ポンコツヒューマノイドとお買い物
炎陽というよりも、斜陽という方が適当な午後四時過ぎ、入道雲はやや薄ぼけた紺青に映えて、少しだけその勢いを弱めながら、東雲色に染まっている。海鳥が胡麻を撒いたように飛んでいるのが、さして広くない裏路地から見下ろす、民家の屋根越しにも、よく分かった。
潮風に枝葉は靡いて、二人ぶんの足音は、昼間よりも軽い。ときおり目蓋に落ちる影が、消えゆく斜陽の明るさを、どこか守っているように思えた。瞳を射す陽光に目を細めながら、「マスター」と呼んできた白波を見る。
「昼間よりは、ちょっと涼しくなりましたね」
「うん。このくらいなら我慢できるでしょう」
「はいっ」
軽トラックが通れるかどうかという幅の裏路地を、僕と白波は横並びに歩く。錆びついたシャッターの、誰の家のものとも分からないような物置のなかを一瞥しながら、夕食の材料調達のために商店へと向かっていた。庭先にいるおじいちゃんと、一瞬だけ視線が合う。二人揃って挨拶すると、嬉しそうに笑って返事をしてくれた。
──「暑い時の外出は嫌ですっ」などと駄々をこねた彼女の要望で、結局、出発したのは午後四時頃。あの後に圭牙たちと別れてからは、いったん家に戻って、足りない食材の確認やら暇つぶしやらをして……。それから、いつの間にか寝てしまっていた白波を起こして──いま、こうして買い物に来ている。そこそこ怠慢な夏休みだ。
「あっ、ここっぽいですね」
彼女が人差し指を向ける。鉢植え代わりの発泡スチロールが壁際に並んで、昔の民家によく見たような簾が、コンクリートブロックを支えに、玄関先に立てかけられていた。日陰になっているそこへと逃げ込むように、僕は彼女を先導して硝子戸を引く。小さな広告が何枚か、剥がれかけのセロテープで直に貼られていた。引き戸を開け閉めするたびに、カランカランと音が鳴る。
「いらっしゃーい」
どこからか中年ほどの女性の声がする。姿は見えない。
真っ先に視界の中を覆い尽くしたのは、どこもかしこも陳列棚。棚、棚、棚だ。わかめ、鰹節、顆粒だし。小麦粉、ふりかけ、缶詰が数種類。あっち側にはお菓子とインスタント類だ。床に点在するダンボール箱を避けながら、年季の入ったリノリウムの床を踏んでいく。壁際には、ショーケースのなかに飲料水と冷凍食品。かと思えば、野菜や魚、なんでもござれ。流石は島唯一の商店。
「わぅ……痛い……」
どこかから鳴き声がしたかと思えば、どうやら白波らしい。棚の角に手をぶつけたのか、小さくステップを踏むように、素っ頓狂な動きで悶えていた。ただでさえ通路が狭いのに、よくやるものだ。どうせ二次被害を招いたり……あ、またぶつけた。ほら、言わんこっちゃない。
「あっ、マスターっ。私が持ちます! ポンコツができるのはこのくらいなので……。なにとぞご活躍の機会を……」
乱雑に積み重なった買い物かごを取ろうとして、それを彼女に止められた。しかも、腕にしがみついてまで。このまま僕が淡々と買い物を進めてしまったら、ポンコツの汚名返上を果たす機会が無くなる──と危惧してのことだろうか。ポンコツなのはもう変わらないけど。
「じゃあ、よろしく」
「はいっ」
白波が両手で持つ買い物かごに、必要なものを放り入れていく。メインとなる肉や魚はもちろん、野菜だったり、彼女が料理をやらかした時の万が一に備えて、冷凍食品も。段々と中身が重くなっていくにつれて、白波はときおり、手に力を込めてかごを持ち直す。「んしょ」という小さな掛け声が、換気扇の回る音に混じった。
「私、いま、とても生を実感してますっ!」
「重いんだ」
「はいっ。持ちますか?」
「いや、白波の存在理由は奪いたくない」
「そうですか……。しょんぼり」
しょんぼりヒューマノイドにどこか愛嬌を感じながら、僕はまた、必要になるものを買い物かごに足す。しかしまぁ、どれもこれも値段が高い。買い物をしない僕でさえ『こんなものが?』と言いたくなるくらい、高い。
「わっ、なんでこんなところに物があるんですか……! つまづいちゃったじゃないですかぁ……うぅ……」
後ろでは白波がうるさい。感情豊かでなによりだ。
生活費は全て祖母が賄ってくれるものの、島という環境に加え、海面上昇による物流の停止──物価の高騰ぶりが半端ではない。普通の飲料水ですら二三〇円。これならまだ、僕がいた都市部の方がマシだろう、きっと。
「高いなぁ……」
「ねぇねぇマスター。おばあ様もよく、お買い物の帰りに『高い高い』って言ってましたけど、ここのことですか? 高いって、品物の価格のことでしょうか」
「そうだよ。環境が悪いね」
「こればかりは仕方ないですね……」
ある程度めぼしいものを押さえて、狭い通路を通りながらレジへと向かう。いつの間にかスタンバイしていたらしい中年のおばさんが、僕と白波を一瞥した。買い物かごを受け取ると同時に、「高くて悪いねぇ」と笑う。「こんな島だから、ほら。昔はもう少し安かったけど」。横髪のあたりから、少しだけ白髪が覗いていた。
「あなたたち、見ない顔ね。外の人でしょ」
「四宮の孫です。彼女はバーチャル・ヒューマノイド」
「二代に渡って四宮家にご厄介してます。白波です」
溌剌と喋りながら、彼女は深くお辞儀する。顔を上げた時の笑い顔を見て、おばさんもひとつ、目を丸くした。
「あぁ、四宮さんとこ! そりゃご愁傷さまでした……。あの人、バーチャル・ヒューマノイドなんか持ってたんだね。随分と可愛い子、白波ちゃんって言ったっけ。この島じゃヒューマノイド系は珍しいよぉ。ぜんっぜんヒューマノイドに見えないね。時代は凄いなぁ……」
そう言いながらも手早く精算を済ませると、おばさんは袋に詰めた食材諸々の中に、「おまけ」と、適当なお菓子をいくつか入れてくれた。「でも、賞味期限切れよ」と言って、少し重そうなビニール袋を白波に手渡す。僕はその代わりに、代金ちょうどを支払った。「ありがとうございますっ!」と、嬉しそうに彼女ははしゃぐ。
「白波ちゃん、マスターくんと仲良くやりな」
「実はマスター、毎晩、しっかり私を喜ばせてくれてるんですっ! とってもとっても仲は良いですっ!」
「白波、言い方っ!」
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