甘い城

杉山実

第1話    頒布会

 56-01

赤城家の郵便受けに、今朝は特別分厚い新聞が配達員によってねじ込まれた。

「お父さん!折り込みチラシで郵便受け一杯になっていたわ!」そう言って、高校生の娘美沙がリビングのテーブル上に新聞を置くとその間から滑り出た折り込みチラシの束が床に落ちて散らばった。

「今日は金曜日だから特別多いな!」美沙の父親信紀は散らばったチラシを拾いながら言った。

その中のチラシを手に取り母親の妙子は「これはお花の頒布会ね、毎月自宅に届くのね!綺麗ね!」と信紀に見せながら言った。

「それって、二万五千円を一括に払うのか?」

「分割払もあるでしょう?」

「分割なら二万七千円って書いてあるな!」

妙子は他のチラシも見ながら「頒布会のチラシは多いわね!茶碗、絵画、お酒何でもあるわね!お父さんの会社の和菓子も頒布会で売って貰えば凄く売れるのじゃないの?」と冗談で言った。

二〇〇〇年の三月、赤城家の穏やかな朝の一時だった。

だが、後々この妙子の話が現実になって行くこととなる。


赤城信紀は、宮代千歳社長が始めた名古屋の冷凍和菓子会社、千歳製菓の営業課長である。

千歳製菓はメーカーであるが、パートは五十人程と社員は二十五名、その内営業はわずか三人の小さな会社だ。

その三人が全国を受け持っている。問い合わせを受けて新規訪問をする事もあるが大半は古くからの取引先に行くだけだ。

宮代千歳は既に七十歳を超えているので、会社の経営を長女婿の専務取締役営業部長京極隆史に譲るか、次女婿の常務取締役製造本部長酒田慎治に譲るかを社員達は注目していた。

千歳製菓は、創業三十五年で、地元の学校給食を中心に堅実な業績を残しているが、売上げは伸び悩んでおりここ数年は横ばい状態が続いていた。

京極専務は、次期社長の座を手にしたいのだが、目立つ業績上昇がない焦りを感じていた。

赤城課長が、朝会社に行くと京極専務が赤城課長の席に待ち構えたようにやって来て「社長が来年で引退を考えていると、家内が昨日実家に行って聞いてきたよ!今年中に何か大きく売上げを伸ばす新規の得意先を捜さないと私に勝ち目がないかも知れない!」と焦った様に言った。

「専務は長女の婿なのですから、優先なのでは?」

「それが、酒田常務が極秘で新製品の開発をしているらしいのだよ!宮代社長は常々会社の業績を上げた人間に後を譲るとおっしゃっているだろう?それに妹の貴美子さんの方を可愛がっていると貴代子も言っているから安心出来ない」

「そう言われましても、学校給食も年々生徒の減少で数字が伸びませんし、病院食も以前より糖分控え目になり期待できません。老人ホームに先日納入した饅頭については、餅の分量が多いので喉が詰まるとのクレームが来たばかりです」

「赤城君が言うのは悲観的な事ばかりじゃないか。もう少し良い話しはないのかね」

「はぁー困りました」と言うと「今日中に何か良い提案を持って来なさい!君も子供さんにお金が必要な時だろう?昇給が無くなるよ!」

自分の社長就任が決まらないのは、営業の成績が原因だと朝から八つ当たりされた赤城課長。


夕方になって事態は益々悪化した。

酒田常務が前々から試作をしていた商品を社長に報告したのだ。

大手のテーマパークのキャラクター商品で、納入業者と試行錯誤を繰り返して漸く製品化に漕ぎ着けたと報告して賞賛を浴びていた。

内容は、当面代表的なキャラクターが入った商品の詰め合わせを作り、お土産売り場で解凍して今年の秋から販売するというものだった。

宮代社長は大喜びで、酒田常務を「営業部よりも研究室の方の営業力が勝っている」と絶賛した。

それを伝え聞いた京極専務は、営業から戻った赤城課長に「何か良い販売先は見つかったのか!」語気を荒げて言った。

赤城課長はバツが悪いので咄嗟に、自宅から持って来た頒布会大手の折り込みを見せて「専務、この折り込みをご覧下さい!この頒布会なら当社の和菓子が売れると思うのですが?」そう言いながら恐る恐る差し出した。

怪訝な顔でチラシを受け取り「日本酒に季節の花か?」と呟き、しばらくそのチラシに目を通していたが急に手を叩いて「そうか!課長!面白いかも知れない!先方にアポをとってくれ、私が自ら商談に行こう!君も付いて来てくれ!大阪で美味しい物と美味い酒が飲めると良いな!」

赤城課長は、まだ商談も決まってないのに気を良くする京極専務にあきれたが、早速自分の席に戻ると折り込みチラシの電話番号に電話を掛けた。

すぐに電話がつながり、最初は一般の客だと思ったのか、丁寧に受け答えをしてくれていたが、納入業者だと判るや否や「業者様はこの番号に改めてお掛け直しください」とその電話番号だけを告げられ電話を切られた。

モーリスと言う頒布会の会社をネットで調べていた京極専務は、そこが業界トップで、一部上場の優良会社と判ると、既に取引が成立した気分になり浮かれていた。

赤城課長は、モーリスの電話受付から教えてもらった番号に電話を掛け直した。電話に出た相手は庄司克己と名乗り、若々しい声からまだ二十歳過ぎだと思われた。

赤城は、相手は大手なので取引も難しいと思っていたのだが、会社の規模、取り扱いの商品そして所在地を聞かれてそれに答えると庄司は「私共も和菓子の頒布品を捜していたのですよ!良いタイミングでした」と快く商談に応じると言った。彼が即答出来たのは、電話の応対をしながらパソコンに千歳製菓の業態、構成等必要な事柄を入力するだけで、画面上に商談の相手として合格の評点が出たからだった。

赤城は、専務の都合を聞いて伺う日を連絡したいと言うと「いつでも合わせますので、よろしくお願いいたします」と庄司は答えた。

モーリスではメーカーのチェックが全国規模で行われているので、新人でも簡単に商談が出来るシステムを構築していた。

モーリスでは、入社後半年間の研修を受けて、バイヤーとしてデビューする。

大学を卒業して昨年入社した新人の庄司にとっては、この千歳製菓が二件目の合格企業だった。


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