京極専務は具合が悪い様で殆ど会話が無かった。

神戸からタクシーに乗って小諸物産に着いた。

タクシー代を払う時「えー、こんなに!」と初めて声を出す京極専務は、小諸物産のスレートの屋根で出来た貧相な社屋を見て「こんな薄汚れた会社だったのか?」と呟く。

見かけとか大きさを重視する京極専務の性格を知っていた赤城課長は、ここに連れて来ることをそもそも躊躇していた。

「挨拶だけして、すぐ帰ろう!」

古ぼけた扉を開いた中は少し薄暗く、階段を上ったところが事務所になっていた。

「いつもお世話になっています!千歳製菓です」

赤城課長が挨拶をすると、社員は昼休みなのか、人影はまばらだった。一人の女子事務員が「お待ちしていました!社長を呼んで参りますので」と挨拶して、二人を簡素な応接室に案内した。


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